(概観)人類誕生から邪馬台(やまと)国の成立あたりまで (3)

③ 人種形成(世界各地に分散したホモ・サピエンスの変異)(約6万年前から1万年前頃まで)

  さて、世界中に分散したホモ・サピエンスであるが、すでに述べたように元の人数が極めて少なかったので、人口は著しく増加したが、皆、遺伝的には非常に似通った遺伝子・DNA(遺伝子とDNAは、正確には異なる言葉だが、ここでは同義語として扱う)を持っていると言われる。 

 前回に書いたとおり、人類は、ヨーロッパやアジア・オセアニアなどには、約5万年前頃には到着し、その土地土地ですぐに気候や環境に順じた身体つくりをしていったと考えられる。 すなわち、表現型と言われる外見上の形質の差異が、生まれてくるのである。 つまり、人種が。 もちろん、人体の内部も多少人種によって異なってくるが。 ただしかし、再度言うが、全体として人類は、遺伝的には非常に似通った存在同士なのである。  

※ 私は、ここでは基本的に(違う言い方をする場合もあるが)、いわゆる白人系は、ヨーロッパ人、黃人系は、アジア人、アボリジニと言われるオーストラリア原住民は、オーストラリア人、ネイティブ・アメリカンやインディアの祖先は、アメリカ人などと、彼らが変異した地点の現在の名称を使う。 もちろん、黒人は、アフリカ人であるが、それは、出アフリカしないで残ったホモ・サピエンスを含め、その子孫でサハラ砂漠以南に定住し続けたアフリカ人たちのことを言う。 

 それで、アメリカ人は、到着したのが、2万年前以降であるので、当然、変化はその後に起こったが、5万年ぐらい前に住み始めたヨーロッパ人やアジア人、オーストラリア人などの祖先は、これもやはりDNAの分析から、比較的すぐにその変化が始まったと考えられている。

 さて、そもそも、出アフリカする前のホモ・サピエンスの外見、言わば基本形は、どのようなものであったのか、これは、非常に大事な事であると考えられるので、詳しく書く必要があると思う。 

 皆さんは、ブッシュマンという言葉あるいは人物を御存知だろうか? 今から40年近く前だろうか、ずばり”ブッシュマン”というタイトルの彼らの生活を紹介した映画が作られ、日本でもかなり評判になり、その主人公の男性は有名になった。 また、ホッテントットという人たちあるいはその言葉を、若い人は聞いたことがあるだろうか? 今、ホッテントットという名は、差別的だとして使われす、コイ(Khoi)人と呼ばれている。 ブッシュマンも、今はサン(San)人と言われ、この似通った2つの民族グループをコイサン人と総称する。 また、カポイドという表現もある。 実は、近年のDNA分析の結果、このコイサン人たちが、7万年前にアフリカを出たサピエンスに非常に近い存在であることが判明してきた。  

 まず先に、彼らの外見的特徴を書いていくと、身長は、現代人に比べれば、かなり低く、平均155cm程度(男性)。 体格は、細身でやや華奢と言える。 頭は、かなりの長頭(後頭部が後ろに突き出ている)。 顔つきでは、目の周辺には結構脂肪組織があり、鼻は小さくてあまり高くない。 頬骨の出っ張りは、結構めだつ。 つまり、いわゆるそんなに彫りが深い顔ではない。 唇は、そんなに厚くない。 頭髪は、非常に縮れて、頭にへばりついている。 あと、特に女性のお尻は脂肪が多く蓄積し、後ろにかなり付きだしている。 なお、皮膚の色は、そんなに黒くなく、薄い褐色の人が多い。 最近まで、この人たちの生活は、アフリカ南部で、狩猟や牧畜などの生活をしていたので、結構肌は露出していたのだが、アフリカの人類としては、それほど黒くはない。 それと、身体的特徴ではないが、現在のコイサン人の言語は、非常に多くの音素(特に子音)を持っているという。 もしかしたら、人類は、最初多くの音をもって会話を成り立たせていたが、のちに絵図や筆記手段などの方法を取り入れ、音での識別方法の依存を徐々に減らしていったのか?

 以上のような外貌も含め、DNAの結果から、彼らコイサン人(あるいはカポイド)は、現在では、いわゆる黒人のカテゴリーには含まれておらず、独立した人種グループとなっている。 今でも、よくテレビなどで出アフリカ前のホモ・サピエンスを紹介する際には、現在アフリカで主要な人種となっているバンツー系のような結構大柄でかなり色の黒いアフリカ人を例にする場合が多いが、7万年前に人口が激減してアフリカを出た我らの直接の人類祖先は、そうではなく、このコイサン人のような人類だった、と考えられるのである。 

 さらに、DNAの調査によって重大な結果が、判明している。 それは、現在、アフリカ南部のカラハリ砂漠周辺にだけ居住し、人口10万人程度のこのコイサン人集団内のDNAの変異の方が、それ以外の世界中の人類全体のDNA変異より大きいというのである。 

 つまり、7万年ほど前、このコイサン人たちは、今より北のアフリカの中南部に居住していたが、その内の極一部(数百人程度?)の集団が、アフリカを出て(おそらくソマリア半島経由で)、世界中に拡がり各地でいろいろ外見を変え(人種化)、そして今や全体で70億以上の大きな人口の集団に膨れ上がったというのであるが、この巨大な全世界の人類集団内の変異の方が、今アフリカの一部にだけいるこのコイサン人集団内の遺伝的変異より、小さいというのである。

  これは、同時に、アフリカで誕生したホモ・サピエンスが、7万年前までには、すでにかなり多様に変異をしていたことを示唆する。 そして、その期間は、7万年より長いことも言える。

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現在のサン人、ウィキより。 出アフリカをした我々の祖先は、おそらくこんな人達であったかもしれない。 しかし、アフリカを出て、すぐに外形的な変化を生じたと思われる。

 さて、ここで、出アフリカ(ホモ・サピエンスの世界ジャーニー)の具体的話に入る前に、環境によって起こる外見の変化について書いておく。 まず、一般に広い土地にいる動物の方が、狭い空間や島嶼にいるものより、体格は大きくなる(おそらく、数が増えやすい結果、大きな個体が生まれる確率も増え、その大きな個体の方が生存競争に勝ち残っていきやすいせいか?) 寒冷の地にいる動物の方が、体は大きくなるが、全体的に四肢は小さくなり、耳などので出っ張りも小さくなる(熱放散の効率化)。 日照時間のすくない土地の動物ほど、より白っぽい色になるなどがある(ビタミンDの生成能力など)、以上などが主な大きな変化であろう。

 では、いよいよ、このコイサン人に似た我々の直接の祖先の、世界ジャーニーの開始となるが、開始後すぐに、今のヨーロッパ人の祖先のような遺伝子をもった集団が出てきて、その後、アジア人やオーストラリア人が形成される、というDNA結果が出ている。 南北アメリカ人は、アジア人からさらに、北アジア・シベリア経由で変化していくことになる。

 もう少し、詳しく言うと、おそらく、今のイランあたりで、コイサン人に似た祖先は、ヨーロッパ人の元となった形に変化し、その一部はヨーロッパに行った。 しかし、この時のヨーロッパ人の原形は、今のヨーロッパ人のような外見ではなく、今の南部インドやニューギニア・オーストラリアにいるような人に似た顔や身体をしており、肌色については、彼らより若干淡い色であった、と私は考える。(オーストラリア人などは、最終地に定住後、さらに黒くなった?) 当然、ヨーロッパ人は、その後は、寒冷で日照時間の少ない気候に直面したり、ネアンデルタール人が比較的多くいる地域で彼らと接触するなどして、より現在の姿に近い変化をしていく。 一方、イランからインドや東南アジアに進んだサピエンスは(これも、すでに多少なりともネアンデルタール人とは接触があった)、多少の遺伝的変異を成しつつも、外見的にはあまり変わらずに、オーストラリアまで行き着いた、と私は考える。(※アフリカの残った集団以外、すべての人種は、ネアンデルタール人の遺伝子を多少なりとも持っている。)

 誤解をしてはいけないのは、今は、約5-4万年前頃のある一時期の人種分布を考えているのである。 つまり、ホモ・サピエンスの世界ジャーニーの初期の段階では、現代のコイサン人に似たホモ・サピエンスは、今のパプアニューギニアやオーストラリア人のような風貌をもった人間に変化し、今で言う中東からオセアニア(主に海岸沿いの地域を中心に)まで存在していた、と考える。

 

 同時に、偶然(気候環境による必然でもあったかもしれないが)かつ、遺伝的な変異の経過は別だが、アフリカに留まったサハラ砂漠以南の人類にも、同じような外形の変化を生じたもの、と私は考える(バンツー系の始まり?) すなわち、この1時期には、アフリカから中東・インドそしてオーストラリアまで、外見的には、ほぼ同じような人類だけがいた、と考えられる。(若干のアフリカにいるコイサン人系を除いて)

 その後、中東あたりから西及び北へ移動してヨーロッパに到達した集団は、寒冷で日照時間の少ない気候により狭鼻(寒冷な空気を肺に送り込まないよう、鼻が長く細くなった)になり、皮膚も白くなる。 また、ネアンデルタール人と出会った結果、そのDNAも幾分か混じり影響もでる(体毛が多くなる?)。  

 ニューギニアやオーストラリアに到達した集団は、その後の海面上昇などで移動の機会を失い、その地で、体の皮膚色がより濃くなる程度以外、あまり外貌の変化なしに進化していく。 一方、北及び東アジア人については、以前は、南方からの集団が先に定住し、その後北上して今の東アジア人たちに変わっていった、と私は考えていたが、最近のデータによれば、どうも北方系からの移動もかなりあり、それらが混ざりあった結果であるのかもしれない。 ただし、いまのところ、南から北上の方が、私なりには、説明がつきやすい。

 つまり、東南アジアにいた人々は、それまでにオーストラリアなどに拡がった集団の一部が、その地に残り、密林生活などの比較狭い空間にいたなどの理由から、体をやや小さくし、顔の骨格もやや凹凸の少ないものなっていく。 この集団が、さらに北上し、最終的にはシベリアあたりで、北半球で最も寒い気候に適応した外見に変化する。 つまり、まず、手足は相対的に短くなり、体全体は、東南アジア人より大きくなるが、より寸胴の体形になっていく。 頭は、より短頭になり、厳しい寒冷から体を守るため顔・体全体に脂肪層が多く沈着し、顔面の凹凸は、さらに小さくなる。 特に目の周りの脂肪沈着と小さい鼻は、この集団の容貌を他からかなり異なるものにした。

 なお、現在のヨーロッパでも、最北に住む集団は、目鼻が、南部ヨーロッパに住む集団より、やや小さめになる傾向があるが、この北アジア人のように顕著ではない。 そこまで、極寒ではなかったせいか? ただ、繰り返しておくが、現在の人種分布は、それ以降の人類の何度にも渡る移動で、かなり入り混じっものになっているので、注意を用する。 

 北アジア人の特徴にもどって、耳垢は、凍結を防ぐため乾燥化した。 ただ、皮膚の色は、ヨーロッパの北部にいた集団ほど、白くはならなかった。 これは、おそらく、日照時間が、北部ヨーロッパよりシベリアの方が長いかったもの(つまり晴天の日が多い)、と考えられる。 南北アメリカ人は、主にこの北アジア人の中で、特定の集団だけが、移動したと考えられる。 なぜなら、この南北アメリカ人は、広い範囲に移動定住したが、彼らも非常に小さな遺伝的差異しかない、ということが分かっているからである。 

 これ以降、各地に定住したそれぞれの人類集団は、その土地独特の食料を摂取などして、また、それぞれの生活様式を確立などしていく間に、少しずづさらなる変化を遂げていくことになる。 そして、再度言うが、人類は、これ以降も、特にアジアやヨーロッパでは、移動の繰り返しを行ってきたので、人種分布は、各時代でかなり変化していくことになる。

 これまで、私自身の考えも多少含めて、世界の人種の形成を考えてきた。 これは、もちろん、現在までのDNA分析の結果を基に、そこから考えられる範囲での推測である。 もし、これらの遺伝情報が、間違いがあれば、根本から話は変わってくる。 しかし、このDNA解析技術は、今後も発展し、より精密な人類史がさらに紹介されることになると思う。 今は、人間の持つ全遺伝子の内、主にY染色体とミトコンドアでの遺伝子情報から、このような結果を導きだしている。 Y染色体は、男しかない性染色体なので、父親・祖父・曽祖父といった父系の遺伝的経過を調べるものであり、ミトコンドリアは、もともとどの細胞にもあるのだか、精子が卵子と出会い卵子内に侵入する直前に、精子のミトコンドアは脱落してしまうので、受精卵には存在しない。 つまり、父親のミトコンドリアは、子供には引き継がれないようになっているので、女系だけの遺伝情報が得られる、というそれぞれの遺伝特性を調査しているのである。 

 しかし、これらは、まだ一部の遺伝情報であると言ってもいいのかもしれない。 今後も進む各個人単位の全遺伝子のゲノム解析などが、集団で比較できるようになると、画期的な結果が出てくることが大いに期待できる。 

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遺伝的系統樹、2008年雑誌サイエンス。 ウィキより。