今度は、ちょっと怖い骸骨(がいこつ)の話。

 タイトルは、客寄せパンダ的で、すこし冗談です。 先週までのことで、もう1つ言いたいことがあるのですが、それには、もう少し確かめたいことも絡んでいるので、今日は、別のこと、最近ずっとボンヤリいいアイデアやなあーと、我ながら思っていることを書きます。
 
 少し前に、自分がもし死んだら、どんな葬式のやり方でも、どんな墓地でも、あるいはそれが無くてもいい、という感じのことを書きました。  ここに、 http://blogs.yahoo.co.jp/ueno828/33920080.html
 
 今も、もちろんそうです。 魂の存在、墓地の意義、臨死体験などは、私は、認めません。 もちろん、葬儀などの社交上の礼儀としては、それらに出席したりなどはしますがーーー。 それらは、単に生きた人間の創造(こっちの想像も)物である、と考えています。 そういうものの社会に及ぼす偏見や誤解の問題があることも、大きな要因です。 霊感商法への、いい口実になるとさえも思っていますし、戒名なんて、なんのこっちゃ、です!
 
 幽霊もいないし、変な柔術家のような人間が時々言う、離れたところから他の人間を動かすことができるというような技・術も全く信じません。(ごく軽い物体ではありませんよ、その可能性はあるでしょう。) そういう輩(やから)が、ここアイルランドでも、数人いましたが、その人たちに、いつも直接そのような術を試させましたが、私には、いっさいそういう力は感じませんし、動きもしませんでした。
 
 
 まあ、当然、人それぞれで、そういう風には到底受け取れなくて、私のこのような文章に腹立たしい気持ちをもった方もいるでしょう。 それは、人それぞれで、もちろんいいわけですし。 そういう霊や魂の存在を信じて、自分の中で、心が安まるということは、それはそれで、いいことだと思います。
 
 
 ところで、私は、最近、もう85歳近くになる妻のお父さんと、死後のことを少し話し合ったことがあります。 まあ、老人に対して、ナンテことをと思うかもしれませんが、彼が、少し前に暴風で壊れた先祖の墓石の修理のことを言い出したので、ちょっと私の意見として、「自分は、妻にどんな形式の葬式でも墓でもいいから、彼女がやりやすいように、してくれればいい。」と彼に言ったら、妻の父は、自分は、以前は散骨も考えたなどと言ってました。 火葬も少数派のアイルランド人としては、進歩的な人です。 
 
 で、土葬や火葬の話で、その骨は、どうなるのかなどと話が進んでいる時、私は、ふと思って言ってしまったのですが、火葬のよって灰になってしまうより、骨の形が残っているほうが、もし身近に置いておくならば、ずっとその故人を偲べるのではないか、とその場にいた義父や妻に言いました。
 
 もちろん、私の考えなので、私以外の誰かが死んだ時のことになりますし、当然、自分より若い妻や子供たちが、私より先に死ぬのは、悲劇でしかありません。 起こってもらっては困るのですが、万が一そういうことになった時、その人たちの頭蓋骨があれば、それに非常な愛着を持てるような気がします。 骨壷より、ずっと具現的で、故人の顔形の原型があるわけですから。 
 
 こんなことを書いていると、ただでさえ訪問者の少ないブログが、さらに嫌がられると思いますが、どうでしょう、人類学者や考古学者は、化石の人骨の発見に血眼になり、それが叶うとその標本への愛着は、すごいものがありますね。
 
 私も、自分自身のかつての経験で、本物の動物の骨をいっぱい見たり触ったりしてきましたし、人類の起源といったことに、とても関心があり、そういうテレビ番組や、そして最近はYouTubeでその関係の日本やイギリスやアメリカのものも簡単に見られますので、そういう標本などを見ることに、より興味がでてきています。 
 
 
 ですから、このような学者さんたちは、自分の愛しい人が亡くなった時に、私が、ここで書いてきたようなことは、していないのか、した人はいるのか、などアホなこととは半分思いながらも、半分真面目に思っています。
 
 もちろん、各国で、遺体の処置などに関する法律もあり、実際には、この私の奇怪な(多くの人からみて、たぶん)考えは、なかなか実現しないと思います。 ただ、この前少し書きましたが、一番老齢の犬は、おそらくそんなに長くは生きていないでしょう。 このクロが死んだら、まず土葬にして消石灰をまいて、1年後ぐらいに骨を取ってみよう、と今は考えています。 剥製(はくせい)にするよりもいい、と思ってもいますし。
 
 変質者ですかね? 怪人二十面相のような?  もちろん、自身では、そう思いませんが。