文太兄いが逝っちゃって、最後の映画スターも消えた!

 やっぱり大きいニュースなので、記事にしないわけにはいきません。 この前の高倉健に続き、菅原文太の訃報。 日本国内の皆さんもそうでしょうが、こちらで一人日本人として住んでいる者にとっては、日本の文化の代表とも言える人たちの死は、心に大きな空虚感を生じさせます
 
 まず先に、日本国内では、高倉健の追悼番組であるNHKスペシャルが、11月23日に放送されたと思いますが、こちらでは、おとついの30日の放送でした。 あまり期待はしていなかったのですが、録画したその内容を見てビックリ。 この番組のソースは、約2年前にNHKがプロフェッショナル仕事の流儀の特別番組の中で、今回の番組と同じインタビューの場面を写していたのですが、しかし、この2年前の番組と今回の番組の内容には大きな差があったと思います。
 
 
 他の俳優との絡みや撮影風景、地元の人との語らいなどのシーンは、もちろんほとんど同じなのですが、一室で一人インタビューに応じる場面では、2年前のものは、何か上っ面なことばかり述べて、自分を着飾っている感じにしか見えませんでしたので、私は、そのことを以前の記事で少し批判していました。 (ここに、 http://blogs.yahoo.co.jp/ueno828/31379021.html )
 
 でも、今回の同じインタビューの中で語られていたのは、もっと正直で本質的な言葉の連続でした。 それは、生まれ育った地域が、非常に荒いところ(炭鉱町)で、祭りなどの際には、死人が毎年出ていたとか、戦争の時、子供ながら、死んだアメリカ兵の持ち物を盗んだりしたとか、そして、ヤクザ映画を撮っていた頃の若い時は、自分は非常に短気であり、よく人を殺すなどの罪を犯さずにすんだものだ、などのようなことを言っていました。 (単語は、正確ではないですよ。)
 
 この同じインタビューの場面と思われるもので、なぜこんなに内容が異なるのか? もしかしたら以前の番組への印象は私の勘違いなのかと思い、録画していたその2年前の番組をもう一度確認のため、少し見ました。 でも、やはり同じインタビューの場面であるのに、その高倉健本人から発せられる言葉には、かなりの違いがありました。 
 
 2年前のものには、そういう本質的な激白の部分が、隠されていたということでしょう。 もし、今回の番組の内容が、以前に含まれていたら、私の以前の批判の記事もなかったことでしょう。 で、問題は、NHKが、なぜそういうことをしたのか?ということです。 2年前のは、プロフェッショナル仕事の流儀の番組で、高倉健の仕事に打ち込む理想的な一面(ある種の虚像)を引き出したかったのでしょうか?、今回のその死に即した番組では、もっと深い所の心理状況を出したかったと言うことなのでしょうか?
 
 ま、高倉健のことは、そのヤクザ映画のことと併せて、もっと書きたいのですが長くなるので、菅原文太のことに移りますが、文太兄いの方が、私の好みにあってました。 ナンカ、本音の役者という感じがして。 あと、トラック野郎の第2作目(今まで第3作目だと勘違いしていましたが)は、姫路を舞台の1つとして描かれていたので、当時高校生だった私には、興奮するものがありました。 
 
 それで、これも、このブログに書きましたが、ここ最近の文太兄いの社会的な言動には、共感するものがあったので、尊敬の念も感じていました。
 
 まあ、こんなこと、今いろんなところで、いっぱい語られていると思いますので、このへんにしておきますが、とにかく、昭和の大スター達が、亡くなったというのは事実のようで、昨日今日、私は、少し戦後の最も偉大な映画スターは、誰かというショーモナイことを考えていました。 まあ、偉大か、影響力のあったか、人気があったか、などの形容詞を何にするのかによっても、そのベストテンは、変わってくるでしょうが、とにかく、私の思うベストテンは、 年齢順に 
 
  三船敏郎  1920-97(77)
  丹波哲郎  1922-06(84)
  鶴田浩二  1924-87(62)
  渥美清    1928-96(68)
  若山富三郎 1929-92(62)         生年などは、ウィキペディアにあったもので、
  勝新太郎   1931-97(65)        確実かどうかは?
  高倉健    1931-14(83)
  萬屋錦之介 1932-97(64)
  菅原文太   1933-14(81)
  石原裕次郎  1934-87(52)
 
   
 この10人というところでしょうか。 この次ぐらいに、池部良や三國連太郎あたりがくるのでしょうか?また、森繁久彌は、映画では戦前という感じがあり、偉大な人でしょうが、映画スターというよりも演劇人という感じが強い。 あと、市川雷蔵や佐田啓二は、もっと長生きしていたら、この中に割って入ったかもしれない、と思うのですがーーー。 いずれも、私の単なる主観、お怒りの人もおられるでしょうが、この内の半分ぐらいは、だいたいどの方も納得されるのでは、とも思っています。
 
 上のメンバーを見ると、この中で、一番若かった石原裕次郎が、一番若くして死んだし、同じ年に複数のスターが亡くなった年もあるし。 また、歌う映画スターだった、鶴田浩二と石原裕次郎は、同じ年に亡くなっていますが、この二人の歌う姿は、今も本当のどの歌手よりカッコいいものがある、と私は思っています。 
 
 鶴田浩二のあの手を片耳にかぶせる歌い方は、いろんな説がありましたが、その娘さんの本で、実は、別の耳が本当に聞こえなかったので、もう一つの耳をより聞こえやすくするためだった、ということを知り、人間臭さを感じたものです。
 
 で、最後に、この中でも、私が思うナンバーワンは、やはり三船敏郎ですかね。 外国にいるとその知名度は、他とは全然違うというものもありますし、その外国人に向かって、真の日本人とは何かを本人も訴え続けていた、という観点から、私には一番です。 真の日本人とは何じゃ!と聞かれそうですが?
 
 まあ、とにかく、ナンバーワンともなれば、それこそ人それぞれナンでしょうけど! では。