(概観)人類誕生から邪馬台(やまと)国の成立あたりまで (1)

 唐突の感がありますが、これから、人類進化の過程から日本列島における最初の広域的国家形成のあたりまでの歴史を、好き勝手に私なりに書いてみようと思っています。 このブログは、ほとんど誰からも見られていないようなので、非常に気が楽ですし、一応まあ、常々私が思っていたことや想像していることを、今文章化しておきたいということだけなので、どうぞ悪しからず。 

 なお、以下の本文では、簡略化のため、~だ・~である調で記します。 

 

第1章 新たな食料を求めた結果の進化 

①人類の誕生(約800万年前から30万年前頃まで)  

 今、この世界に生きる我々現代人すべての共通の祖先である現生人類(ホモ・サピエンス・サピエンス、この用語は、多数のホモ属を列挙する際に、その細分化のために使われることが多いのですが、以下では、単にホモ・サピエンスとだけ表記します)は、アフリカ大陸の中東部で(今の国で言えば、タンザニアとかエチオピアなどの国々にまたがる広大な範囲のどこか)、今から約30-20万年前に誕生したと言われている。 誕生と言っても、当然、進化の継続した流れの中での出来事であるが。 そして、そのまた御先祖様は、約8-600万年前頃にチンパンジーから分岐したそうだ。 これは、化石の研究やDNAの分子時計の計測からも、それぐらいだと言われている。 ちなみに、現代人とチンパンジーの遺伝子的な差異は、1.5%程度でしかないらしい。 これは、馬とシマウマの差より少ない。 つまり、人間以外の動物からみれば、我々とチンパンジーは、相当そっくりなのかもしれない!?

 では、その頃分岐した今のチンパンジー類の動物と私達の祖先との差は、どこにあったのか? その人体的(?)いや解剖学的差異で言えば、それは、二足歩行に関わる各部位の構造の差であると言われている。 例えば、足の指や骨盤の形さらに背骨の湾曲具合や頭蓋骨と首の骨をつなぐところ(大後頭孔)の位置関係などなど。 しかし、肝心のどうやって我々の祖先たちは、この二足歩行を獲得していったかについては、未だ確定的な論拠・学説はない。 それまでチンパンジーやゴリラ、あるいはその祖先たちがいた森林の中で、我々の祖先も徐々に二足歩行の習性に変化していき、のちの平原生活でさらにその習性を特化させていった、という説がある。 実際、足型は、まだチンパンジーに似て親指が他の指に離れて向かい合っているのに、骨盤は、結構現生人類に近い化石人類も発見されているのだ。 ただ、それだけでは、なかなか二足歩行へのステップをうまく説明しているようには、私には思えない。 また、その二足歩行も足の形がチンパンジー的であるなら、かなり幼稚な歩き方であったろうし、そうなれば、猛獣たちの餌食になりやすく、にわかには納得しがたい説である。  

 私は、二足歩行への変化は、より画期的に比較的短い時間で起こったものと考えている。 その引き金は、それまでの食料の涸渇である。 上に紹介した説より、もっと急激に環境の変化が起こり、森に住んでいた我々の祖先は、新たな環境に果敢に立ち向かわなければならなくなった結果であると。 地形や気候の変動などにより森林の後退や乾燥化などの環境変化がいっきに起こり、それまで彼らが主に食料としていた葉や木の実が消失していった結果、彼らは、平原化した大地に降り、新たな食料を求めて、その生態や行動を変化していった中の一つが、二足歩行であったと考える。

 この新たな動物・我々の遠い祖先は、それまでの森林にあった葉っぱや木の実から、比較的低い場所にあったり地上に落ちた木の実や根などを採取し虫などを捕食するために長い時間歩かなければならなかったにちがいない。 そして、そのことにより、二足歩行をより発達させていくと同時に、前足つまり手が、様々な動きができるよう変化・進化を遂げていくようになったのである。

 しかし、そもそも類人猿、いや猿の仲間は、どうして他の哺乳類と分化していったのか? 何千万年も前の哺乳類は、サイズこそ違え、ネズミや犬あるいは豚やバクのような鼻が長く前に突き出た動物ばかりであった。 それらは、恐竜たちの活動が弱まる夜・暗闇でも主に嗅覚で虫などの獲物を捉えられるように、そういう器官が発達してできた結果であるらしい。 しかし、恐竜なきあと、日中に活動ができるようになると、視覚で捕食しようとするものが現れる。 それを叶えるのには、正確な焦点が必要で、そのため両目の間のバリアとなっていた鼻の部分を平たくして、両目で一つの物が見れるようにしていったのが(たとえ視野が狭くなっても)、顔の平たい原始の猿類の出現の一つの大きな理由であると言えよう。  

 それで、人類の方に話をもどすと、先に書いた二足歩行の痕跡を示す化石人類の後、約4百万年前ぐらいになると、あのルーシーで有名なアウストラロピテクス類が登場してくる。 この二足歩行の確固たる証拠をしめすほぼ完全なアウストラロピテクス・アファレンシスのメスの骨格標本が、ルーシーと名付けられたのは、その人類学者が、この貴重な化石を発見した時、そのキャンプ周辺のラジオで流れていた曲が、あのビートルズの有名な”ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンド”であったためだ。(この話は、昔NHKの番組(BBC制作)で、当の本人たちが言っているのを見た。)  

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アウストラロピテクス・アファレンシス(ルーシーのような)復元模型。。ウィキより。

 ただ、このアウストラロピテクスの段階は、まだ本当の意味で人類とは言えないのかもしれない。 このチンパンジーとほとんど同じような体毛を持ち、直立姿勢を保って歩く動物は、脳のサイズでは、まだほとんどチンパンジーなどとそんなに大きな差はなかったからである。 やがて、彼らは、他の猛獣が残した動物の死骸などを含め、食生活の多様化つまり雑食化して生存競争を生きぬいていくことになる。 

 この雑食化すなわち肉食化こそは、彼らの身体の変化という点で、また劇的な役割をもつことになる。 タンパク質など栄養価の高い肉を食するようになり、人類は、栄養やエネルギーが多大に必要な脳の肥大化を可能にしていったのである。 正に、血となり肉となる、である。 それは、手の動きの複雑化によっても、相乗な効果を発揮したにちがいない。 その結果、知能がより発達していった。      

(※昨今では、ヴェジタリアンとか、さらにもっと過激なヴィーガンとかいう人たちがいるが、成人は、ともかく、彼らの子供たちにそういう食生活を勧める人がいるが、私は、栄養面で完全な代替品が出来ない限り、未成年にそういうことを強いるのは、脳や諸器官の発達という点において、非常に危険であると考えている。)

 ともかく、そして、ついにホモ属つまり正真正銘のヒト属の誕生となる。 ここでちょっと書いておくが、かつて教科書などでは、猿人ー原人ー旧人ー新人といった用語を用い人類の進化を表現していたが、この表現は、今は、誤解を生むというより、誤りであるとされているので、現在では、あまり使われていないと思う。 ただ、猿人と原人という言葉だけは、いまでも、結構使用されているので少し説明すると、上に書いたアウストラロピテクスを含めそれ以前の人類が、猿人にあたり、今から書くホモ属の初期の人類が、原人にあたる。 なお、ここで私が使っている”人類”という言葉は、一応、チンパンジーと枝分かれ後のすべての人科の動物と理解されたい。 

 さて、その原人である初期のホモ属だが、なぜ、これらの種は、ホモと呼ばれ、それまでの種は、アウストラロピテクス属なのか? 決定的な要素は、やはり頭の形であろう。 アウストラロピテクス属の頭蓋骨は、チンパンジーのそれとあまり変わらないが、ホモ属になると、かなり後頭部に丸みが出てくる。(しかし、現代人に比べれば、まだかなりの長頭である。) もちろん、中に収容できる脳の容積も増えていった。 それと、やはり出現時期に大きな差がある。 アウストラロピテクス類は、だいたい400万年前頃に出てきているが、ホモ属の一番早いのでも250万年前程度である。

 一番最初の方に登場したホモ属は、ホモ・ハビルスと言われている。 そして、そのあと200-180万年ぐらい前に、ホモ・エレクトスというホモ属が出現して大繁栄する。 おそらく、人類史上最長の繁栄期間を謳歌した種であると言える(100万年間以上)。 このホモ・エレクトスは、火や石器なども使っていた。 また、彼らは、のちのホモ・サピエンスが行った世界拡散(いわゆる”出アフリカ”)を、すでにこの時期に成し遂げていたのである。 そして、その子孫と言うのか、その系統の人類が、アジアなどで多く見つかっている。 昔からよく知られる北京原人やジャワ原人などがそうであり、彼らは、かなり最近まで生存し、我々の直接の祖先ホモ・サピエンスと遭遇していたかもしれないとさえ言われている。 

 このエレクトスの特徴をもう少し詳しく言うと、彼らは、既に述べたように脳の容積が増し(600-1000cc)た結果、知能に優れるようになり、石器などを使った本格的な狩りができるようになる。 食物に火を使った加工ができたので、生肉や木の実を食べるのに必要な長い消化器官は要らなくなり、その分、余計に脳や四肢の発達に栄養をまわせた。 その身体の大型化に比例し、足腰の筋肉も非常に発達する。 それと同時に、体毛は減少し肌が露出して汗腺が発達したので、汗による熱放散で長距離・長時間の走行・運動が可能になった。これは、現代人でも少し練習をすれば、かなりの長距離走が可能になることからも、理解しやすい。 ただし、現在の馬なども汗腺が発達しよく汗をかくが、狼や犬などより持久力はないと言われる。 このあたりの細かいことは、専門家なら区別ができるのかもしれないが? とにかく、エレクトスたちは、集団で知能を使った賢いハンティングも(象などの大型獣)、体力を使った持久戦のハンティングも(鹿のような草食獣)できるようになったのである。 だから、大繁栄したのであろう。

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ホモ・エレクトス「女)の復元。 ウィキより。

 さて、アフリカに残ったホモ・エレクトスの系統は、さらに進化を続け、その後、我々の直接の祖先・現生人類が出現し、その一部は、やはりアフリカを出て、世界に拡散するわけであるが、しかし、ここにもうひとりホモ・サピエンスよりも先にアフリカを出て、今のヨーロッパを中心に生存した人類がいる。 ホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)である。 ただ、彼らのアフリカでの出現は、ホモ・サピエンスよりも先かほぼ同じであることはわかっていても、どのように出アフリカを成し遂げたかは、今のところあまりはっきりしていない。 

 ともかく、このネアンデルタール人と我々の祖先は、その出会った場所で多くの戦いをしただろうけれども、同時にある程度は、混血が起こっていたようでもある。 そして、その結果、ネアンデルタール人のDNAの痕跡が、今のヨーロッパ人やアジア人には、数%存在するらしいのである。 アフリカ人には、それがないらしく、このこと自体が、また我々の祖先ホモ・サピエンスの出アフリカ説を裏付けるものとなっている。 

 さて、ここまで我々の直接の祖先・ホモ・サピエンスの出現直前までを見てきたが、これは、結果論的な見方であり、極く主要な種類の人類しか列挙していない。 つまり、あみだくじをして、その逆さから答えを早く見つける時にやるあの方法と同じなのである。 実際は、あみだくじそのもののように歴史は動き、チンパンジーから別れた人類は、各段階で多様な変化を起こし、多くの人類集団が生まれては消えしたことは、様々な化石が証明している。 その中には、ゴリラよりも大型化した人類も含まれている。 

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ホモ・エレクトスの分布。 更新世中期(120万年前頃?)。 ウィキより。