興味あるNHKのテレビ番組、土曜ドラマと「鶴瓶の家族に乾杯」

 先週末から今週月曜にかけ、私にとって、かなり興味あるNHKの番組が2つありましたので、紹介したいと思います。 

 一つは、土曜ドラマという枠で、「心の傷を癒すということ」というタイトルのものです。 全4回あって、先週の土曜は、その第1回目でした。 主たる内容は、1995年に起きた阪神淡路大震災で精神的に打撃を受けた人たちに献身的に寄り添い、その人達の心を救っていく精神科医の話だそうです(多分)。

 ただ、その精神科医は、在日韓国人であり、自身がその事実を知った子供の時のショックの様子や、厳格で高圧的な父親の存在、そして、医学の中でも精神科を選ぶことの葛藤などが、第1回では描かれていました。

 まだ1回目なので、今後の展開は、よくわかりませんが、次回で、すぐあの地震が起こり、精神科医としての活躍や苦悩が描かれていくことでしょうが、私としては、在日そのものの意識やそれに由来する葛藤は、人生を通してあるはずである、と思うので、そのあたりの心理状況も、引き続きドラマの中で表現されたらいいな、と願うものですが、たぶんもう無いかなあ? 

 この主人公は、実在の人らしく、ドラマの年齢と同年齢であるとすれば、私より2歳若いようです。 ほぼ同世代です。 実は、私も、この主人公のような在日の友人がいます。 高校時代、彼の実家に遊びに呼んでもらった時、彼のお父さんが現れた時の彼の礼儀正しい態度とその言葉使いには、びっくりしたものです。 私といたもう一人の友人も、そのことを後で言っていました。 当時から彼の家は、かなり裕福で、その豪邸とも言える家では、中身の家具などもすごく立派でした。 そして、その彼(家族全体のものかも?)の当時の音楽レコードのコレクションが、とても素晴らしいものであったことを、特に印象深く覚えています。

 でも、在日ということを匂わせる飾りや置物などは、全然なかったように記憶しています。 彼の両親やもっと早い段階で、帰化していたのかもしれませんし、その辺りの在日との関わり合いは、私には、全く見つけられませんでした。(特に、それらを探していたわけでもありませんが。)

 彼が、在日であるかどうかは、直接、彼自身からそのことを聞いたわけでもないですが、噂やいろんな状況から、そうであると思っていたわけです。 まあ、そのへんは、今回のドラマの主人公とは、ちょっと違いますが。 

 それから、5・6年後かな、私は、別の在日の友人の家に行ったこともあります。 こちらは、ごく普通の庶民の家で、家の中の言葉使いも私達と同じ、”お母ちゃん、友だち連れてきたでー。”という感じでした。 でも、逆に、この家の中では、朝鮮半島を思わせる飾りなどが、いっぱいあったように覚えています。  

 結局、当たり前ですが、在日と言っても、いろんな家族があり、母国(?)や日本に対する感情・思い入れも、それぞれなんでしょう!?

 今回、このドラマを見て、40年以上も前に訪れた友人の家のことが、すぐ脳裏に浮かび、ここに書きたい衝動が起こりました。 

 なお、このドラマでは、達者な俳優たちが、うまく神戸弁もあやつり、臨場感を増幅させているという面も、非常に好感が持たれます。

 

 さて、もうひとつの番組というのは、”鶴瓶の家族に乾杯”です。 この番組は、私は、毎回見ているわけではありませんが(やっぱり訪れる土地というより、誰がゲストか、で選びますよね?)、この前の月曜日にこちらで放送されていたのは、奈良県の中部にある三宅町という町でした。 ”みやけ”という地名は、古代天皇家の私有地・屯倉と関係あるんやろか、などと思いつつ番組を見ていると、ゲストの加藤雅也(沖 雅也以来の同名の俳優なので、少しは気になる存在です、ハハ)が、ここは、グローブの産地として有名らしいので訪れてみたかった、みたいな発言をしたので、私としては、俄然、興味津津でこの番組を見つめることになったのです。

 別に、ここで、地元の人が、嫌がるかもしれない言葉を、あえて発しはしませんが、この鶴瓶の番組で、かねてから、私は、自分のふるさとのような地区を紹介してもらいたいものだと思っていただけに、今回、このような番組があって、本当にうれしい思いでした。

 もちろん、番組では、三宅町全体が紹介され、グローブ作りの地区(三宅町上但馬かみたじま、以前は運動靴なども作っていた)は、その一部でしかないでしょうが、3・4軒のグローブ生産者、フォアグラ(?)を売っている老舗の肉屋さん(ここは、肉牛飼育も行っている、今どき珍しい肉屋)、ユニークな靴下の生産者などが紹介されていました。

 また他にも、オモロイおばさんたちや才能のある人が出てきて、私には、たいへん面白い番組になっていました。 その地元のおばあさんたちの古い言葉使いも、興味あるものでした。

 この”鶴瓶”の番組では、恐らく、かつても何回か我がムラと同じようなところを散策はしているでしょうが、こういう特別な地場産業が出てこない限り、私には、そのことが確認できないので、今回は、まさに貴重な回となりました。 

 ただ、もちろん、今回のこの地区が、100%そういうムラであると言えるわけではありません。 しかし、このブログでも以前紹介しましたが、ここからそんなに遠くない桜井市にある私の大好きな卑弥呼の墓と噂される箸墓、この箸墓のすぐそばのムラも、かつてはグローブの生産地でした。 

 そう、奈良県は、グローブ(グラブ)の一大産地だったようですね。 そして、その原材料の皮革は、たぶん大阪の問屋などを経由して、わが故郷の姫路や龍野あたりから運ばれてきたものでしょう、少なくとも以前は。

 まあ、いまこのグローブにしても、その前段の革作りにしても、かつての生産量や就業人口からは、大きく減っているはずです。 でも、いまでもそういう産業に従事している人たちは、技術を高め、独自のアイデアで、世界の生産地との競争に負けず、生き残っている凄い人たちなのです!

 この鶴瓶の番組も、最近は、小規模だけれど、そういう職人的な技術のある人や家を訪問することが多くなっているような気がします。 そうであれば、今後も、こういうムラが紹介されることは、多くなるのかなあーと期待しています。

 今回、上にあげた2つの番組のような番組作りを今後もNHKが続けていってくれることを願っております。

 

※ ちょっと社会性のある(鶴瓶のは、表面的にはないが、実はある)テレビ番組のことを書きましたが、ここで、テレビ番組ついでに、最近の朝ドラと大河ドラマについて、私の意見を少し書きます。 

 まず、いまの”スカーレット”。 正月前までの喜美子と八郎の会話・カラミの部分は、これまでのドラマでよくあるパターンと違い、次のセリフが予想もできないような面白いものになっていました。 また、信楽弁をはじめ、結構このドラマでは、こってりの関西弁が多用され、それも好感を持っていましたが、新年明けてからの回は、夫婦の陶芸シーンばかりで、ドラマがあまりにもセセコマしくなり広がりに欠けていて、面白みがありません。 これから、再浮上(私の中で)あるかな?

 さて、満を持しての大河”麒麟がくる”ですが、ストーリーは、ともかく、美濃や堺、京都の言葉が一つも出てこない! さらに、昔ふうの言葉も、”わし”と”いくさ”ぐらいで、すべて”治療”などの現代語で会話が成り立っていた。 こんな平板で、ロマンのない、わかりやす過ぎる言葉の連続では、作品にのめりこめません。 ”国盗り物語”以来の光秀に、期待をしていたのですがーーー。

 

※ ちょっと、時間が経ってしまいましたが、またまた追加します。(2月14日) 最初に書いたドラマ「心の傷を癒すということ」ですけど、第3回で、父親が在日として苦悩したことが少し描かれていましたね。 ドラマ全体としても、やはり良かったと思います。 最後の方は、本人の死への向かい方みたいなところが中心に描かれていたと思います。 そして、それは、病気であれ老化であれ、もう還暦を過ぎてしまった私には、ある意味、深刻な問いかけをしているもの、でもありました。