山田太一さんが亡くなりました。

 山田太一さんが、一週間ほど前に亡くなられました。 89歳だったということですが。 それで、もう少し早いうちに、山田さんを偲んで文章を書こうかと思いましたが、やはり少し山田さんの作品を幾つか改めて見直してから、書くことにしたのです。 

 山田作品は、好きなものはほとんど録画かDVDがあるので、見ようと思えばいつでも見れるのです。 この2・3日で見たのは、初期の作品で木下恵介アワーの中の”3人家族”と”二人の世界”、それと”兄弟”です。 この書き込みが終わってからは、”男たちの旅路”と”ふぞろいの林檎たち”の多くのを(いっぱいあるので)、そして”想い出づくり”も見たいと思っています。

 さて、’3人家族’などは、以前にもその感想を書いているので、同じような重複は避けたいですが、この3作品とも主人公カップル以外にもう一組、その弟や妹たちがいつも恋愛模様を展開するのですが、これまで、その部分はつまらない、と言ってきました。

 この3作品のうち、”3人家族”と”兄弟”では、その部分は、あおい輝彦さんと沢田雅美さんが演じており、”二人の世界”では、同じくあおいさんと女性はかなり年上の設定で私の知らない女優さんが演じています。 それで、今回、なぜ、あおいさんと沢田さんなどのからむ部分が、あまり面白くないのか、という観点も少し気にしながらドラマを見ていました。 それで、ここでのあおいさんの役は、浪人生か大学生かという設定であり、ただ若くて恋愛にその真剣みがあまり感じられないせいなのかな、と当初思いました。

 でも、考えてみると、その10数年後に出てくる”ふぞろいの林檎たち”も、パート1は大学生の話です。 大学生と看護学生の話です。 でも、私には、とても面白かった。 もちろん、その当時、私も大学生だったから面白かったのかもですが、今見ても面白いし、また、木下恵介アワーの作品も、メインのストーリーは、今見ても面白い。 でも、この若いカップルの話は、やはりイマイチに感じるののです。 なぜか?

 それで、ひとつ思ったのが、失礼ながら、沢田雅美さんが今でいうあまりビジュアルでないせいかも、と最初思ったわけです。 たしかに、”3人家族”では、あおいさんの演じる健(たけし)は、初めの方で、かなり美人の女優さんが演じる幼馴染に片思いを寄せており、私にも、その仲がうまくいけば良いなと思わせました。 そういうことで、沢田さんがもう少し美人であれば、このジュニア世代の恋愛部分にも、私はもっと共鳴したのかな、とも思いました。 

 でも、”二人の世界”で、大学生であるあおいさんは、ブティックで働く6・7歳年上のかなり大人の魅力を持つ美人の女性にまたまた片思いをします。 この恋愛模様は、結構ドラマのほとんど最後まで続きます。 この二人の恋愛というか恋の駆け引きの部分も、私には、やはりあまり面白く感じないのです。

 なぜなのか? 逆に考えて、メインの主人公である竹脇無我さんや栗原小巻さんの演じる部分には、恋愛の部分はもちろんありますが、それプラス、生き方、人間の価値、あるいは、仕事の価値など人生の根源的なテーマを絡ませているから、面白いのかな? もう少し具体的に言えば、仕事と恋愛の両立、職場での出世、仕事と家庭の関係、結婚によって人生が決まってしまう閉塞感等々。 どれも、私も、社会人時代に感じた悩み・課題でした。 だから、この主人公たちの恋愛部分は、面白いのかと。 ”ふぞろいの林檎たち’も、主人公でありますが、学生の恋愛ドラマであっても、3流大学の劣等感や性の悩み、進路の悩みなど、その年代の一番の問題と真正面に向かい合っているので、非常に面白かったのではないか、と感じます。

 木下恵介アワーの若者の恋愛は、そういう社会的な悩みがほとんどなかったから、私は、あまり感動しなかったものと推測します。 その証拠に、ドラマ”兄弟”の中で、沢田さんが、あおいさんに”自分は山梨の田舎の出身でデパートの売り子であり、大学生のあなたとは釣り合いがとれない’みたいなことを言うのですが、こういう部分は、この私にはなかなか面白いものがありました。

 ここまで書いて、アレ以前にも似たようなことを書いたかな?と思いましたが、まあ続けます。

 結局、私の勝手な推測ですが、こういう恵介アワーの作品群の中の若いカップルで描けなかった思いをもっと拾い上げて、時代も進んだ後に書いた’ふぞろいーー”では、男女の性の問題などもより赤裸々に描写することによって、山田さんは、その時代の若者の真の実態を描いていきたかったのでは、と。 恵介アワーの時代は、主人公のカップルでも、潔癖というぐらい”性”あるいはセックスの話は出てきません。 もちろん、時代のせいもあるでしょう。 でも、私は、そこに、脚本家の山田さんを監視する製作者としての木下恵介さんの存在もあったのでは?と邪推します。 その証拠ということでもないのですが、恵介アワーでは、この3作品の1・2年後に木下恵介さん自身の脚本で加藤剛さん山本陽子さん主演の”太陽の涙”という作品があるのですが、面白いことは面白いのですが、何というか潔癖さ・生真面目さは、山田作品以上です。

 まあ、たわいもないことを書きましたが、山田さんは亡くなっても、作品群は永遠です。 これらの作品を私は死ぬまで見続けていくことでしょう。 そして、主人公たちが問いかける人生の難問に、いつも一緒に悩んでいくことでしょう!

 

 それと、話は一転しますが、ここで、今のホットな話題もまた追加しておきたいと思います。 今、MLBメジャーリーグ・ベイスボールでは、大谷翔平選手の移籍が、大きな話題になってますね。 日本で言うストーブリーグですかね。 それで、大谷選手は、かねてからドジャーズ入りが濃厚と言われていたのですが、ここに来て、にわかにトロントのブルージェイズが大きく取り上げられていますね。 トロントと言えば、MLBで唯一カナダにあるチーム。 もし、大谷選手がトロントに入れば、カナダの国民の熱気は、相当なものになるでしょう。 ユーチューブで、私は、トロントの地元放送局やブルージェイズ・ファンの動画をここ数日よく見ていますが、その興奮ぶりはすでに相当なものです。 

 もし、彼がトロントに行けば、カナダと日本の友好も一段と増すでしょう。 今、こちらは、12月7日の夜6時ころです。 トロントは、昼過ぎぐらいでしょうか? あと2・3日以内で、このMLB 史上最高の選手(と関係者のほぼ全員が言ってます)のFAの落ち着き先が、決まるようです。 興奮しますね!

 それと、もうひとつだけ、サッカーの日本代表、男女とも強くなりました。 こちらも、試合を見るのがとても楽しみです。 強豪と対戦し、守備に入っても、昔のようなオタオタ感は全くない。 堂々と対応している感じ、頼もしいです。 では、また。

 

65歳になってーーー。

 このブログの最初の方で(51歳の頃)、私は、子どもたちが20歳を過ぎて、もう特に自分の見たいものもなくなっているだろうから、65歳ぐらいで死んでもかまわないなあーー、みたいなことを書きました。

 もちろん、この記事のことは、その後もずうーと脳裏にありましたが、さて、いざ65歳になってみて(先週)、やはり、そういうわけにはいかんな、とやっぱりというか、しみじみというか、そう今考えています。 まあ、この分だと80歳ぐらいまでは、元気でいたいなー、そして、75歳ぐらいまでは、今やっている運動や軽い柔道稽古を続けていきたいなーと思っている昨今です。

 まあ、今日この記事を書いているのは、このブログ記事も、またかなり間隔があいてしまったので、存続のためにも、何か書き込んでおきたかったというのもあります。

 さて、最近の私は、主に妻との国内及び海外旅行などで、夏休みをエンジョイしてきましたが、その中で、ドイツ・ミュンヘンへ行き、あのノイシュバンシュタイン城をじかに見れたことは、一つのエポックでした。 高校生あたりの時代から行きたいと思っていた所なので、ある意味、気持ちの上でより大きな感慨があります。 まあ、姫路城の町で生まれた者としては、その対比というのが大いに影響していますがーーー。

 その姫路城の関連で言えば、私の庭にある姫路城なんですが、2022年2月20日に強風により最上階部分の屋根が吹き飛ばされ、情けない格好になっていたのですが、この初夏、一念発起して、復旧作業に取り掛かることにしました。 一番てっぺんは、築城時(?)は、最初に作り上げたところで、作業は段々下段に降りていったのですが、今回は、下段の屋根群がある中での作業なので、足場の設置が非常に難しく、修復作業がかなり難しいものになるとわかっていたので、去年の夏は、その修復作業に躊躇していたのです。

 それで、今まで約2ヶ月の修復作業で、だいぶ、工程が進みました。 まあ、完璧でないとしても(以前から完璧な城ではなかったのですが)、遠目に見て、まあ妥協できるかなという程度に復旧しているので、やや安心したというのが、正に今の正直な気持ちです。 

 実は、私にとって、この姫路城の損傷が、記述のとおり2022年の2月に起こったんですが、この数ヶ月前後は、非常に悲しいことが、3つ4つありました。 1つ目は、ここにも書いたかもしれませんが、我が家の犬、ユキの突然の死です。 去勢手術をした2日後の2021年10月31日に死にました。 本当に美しい犬でした。 2つ目は、21年のクリスマスの頃に、私の長姉が、末期がんに侵され、余命半年という情報を別の姉から聞いたことです。  そして、この姫路城の損壊のすぐ後、2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵略戦争が勃発しました。

 以上がその悲しい出来事の主なものですが、この内、長姉は、昨年10月に死去しました。 本人の人生は、どうであったのか、最後に聞きたい気もしましたが、その私の一時帰国の予定の10日前ほどに急に容態が悪化し、亡くなりました。 

 犬のユキの死も、大いにショックでしたが、今は、その後を継いだ、秋田・ゴールデンのミックスのアキがいて、マラミュートのカミともども、我が家の人間を楽しませてくれています。

 そして、この姫路城の修復です。 となると、あとは、ウクライナ情勢だけが、まだ、懸念事項として残っているのですが、これも、近々良い結果になるといいな、と思っていますし、そうなる気がします。

 というところで、約10ヶ月ぶりの記事でしたが、最後に、我が姫路城の修理の写真をまず貼っていきます。 完全に終了したら、その写真も追加で貼ることにします。 では、皆さんお元気で!

7月中旬

9月8日に復旧完了!

 

改定:ホモ・サピエンスの誕生と世界拡散(最新の情報から)

 約2年前この場で、人類の起源とその進化の様子及び主にユーラシア中心部やヨーロッパのその後の歴史についても、自分なりに少し書きました。 その時は、主にウィキなどで書かれている内容を拾い上げ、比較的その時点での新たなデータも参考にしながら、少し自分の考えも加味して記述してきたつもりでした。

 ところが、この10月末、日本に帰った際に、日本の人類学のリーダーの一人である篠田謙一さん(現、国立科学博物館館長)が、今年2月に出されたばかりの本に運良く出会いました。 それによりますと、この最近の2・3年の間でも人類の起源と進化及びその世界拡散に関する研究成果やデータが数多く提出され、そこから多くの新たな興味ある知見が提唱されているようです。 

 それは、DNA解析のスピードが年々向上し、いままでのY染色体(男系)やミトコンドリア(女系)のDNAだけでなく、2010年頃から始まった人類の全遺伝子(核DNAゲノム)の解析が、より早く行われるようになったことがまず第一要因と言えます。 さらに、試料の採取においても、遺跡に人骨がなくてもその場の地表に人類の営みに係る堆積物があれば、それを利用してDNAの分析ができるというような画期的な手法が確立されてきたからのようです。  

 核DNA(ゲノム)解明ができると、そのDNAび持ち主及びその集団の婚姻関係や移動の経緯などさえも詳しくわかる、というものらしいのです。 ただ、まだ今のところは、サンプル数が限られているので(特に、出アフリカ直後の6万ー5万年前など)、もし、これが、今後各時代各地域で、それらが数点発見されるだけでも、この人類の起源と歴史というテーマは、大きくその解明が進む、と期待されています。

 この篠田さんの本では、2021年までのデータを拾い、かなりきめ細かく世界や日本周辺の歴史について記載しています。 正直、そこまで言えるのかな、という疑問もあり、そこで、私のよく見るYoutubeでも、今は極最近の研究成果を欧米の専門家が自身で動画として発表しているものもあるので、それらとの照合の上、私が2年前に書いたことから確実にその説が代わっているところを中心に、現生人類及び日本人の進化の様子を以下に書いていこうと思います。

 

 

 【ここからは、簡潔な文体にします。】

 まずは、チンパンジーから猿人そして早期のホモ属のが分化・進化については、その後もいろんな発見があり、多くの名称も加わった感じだが、我々の歴史とそれほど直結しないので、今は省略する。 ただし、人類の二足歩行と脳の容積の増大化に関するものについては、今後のDNA解析の進歩でどこまで探れるのか、個人的には大変興味ある。

 以下、歴史の古い順に、箇条書きの形で、最近の知見を書いていく。

※ 約60万年くらい前に、我々の直接の祖先であるホモ・サピエンス(その古い系統)とネアンデルタール人、そして、デニソワ人の分岐が始まった。 

 ここで、デニソワ人と早速出てきたが、これは、2年前の記述時にも私はその名前自体は知っていたが、当時は、まだ実証例が少なく確実なものであるように思わなかったので、特に記載してこなかった。 実は、今年か去年のノーベル賞の医学生理学賞をもらった人は、このデニソワ人の発見などで功績をあげたスウェーデン人の人類学者である。 人類学の専門家が、ノーベル賞をもらうのも非常に久しぶりであり、良いことだと思う。 

 デニソワ人が出てきた代わりに、前回には書いたハイデルベルグ人の方は、その本質・帰属があいまいになった感じで、あまり表面に出てこなくなった。

 このデニソワ人(Denisovans)は、形態的には、ネアンデルタール人とかなり似通っていたが、彼らは、ユーラシア大陸の東部や東南アジアを中心に分布し、ネアンデルタール人は、ユーラシア大陸の西部、ヨーロッパなどに主に分布した。 ただし、この分岐が世界のどこで起こったのかというのは、確定できていない。 その後のホモ・サピエンスの進化変化も、実際にアフリカで起こったのか、あるいは中東などのアジアで起こったのか、いまのところ不明であある。

※ それと関連するが、古いタイプのホモ・サピエンスは、すでに何回も”出アフリカ”を実現しており(アフリカにいたかどうかも不確かだが)、同じように世界に拡散し、彼らも、ネアンデルタール人やデニソワ人と交雑していたものと考えられる。 ただし、もちろん、彼らは、今世界中にいる我々現生人類とは直接の関係はない。

※ 20万年ぐらい前にアフリカにいたホモ・サピエンスが進化・分岐し、東アフリカ地域にいる集団が、約7-6万年前に本当の意味の”出アフリカ”を実現した。 この集団は、Y染色体ではCT、ミトコンドリアではL3というハプログループに属する集団である。 篠田さんは、この集団を東アフリカ狩猟採集民とまで言及しているが、その表現形質(外見・容貌)までは示していない。 Youtubeの動画の中には、この集団を示す時に、今のケニアなどに見られるごく一般的なアフリカ人の写真を挙げていたが、それが正しいかどうかはわからないが、ただ、だいたい今の平均的なアフリカ人のイメージに近い集団であったものと思われる。

 さて、ここで、2年前の前回、私は、この出アフリカをした集団は、今のコイ・サン族に近い集団であったと書いた。 しかし、これは、修正しなければならない。 このコイ・サン族の系統は、新しい型のホモ・サピエンスがアフリカの中で長く生存していく中で、比較的早い段階で他の集団と分岐したようだ。 そこから、更に分化が進み、その中の一部が、東アフリカ方面に進行・居住していく。 さらに、その中から”出アフリカ”を実現する極一部の人類集団が生まれた、というのが現在の説になるようだ。

※  "Out of Africa"をした人類集団は、世界を拡散していくが、主にアジアやオーストラリアでデニソワ人と西ユーラシアでネアンデルタール人と遭遇し交雑もする。 ただし、現在の我々アジア人にもネアンデルタール人の遺伝子は1-2%組み込まれているので、この3者の交雑は、かなり広範に行われていたようだ。 シベリア中央・南部のアルタイ山脈にある遺跡から、デニソワ人とネアンデルタール人のハーフの女性のDNAも発見されている。 また、最も多くこのデニソワ人の遺伝子を共有しているのは、オーストラリアの古代人で5%以上あると言われている。(他の地域では2%以下)

 これは、全く私自身の考えだが、出アフリカをした人類は、このような”兄弟”人類と出会い交雑していくなかで、より大きな鼻の獲得などの容貌の変化が生じたのではないだろうか? そういう点で、このネアンデルタール人やデニソワ人との”混血”の濃淡は、初期の世界各地の人類集団に特徴的な容貌を与えていき、その後、各地域の環境によりさらに変化し、最終的にいわゆる現在の”人種”的な特徴を獲得した、と考える。

 もちろん、このDNAの詳細なる解析により、専門家は、どの遺伝子がどのような外見・風貌を形作っていくかなどもよく知っているはずで、そのうち、その多くのものが、一般にも知られていくものと思われる。 

 ただ、もちろん、再度言っておくが、現生の世界のどの民族・集団も、非常に少人数の出アフリカをしたアフリカの新型ホモ・サピエンスの子孫であり(広く世界に拡散した時でも、全世界の人口の合計は数万人以下と言われる)、DNAの比較ではほとんど100%同じなのである。 ここで言っているのは、もっと分子レベルでの比較なのである。 

 さらに付け加えておくと、ネアンデルタール人にしてもデニソワ人にしても、ホモ・サピエンスと交雑(あくまでも科学用語)し、継代して子孫が持てるということは、これは現在の科学分類上では、彼らは、我々と全く同一の種であると言えるのである。 

 また、このデニソワ人やネアンデルタール人のDNAの混入は、我々のその後の生存にかなりの影響も与えた。 今の新型コロナウイルス感染の世界における地域間の重症度・致死率の差も、その一つであると言われていrる。

 以下の東アジアや日本に関連したものは、ほとんど篠田さんの本に依った。

※ 東アジアへの古代人の進出は、南方からの集団が先であったこと、が確定したようだ。 この集団は、大陸や朝鮮半島と陸続きであった日本へも到達したが(4万年ほど前)、その後、別の集団に置き換えられた。 

 前回も、私は、東アジアへの一番乗りは、おそらく南方系の集団だったと推測したが、北方系の早期の進出も否定しがたく、はっきりと明言できないでいた。 今回は、それが確定した感じだが、しかし、その後は、北ルートからの集団も多く入り、特に中国北部からシベリアにかけての地域の集団の多様な変異は、これら北方と南方の集団の交雑により起こり、その後も続いていったものと考えられる。 

※ いわゆる後に縄文人と言われる系統の集団が、その後に、東南アジアや中国南部などの南方より日本列島に入ったが(3-2万年前)、これは単一というより、いくつかの集団によるもので、それゆえ、日本の西部と東部では、これら縄文人系のハプロタイプは異なっている。 この系統の集団は、その後、日本列島に孤立するような形になり、アジア大陸部の他の集団と遺伝的な差異が生じることになった。 しかし、若干ながら、縄文人の遺伝的影響は、朝鮮半島などでも見受けられるようだ。 

※ 今の中国東北部で約5千年前に西遼河地域の農耕民が起こり、これが約2千年かけて南下し、日本列島に到達した(約3千年前)。 これが、弥生人と呼ばれる集団である。 この西遼河の農耕集団は、朝鮮半島や日本列島の方角に南下し、それらの地域に言語をもたらしたが、その他のどの地域へも進出しなかった。 

 日本語成立に関して言えば、私は、日本語の”山”・”川などの基礎語は、先にきた南方系の縄文人集団の言葉が生き残った上で、この北方系の言語が、文法などの基礎構造を与えていったものだ、と考えている。

 しかし、この西遼河集団の農耕は、キビなどの雑穀が主で稲作を有しておらず、日本の弥生時代は稲作との関連で論じられるので、この西遼河集団と長江付近にいた稲作農耕民とが、どのように合流し日本列島に展開してきたのか、そのあたりの今後の研究が期待される、と篠田さんは言う。

192ページ

 以上が、今回の”改定”の主な点である。 最初に書いたように、最近のDNA解析の進歩は、著しいものがあるので、これらの”説”も2・3年おきに書き換えなくてはならないかもしれない。 (終) 

 

 本文は、以上のとおりですが、余談として、今の時事ネタを併記しておくと、あとで読む時により懐かしさが増すので、一応書いておきます。

『ワールドカップ、サッカー日本代表、頑張れ! あさってのスペイン戦、勝て!』

 

我が母校の廃校

 先程、一つの記事を投稿してから、ここのカテゴリーの欄を見てて思い出しましたが、半年ほど前に、”現有の姫路市の市立高校3校をすべて廃校にし、新たに別の場所に市立高校を1校設置する。’という衝撃的なニュースを知ったので、そのことについて一言。

 このことは、その当初、新聞記事以外ではほとんど言及がなかったので、半信半疑でしたが、最近になって、姫路市の広報などにもその内容が出ていたりして、確実であることが判明しました。 姫路市内や近辺にある県立高校も、同じように大幅な学校数の削減がなされるようであり、これらは、あと5・6年以内に実施される、ということらしいです。

 今の人口構成、生徒数の減少、そして、市や県の財政状況から見れば、当然の成り行きであり、姫路・播磨地区は、やや着手が遅かったとすら言えるかもしれません。 

 

 ただ、私のような高校時代に飽くなきノスタルジーを感じている者には、いまでもその現実が来る日を、実感できないでもいます。 

 まあ、母校が無くなっても、その時代の自分の存在(クラスメートのことなど自分の周辺に起こったすべてのことを含め)を知覚できれば、それで良いのかな!?

 もうろくジジイとなってからは、高校のこととか、どうでもええ、となるのかな?

 まあ、今現在は、まだいろいろ思考が定まりません。 また、このことについては、書くこともあるかと思います。 では。

また、人生の区切りの時かな?

 あまりにも長い間、記事を書かないでおくと、アカウント全てが削除されてしまいそうなので(まず、そんなことはないでしょうが)、ひとつ短く書いておきます。 まあ、最近、自分の人生にとって、結構大きなことが起こったことでもありますし。 

 その第一は、なんと言っても、実家の長姉が亡くなったことです。 去年の暮に、末期の胃がんが見つかり、余命半年や1年と告げられてから、本人はもちろん、私たち兄弟姉妹もいろいろ心配してましたが、この10月半ばに力尽きました。 この姉は、私にとっては、母代わりとも言える人で、自分が小さい頃からいろいろ世話になったので、本当にショックは大きかったです。 まあ最も、死んだ直後よりも、その数週間前に重体となってから、いろいろこの姉との思い出を顧みなどしていた頃が、一番悲しかったのですがーー。 そういう関係で、今年は2回、日本に一時帰国しました。

 ただ、日本に帰っても、日本にいる昔の友人たちと会うことは、めっきり減りました。 みんな年を取り、活動自体が少なくなっていることもあるでしょうが、Eメールなどしても返答がない場合は、こちらからも再度の送信はしなくなり、関係は次第に疎遠になっていくのでしょう。 以上のようなことで、次に日本に行くことは、かなり先になるでしょうし、回数もぐっと少なくなるでしょう。

 そういうことで、日本に行く用事がなくなるのと同時に(その飛行時間の長さも苦痛でしたが)、今後は、その分、近場のヨーロッパ諸国のいろんなところを回ってみたいと思っています。 今年の夏に、妻とスペインのバルセロナに行きましたが、結構思い出多い旅となりました。 観光なども良かったのですが、現地でスリにあってしまい(妻のバッグから)、その対応で地元の警察や領事館に行ったりなどのゴタゴタしたことも、今になれば、逆に記憶に残りやすい数日間になったと思います。 最も、盗まれた妻のパスポートやクレジットカードなどが全て無事に元通りになったから、そう言えるのでしょうが、多分!? まあ、みなさんも、南欧に旅行に行くときは、どうぞ気をつけてください。 本当に巧妙ですよ! 私達の場合は、地下鉄内で3人組に狙われました。 

 それから、こちらアイルランドの我が家族の今年の動向を言えば、息子は、外国語を学ぶ学科の大学に進んでいますが、今年は、その外国語が話されている国々に短期留学しており、自身の見聞を広めていることでしょう(そのうちの一つは、日本です!)。 娘の方は、工学系の学科に進み、毎日宿題などが多い中、懸命にそれに対処しているようです。

 私自身のアイルランドの生活も、夏休みなど子どもたちが帰って来る時は別として、普段は夫婦2人の生活なので、家の中はめっきり静かになった感じです。 週2-3回作る料理も、二人分だけなので、かなり楽になりましたが、今度はそれに慣れて、子供たちが揃った時の量を作るのが、シンドく感じるものまた事実です。

 そして、愛犬ですが、去年の秋に本当に美しい犬だったユキが突然死んでからすぐに、アメリカン・アキタとゴールデン・リトリバーとの雑種のアキを迎え入れしましたが、そのアキも少し前に無事満1歳になりました。 今は、このアキと大きなカミの2匹と毎日戯れています。 

 こちらアイルランドは、それまでは気温も高く、わりと雨の少ない天候でしたが、11月に入って、やはり雨がちの鬱陶しい天気が多くなりました。 ただ、気温は、まだやや高めな感じです。 そういえば、今日から、エジプトでは、気候変動のためのCOP27が開かれていますが、さてどうなりますか? 

 そして、プーチンの無法ぶりは、いまだに続いております。 この大いなる罪悪も、我々は、もう一度肝に命じていかなければならない、と思っていますーーー。

 

 で、以上で、一旦投稿したのですが、その日付を見たら、日本ではもう11月8日になってました。 この日は、我が家の最初の犬、秋田犬のクロの誕生日です。 生きていたら、今年で17歳になります。 7年前に死にましたが。 それと、誕生日と言えば、アラン・ドロンもそうですね。 彼は、87歳になるはずです。 この稀有な俳優も、いずれこの世からいなくなると思うと、なお沈鬱になりますーー。

 ちょっと代わって、以前からユーチューブに執心していると書いてましたが、やっぱり、”自分も自分の持つビデオを動画編集して、ユーチューブにアップしてみたい”、と最近強く思うようになってました。 そういうことから、乗り遅れないでいたい、という気持ちですかね。 他人に視聴されるかどうかは、問題でなく。 早速、数日前に無料の動画編集ソフトをインストールして(ウィンドウズ10ならその機能があったようですが)、なんとか短い動画を作ってみました。 初回なので、稚拙ですが(2つの動画の合体とタイトル・BGMの追加など)、上記のユキを偲んでの制作でもあります。 

 これで、私もユーチューバー!かな、ハハ。 これからさらに、ユーチューブで遊ぶことになりそうです。 ではまた、いつか!


www.youtube.com

 

戦争犯罪人プーチンを止めろ!

 私は、今回のウクライナ侵略が起こった直後に、いろんなソーシャルメディアに、このプーチンの残虐行為を非難するコメントを発したり、ウクライナの人たちへの募金に参加したりしました。 

 これは、未曾有の人権侵害です! ここで、世界中の人間は、もしこの戦争が間違っていると思うなら、自分でできることはやっていかなければならない! 

 私も、他に発信するものはあるかなと思った時、ほとんど読者のいないこのブログですが、それを思い出し、今こうやって書いているしだいです。  

 皆さん、ただの傍観者は、ほとんど共犯者と同じです。 悪を見逃してはなりません。 ”可哀相という言葉は、他人事や!”と、私の尊敬する小学校時代の先生は、常々そう言ってました。 さあ、皆さん、我々は、もっとプーチンに対して、怒りを表さなければなりません!!!

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ユーチューブで”座頭市シリーズ”を見て感動!

 最近は、ユーチューブ漬けです。 今回は、座頭市などのことを書きたいと思いますが、その前に我が家の様子を少し。

 これまで(ずっと前ですが)、息子や娘のことも少しですが書いてきました。 その二人も、この秋から大学2年生と1年生になります。 娘は、この夏まであったこちらの大学受験に臨み、かなり良い結果を収めることができました。 そして、無事志望大学の学科に合格できました。 

 そして、昨日、その娘は、我が家からダブリンにある大学の下宿先に向かいました。 こちらの大学生は、週末なんかに頻繁に実家に戻ってくるのが多いので、日本とは状況は違いますが、それでも、これから、平日はやはり私達夫婦だけの生活になり、私の生活に大きな変化が来たことに代わりありません。 人生の大きな節目とも言え、感慨深いものがあります。 そしてまあ、これから天候が悪化し、外での活動は犬たちとの散歩などに限られていき、このインターネットに費やす時間がさらに長くなりそうです。

 さて、座頭市の話の前に、少し前まで約20回にわたりウィキなどの記述をまとめてきた世界の古代史なんですが、実は、21回目あたりから紀元後すぐから邪馬台国が形成される3世紀頃までのアジアと日本の歴史をまとめ、その後は、想像の域を大いに含めての邪馬台国(やまとこく)そのものの出現に関する小説的なものを書きたいな、と大それたことを考えていましたが、やはりそれは大変な作業になるので、滞ってしまいました。 もう少し年月が経って、もしまた、やりたくなったら挑戦してみたいと思います。 

 さて、ユーチューブなんですが、最近は、ヤクザ映画をアップしているのをいくつか見つけ(というより勝手にラインアップされてくるのですが)、結構楽しんでいます。 その中には、”仁義なき戦い”などの実録ものや藤純子の”緋牡丹お竜”なんかもありました。 これらも、今見てみると(当時、私は10歳から15歳程度まで)、殺戮シーンも特に怖くないし、ヤクザ抗争の理屈付けなどの彼らの言動も、その言葉自体はよく分かるので、それなりに興味を持ってみました。 最も、そういう理屈付けが、正当なものであるとか論理的だとかは、全く思いませんが。

 それで、実際は、”仁義なき戦い”シリーズなどの少し前に、”座頭市”シリーズを発見し、その面白さに感激したので、これからそれを少し書きます。 座頭市シリーズが、最初に出たのは、私がまだ4-5歳だったので、当然最初に方の10話ぐらいは、私は、オリジナルでは見ていません。 三船敏郎と共演した”座頭市と用心棒”の放映は1970年で、私は12歳、これは、有名だったので、その際に見たような気がしますが。 

 でも、そのシリーズの最初の方は、言いましたように今回が最初かもしれないし、完全にその内容がわかる年齢で見るのは、今が初めてなのは、間違いありません。

 で、今回、外国人がアップしているその座頭市シリーズを見た時に、まず思ったのは、結構、”めくら”のという身分を大いに前面に出した構成になっているということです。 もちろん、その他の博徒やヤクザ、さらに武士・町人を含めて、江戸時代末期の身分の差というものを強く意識したストーリー展開になっているなー、という印象があります。 これらは、特に、シリーズの早い回に顕著だと思います。(ただし、このユーチューブにアップされているのは、第1回目は欠けていて、第2回目から19回目までと、それから飛んで第26回目の作品です。) 

 そして、この私が特に感動したのは、第3回目の作品です。 この回の話は、座頭市が、今は浪人生活をしている居合の先生と久しぶりに再開するのだが、そこで、その先生の妹に恋をする。 出演女優の役柄に恋心を抱くのは、毎回のことであるのだが、座頭市は、決して自分からそういう気持ちを表さない。 もちろん、”めくら”そして渡世人としての自分の身分をわきまえてのことである。 しかし、この回では、その先生の妹(坪内ミキ子さん演)の方から、積極的に座頭市に働きかけ、結婚したいと強く迫る。 当初、娘の気持ちの決心を計りかねていた”市”は、最初拒絶するのだが、娘の強い意志を知って、二人はついに結婚の約束をする。

 さて、ここまでは良かったのだが、問題は、これから。 娘の親代わりでもある兄の承諾を得なければならないのである。 それまで、この兄は、”市”の居合の凄さを認めていたし、弟子とかあるいは友人として、市とは親しく付き合っていた。

 しかし、その夜、妹と市が、結婚したいと言い出した途端、この兄から出た言葉は、市に対する聞くも無残な侮蔑に溢れる叱咤暴言罵倒であった。 もちろん、妹にも、その愚かな行動を強く非難した。 

 実は、この兄に告げる前に、市と娘は、市の昔の仇(かたき)のヤクザに出会うのだが、初めは、市が堅気(かたぎ)に戻り娘と結婚をするから過去のことは許してくれ、というその言葉を、このヤクザも信用しない。 しかし、二人の必死の願いが通じ、こんなゲスの身分の男でも、この二人の信念を尊重して許すというくだりがある。

 それなのに、この兄の仕打なのである。 何が侍だ、何が身分の違いだ、とこの映画の制作側の思いが顧(かえり)みれるようである。 

 下にその映画全編を貼り付けたので、見ていただければ良いと思いますが、このシーンは、今の世の中でも起きている身分差別の実態の本質をよく表している。 今も多くの人が受けているこういう苦難を、時代を違えているとはいえ、そのような実態の本質を鮮明に描いている(つまり、この兄の言動のような)この”座頭市”というシリーズを、私は改めて評価したい。 

(※なお、このユーチューブチャンネルは、数ヶ月前に新たな更新をしなくなっているが、いままで削除されずに残っているので、当分は、掲載させ続けると思われます。 興味ある方は、その他の作品もどうぞ。) 

 


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