ユーチューブで”座頭市シリーズ”を見て感動!

 最近は、ユーチューブ漬けです。 今回は、座頭市などのことを書きたいと思いますが、その前に我が家の様子を少し。

 これまで(ずっと前ですが)、息子や娘のことも少しですが書いてきました。 その二人も、この秋から大学2年生と1年生になります。 娘は、この夏まであったこちらの大学受験に臨み、かなり良い結果を収めることができました。 そして、無事志望大学の学科に合格できました。 

 そして、昨日、その娘は、我が家からダブリンにある大学の下宿先に向かいました。 こちらの大学生は、週末なんかに頻繁に実家に戻ってくるのが多いので、日本とは状況は違いますが、それでも、これから、平日はやはり私達夫婦だけの生活になり、私の生活に大きな変化が来たことに代わりありません。 人生の大きな節目とも言え、感慨深いものがあります。 そしてまあ、これから天候が悪化し、外での活動は犬たちとの散歩などに限られていき、このインターネットに費やす時間がさらに長くなりそうです。

 さて、座頭市の話の前に、少し前まで約20回にわたりウィキなどの記述をまとめてきた世界の古代史なんですが、実は、21回目あたりから紀元後すぐから邪馬台国が形成される3世紀頃までのアジアと日本の歴史をまとめ、その後は、想像の域を大いに含めての邪馬台国(やまとこく)そのものの出現に関する小説的なものを書きたいな、と大それたことを考えていましたが、やはりそれは大変な作業になるので、滞ってしまいました。 もう少し年月が経って、もしまた、やりたくなったら挑戦してみたいと思います。 

 さて、ユーチューブなんですが、最近は、ヤクザ映画をアップしているのをいくつか見つけ(というより勝手にラインアップされてくるのですが)、結構楽しんでいます。 その中には、”仁義なき戦い”などの実録ものや藤純子の”緋牡丹お竜”なんかもありました。 これらも、今見てみると(当時、私は10歳から15歳程度まで)、殺戮シーンも特に怖くないし、ヤクザ抗争の理屈付けなどの彼らの言動も、その言葉自体はよく分かるので、それなりに興味を持ってみました。 最も、そういう理屈付けが、正当なものであるとか論理的だとかは、全く思いませんが。

 それで、実際は、”仁義なき戦い”シリーズなどの少し前に、”座頭市”シリーズを発見し、その面白さに感激したので、これからそれを少し書きます。 座頭市シリーズが、最初に出たのは、私がまだ4-5歳だったので、当然最初に方の10話ぐらいは、私は、オリジナルでは見ていません。 三船敏郎と共演した”座頭市と用心棒”の放映は1970年で、私は12歳、これは、有名だったので、その際に見たような気がしますが。 

 でも、そのシリーズの最初の方は、言いましたように今回が最初かもしれないし、完全にその内容がわかる年齢で見るのは、今が初めてなのは、間違いありません。

 で、今回、外国人がアップしているその座頭市シリーズを見た時に、まず思ったのは、結構、”めくら”のという身分を大いに前面に出した構成になっているということです。 もちろん、その他の博徒やヤクザ、さらに武士・町人を含めて、江戸時代末期の身分の差というものを強く意識したストーリー展開になっているなー、という印象があります。 これらは、特に、シリーズの早い回に顕著だと思います。(ただし、このユーチューブにアップされているのは、第1回目は欠けていて、第2回目から19回目までと、それから飛んで第26回目の作品です。) 

 そして、この私が特に感動したのは、第3回目の作品です。 この回の話は、座頭市が、今は浪人生活をしている居合の先生と久しぶりに再開するのだが、そこで、その先生の妹に恋をする。 出演女優の役柄に恋心を抱くのは、毎回のことであるのだが、座頭市は、決して自分からそういう気持ちを表さない。 もちろん、”めくら”そして渡世人としての自分の身分をわきまえてのことである。 しかし、この回では、その先生の妹(坪内ミキ子さん演)の方から、積極的に座頭市に働きかけ、結婚したいと強く迫る。 当初、娘の気持ちの決心を計りかねていた”市”は、最初拒絶するのだが、娘の強い意志を知って、二人はついに結婚の約束をする。

 さて、ここまでは良かったのだが、問題は、これから。 娘の親代わりでもある兄の承諾を得なければならないのである。 それまで、この兄は、”市”の居合の凄さを認めていたし、弟子とかあるいは友人として、市とは親しく付き合っていた。

 しかし、その夜、妹と市が、結婚したいと言い出した途端、この兄から出た言葉は、市に対する聞くも無残な侮蔑に溢れる叱咤暴言罵倒であった。 もちろん、妹にも、その愚かな行動を強く非難した。 

 実は、この兄に告げる前に、市と娘は、市の昔の仇(かたき)のヤクザに出会うのだが、初めは、市が堅気(かたぎ)に戻り娘と結婚をするから過去のことは許してくれ、というその言葉を、このヤクザも信用しない。 しかし、二人の必死の願いが通じ、こんなゲスの身分の男でも、この二人の信念を尊重して許すというくだりがある。

 それなのに、この兄の仕打なのである。 何が侍だ、何が身分の違いだ、とこの映画の制作側の思いが顧(かえり)みれるようである。 

 下にその映画全編を貼り付けたので、見ていただければ良いと思いますが、このシーンは、今の世の中でも起きている身分差別の実態の本質をよく表している。 今も多くの人が受けているこういう苦難を、時代を違えているとはいえ、そのような実態の本質を鮮明に描いている(つまり、この兄の言動のような)この”座頭市”というシリーズを、私は改めて評価したい。 

(※なお、このユーチューブチャンネルは、数ヶ月前に新たな更新をしなくなっているが、いままで削除されずに残っているので、当分は、掲載させ続けると思われます。 興味ある方は、その他の作品もどうぞ。) 

 


www.youtube.com