日本最初の首都へ、また。

 週末、今年最後の芝(草)刈りをしました。 例年よりやや遅く、こちらはこれまで、やや温かいというところでしょうか。 また、例年は、アイルランドの西部の方が、雨量が多いのですが、この10・11月は、首都ダブリンのある東部の方が異常に雨量が増えてます。 北海・スカンジナビア方面からの風が優勢のせいでしょうか?
 
 さて、私の日本でしたことの最後の記事ですが、ここは、まじめに、また日本史に向いたいと思っています。 と言っても大したことも書けないのですが、今回も、恒例の奈良盆地行脚に勤しみました。 奈良盆地は、だいたい南北30キロ、東西10キロほどの楕円形をしていますが、私が、ここ数十年足しげく通っているのは、その中でも南東の端、三輪山の麓あたりです。 
 
 ここが、所謂、ヤマト国(ヤマタイとも)の発祥の地だと考えているからです。 あの箸墓もありますし、最近、王宮と思われる建物跡が発掘されて有名になった纏向遺跡などもあります。
 
 まず、下左は、JR桜井線の車内から見た盆地の東側にある山並み(笠置山地)。 ここで、西暦100年頃(あるいはそれ以前)の人たちは、もうこのへんでエエやんか、このへんに大きな町を作ろう!となったのでしょう。 纏向以前にも、もっと古い遺跡がこの周辺にあり、その下地は出来ていたはずです。 
 
  写真右は、その王宮発掘現場です。 ここも近年の大発見以前から来ていますが、ナンカ、今は鄙びていい感じです。 ちょうど電車(?)が来たので、パシャリ。 ここも電車の本数は少ない。 少し前まで、このそばにスーパーがあったのですが、今回、ひら地になっていました。 発掘に向けた作業なのか、ただ単に閉店しただけなのか? このスーパーでは、水やおにぎりをよく買わせてもらってたのにーー。
 
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 下左は、その発掘現場から箸墓の方を見たもの。 どうなんでしょう、直線距離で1キロもないように思えますが(濃い緑がそれ)。 右は、そこから箸墓に向かって、田んぼが広がる中をトボトボ散策しながら、振り返って撮った写真。 快晴の中、太古のロマン(よくあるフレーズでスイマセン)に浸っておりました。 この写真の左側、緑の木々は、東田大塚古墳だと思います。(箸墓に先立つ古墳群の1つ)
 
 
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 箸墓に到着。 いつも見慣れている景色。 でも、今回、その側に「卑弥呼の庭」というものが、出来ていました。 通りがかったオバアサンに聞いてみたら、何でも神戸から来た人が、この辺に家を建て、やや日本庭園ぽい庭を作って、「卑弥呼の庭」と名づけているらしいです。 やりますなーー! 自由に中には入れるようですが、この時は、オーナー不在のため、ダメでした
 
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 これは、こちらへ来た時いつも利用させてもらっていた箸墓のすぐ北側にある食堂。 もう、やっていない様子。 けっこう、丼ものが旨かっただけに残念。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 さて、私の日本最古の首都の散策もほぼ終わりです。 私は、この地が、本当にそういう所であると考えています。 ですから、そういう意味では、日本で最も神聖な土地であるとも言えるのです。 まあ、この神聖という言葉の意味もいろいろですが。 
 
 とにかく、そういうことなんですが、私は、また、以前からこの箸墓のすぐ近くにあるムラ(被差別部落)の存在が気になっていました。 左の写真が、その様子です。
 
 地元の人に、少し話しを聞くことができて、このムラも以前は、野球のグローブなどの革製品を仕事とする人が多くいたということです。 もちろん、多くのムラの成立時期とヤマト国の誕生の時代は、全然ちがいます。 しかし、この位置は、もしあの時代ならば、今で言う銀座何丁目かの日本で一等の地(金銭的に)だったはず。 そんなことを思うと、何か不思議な気がしてきます。 このムラも、今は、平穏な場所になっている感じでした。 
 
 実は、前回の記事の姫路近辺のプチ旅行で、私たちは、加西市や市川町のムラも訪れました。 私は、姫路市内のムラのことはだいたいわかってましたが、もうちょっと郡部のムラは、どんなものか知りたくてお願いしたのです。 どこもムラのサイズは、予想してたより大きく、また、そう言われもしない限り、一般の村との差異は、ほとんど見つけられません。 まあ、車で、ス~と通っただけなのですが。 いろいろ感じましたが、一番思ったのは、繰り返しですが、結構人口が多そうなことでした。
 
 
 今回の帰省で、私は、その親がムラ出身の二人の有名なスポーツ関係者のことを聞きました。 その一人は、サッカーの選手で、その父親が、私と同級生で近隣のムラの出身です。 もう一人は、競技人口が少ないのでそのスポーツ名を言うと非常に限定させてしまうので言いませんが、その人の母親が我がムラの出身のようです。 姉から聞きました。
 
  
 何か言いたいのか、というほどのことはありませんが、多くのそういう関係の人たちが、日本で世界で活躍しているようです。 でも、そのことに、もう少しオープンな世の中になればなーーと、感じているだけです。、
 
 
 最後に、この箸墓近くにあるムラから、箸墓とそのバックにある元祖天皇家のご神体(?)であった三輪山の写真を。 素晴らしいアングルが広がりますね、このムラからは!
 
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