(概観)人類誕生から邪馬台(やまと)国の成立あたりまで (2)

② ホモ・サピエンスの出現と出(しゅつ)アフリカ(約30万年前から7万年前頃まで)

             

 前回は、一応、ネアンデルタール人まで書いた。 まず、追加で言及しておかなければいけないのは、年代表記のことである。 近年、多くの科学的測定の結果、各事象がより以前(早期)に出現や発生をしていた、と報告される傾向が多く見られる。 日本における弥生時代や古墳時代の開始時期などもそうである。 

 前回示したホモ・サピエンスやネアンデルタール人の出現時期も、いまでは、もっと早い時期であると言う学者も多い。 いずれも50万年前ちかくから始まったという説もあり、近い将来、その数値に近い物証が出てくるかもしれない。  ただ同時に、あまり細かい数字を並べても、私は、あまり意味のないことだとも思っている。 相対的な流れ、論理的な説明の付く流れの中での位置関係が大事だと思っている。

 ここで、疑問が出てくるのが、前回も少し書いたネアンデルタール人の出現についてである。 比較的最近までは、彼らは、我々の直接の祖先・ホモ・サピエンスと同じようにホモ・エレクトスから進化したと言われていた。 つまり、昔よく言われていた、原人(エレクトスなど)→旧人(ネアンデルタールなど)→新人(サピエンス)といった流れではないものとして。

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ネアンデルタール人の頭骨、約5万年前。ウィキより。 現代人(サピエンス)に比べ、眉のあたりの隆起が目立つのと額が狭く頭は後ろに長く突出(長頭)。 ただし、脳容積は、現代人とほぼ同じ。

 しかし、問題は、彼らの化石は、アフリカでは、ほとんど見つかっていないということがある。 だから、アフリカのどの辺りで進化したのかも、はっきりしない。 一番近い発見現場は、今のイスラエル近辺で、ほとんどは、ヨーロッパやアジアでの発見である。(彼らの近縁種といわれる人類種が、中央アジアに拡がったようだ。) 

 しかし、ここにきて近年、ハイデルベルク人(ホモ・ハイデルベルゲンシス)という新たな種が、注目されてきた。 彼らは、アフリカで70万年前頃、ホモ・エレクトスから進化し、のちにアフリカを出てヨーロッパ方面に進出し、そこでネアンデルタール人に変わっていったという説なのである。 同時に、アフリカに残ったハイデルベルク人は、今度は、サピエンスに進化していったという、正に画期的なミッシング・リンクの登場と言える説がでてきた。 つまり、このハイデルベルク人が、サピエンスとネアンデルタール人の共通の祖先であると。 果たして、そんなにうまくこの人類史のストーリーが展開していくのだろうか?

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欧州にいた4万年前のネアンデルタール人女性(復元)。 ナショナルジオグラフィック日本版より(2020年10月24日追加)

 もうひとつ、この関連で私が疑問に思うのは、ホモ・エレクトスが、過去100万年程の間に何度も世界へ拡散したと思われるが、なぜそれぞれの地で、大きく進化しなかったのかという点だ。 その点では、私は、アジアなどでも、エレクトスの進化がいろいろあったものと推測している。 実際、エレクトスにも、いろんなサブ・タイプと言われる化石の種類が見つかっており、よりミッシング・リンク的な形質をもった人類が、そのあたりに出現したが、いままでのところ発掘に成功していないだけ、であるのかもと。 あるいは、形質的にあまりサピエンスとの差がないものまでいて、見過ごされてきたなどという可能性も、ゼロとは言えないと思う。 そうでないと、なぜアフリカにだけホモ・エレクトスの進化が起こったのか、説明が難しい。 

 考えられるとすれば、アフリカのエレクトスの人口が、圧倒的に他の地域より多かったせいなのか? 絶対人口が多ければ、遺伝的変異も起きやすい。 では、なぜ、人口が多かったのかは、そこに十分な食料があったせいであろう。 このつながりは、容易に想像できても、ではなぜ、アフリカ(ホモ・サピエンスの場合、恐らく東南部)だけ、食料が十分あったのだろう? それは、今のところよくわからない。 今後、それを裏付ける気候条件などの詳しい情報が、出てくるかもしれない。

 ここで、現生人類の場合、他から隔離された小さな集団では、得意なタイプの新しい遺伝的変異が起きやすいと思う人がいるかもしれない。 例えば、イヌイットやオーストラリアのアボリジニのような存在、さらには、我々シベリアや東アジアの人間もその風貌からそういう存在であるのかも?(人口は多いが) 確かに、特異な環境や狭い空間では、表現形質は、変化しやすい。 ただし、現生人類の場合、そういう変化は、遺伝子変異レベルで見ると、非常にまだ小さいということのようである。 エレクトスからサピエンス(あるいは、ハイデルベルク人)に変化したような大きな変異ではないということのようだ。

  さて、私達の祖先・ホモ・サピエンスに至る進化の直接の引き金、この大きなテーマは、もちろん、今のところまだよくわかっていなし。 それとまだ、サピエンスが、ハイデルベルク人から来たという確証もなく、エレクトスから変化したという研究者もいる。(ハイデルベルク人は、エレクトスの1種という考えもある。) 恐らく、このハイデルベルク人については、まだその発掘数が少ないせいなどで、我々一般人が納得できるほどの仮説が提示し難いところがあるのかも、と想像する。  

 いずれにせよ、アフリカで、約30万年前頃に、ハイデルベルク人か、あるいはエレクトスから直接か、あるいは別の近種からかはわからないが、ホモ・サピエンスが、出現するのである。 その何がしかの遺伝的変化が、アフリカのどこで、そして、なぜ起こったのであろうか? 

 ひとつ言えるのは、これまで述べた脳のサイズが、大きなカギを握りそうである。 チンパンジーや最初にそれと分かれた人類の脳の大きさは、400ccぐらいであったが、それからざっと500万年くらいかけて、その倍の1000cc近くになる。 その後、エレクトスの後半の時代からホモ・サピエンスが誕生するまでの約100万年以内の短い間に、さらにまた500cc増えて1500cc前後の大きな脳に進化するのである。 この脳容積の急速な増大により、彼らの使う石器は、より高度なものになり、集団での狩りは、より複雑になり(ただし、脚力はエレクトスより劣るかもしれないが)、彼らの食料確保は、順調に進んでいったものと考えられる。

 ということで、アフリカで生じたサピエンスは、だんだんと人口を増やしていったことだろう。 彼らには、より高度な知能があり、言語を操って集団で行動するといったことで、近隣にいた他の人類集団を駆逐していったと考えられる。 そして、後で詳しく述べる7万年前頃の私達の本当の祖先にあたる極少人数のサピエンスが成しえた出アフリカを、すでにそれまでに幾度も達成していた(移動範囲は、それほどでもなかったかもしれないが)、と私は思う。 しかし、彼らが誕生してから恐らく10万年以上経過したのち、このアフリカやその他の地域にいるのサピエンスたち、そして他の人類種にとっても、壊滅的な大事件が、突如起こる。 

 今から8ー7万年前頃、インドネシア・スマトラ島にあったトバ火山が、大噴火を起こしたのである。 これにより、全世界の人類は、ほとんど死滅したと言われる。 これまで、何億年年も前の地球の全凍結が、多くの生物を絶滅近くに追い込んだり、あの恐竜たちを死滅させた6600万年前のユカタン半島への巨大な隕石衝突などと同じようなことが起こったのである。 極少数のアフリカにいたサピエンス(一番温暖な地にいた?)とヨーロッパにいたネアンデルタール人(寒冷化に対応できた?)以外は、この爆発から出た火山灰の堆積による食料の消失と、それによって引き起こされた寒冷化によりほぼ全滅した。

 この説が、非常に説得力を持つのは、その後すぐに地球の寒冷化が始まったということと、極少数のサピエンスの遺伝子しか現在の世界中の人間は受け継いでいないという事実があるからである。

 この直前には、アフリカでどれくらいエレクトスなどが存在していたのか、ほとんど既にサピエンスにとって代わられていた可能性も大きい。 しかし、アジアにいたエレクトスたちは、それまで確実に存在したようだが、どうやらこの噴火で壊滅したと思われる。 だから、上に書いたようなある程度の進化的変化が起こっていたとしても、その人類たちは、生き残れなかった。 アジアの方が、もちろん、この火山爆発の影響をより強く受けたことは、想像にかたくない。(この噴火による火山灰が、100cmも積もった地域があるとも言われる。) 

 ただし、もしDNA解析がなかったら、現在でも、そういう仮説(つまりアジア人は、アジアのエレクトスから進化した)ということを主張することは、できたかもしれない。

 それで、おそらく、アフリカで生き残ったサピエンスは、噴火後すぐにいままでの土地を離れ、より食物の豊富な場所を探して移動を始めたのであろう。 幸いと言うのか、寒冷化し氷期になったことで、海面が沈み陸続きが増えるなどして、大陸や島々への移動が、それ以前のサピエンスの拡散(仮にあったとしても)よりはるかに容易であったことだろう。

 その拡散(真の出アフリカ)だが、6-7万年前にアフリカのアラビア半島近くからアジアに行った集団と、今のシナイ半島やパレスチナ経由の移動で各地に分散したという説があるが、このDNA分析で、この時、出アフリカしたホモ・サピエンス集団は、非常に数が少なく数千人以下ではないかと言われているので、これは一つのルートから全世界に拡がったと考える方が、理にかなうと思う。 そして、それは、今で言うソマリア(エチオピアのすぐ隣)などの沿岸を経由してアラビア半島南部にたどり着き、その南岸を通ってさらに今のイランやインドを経て、はるか東アジアやオーストラリアにたどり着いたものであると。 また、イランあたりで逆方向に向いヨーロッパに至ったグループもいた。 そういうグループの中には、また南下して、いまのイスラエルやシナイ半島経由でアフリカに戻った集団もいたはずである。 ただし、彼らは、サハラ砂漠以南には、行かなかった。 そして、ご存知のようにシベリアとアラスカは、陸と氷で繋がっていたので、北アジア・シベリアから北アメリカを経由し南アメリカの最南端までの移動できた。 その移動時間だが、インドあたりまでは、1万年とかかっていない、アジアやオーストラリア、ヨーロッパでも2万年以内、つまり今から5万年前には到着していたと言われる。 最果ての南アメリカ南端でも、今から1万年前までには達成した。 ただし、太平洋の島々へは、かなり遅くなった。(3-2000年前頃)

 この、いつごろ各地にたどり着いたかは、その後の変異つまり人種差を見る上で、非常に重要になってくる。 それと、ヨーロッパで、まだ生き延びていたネアンデルタール人は、3-2万年ぐらい前まで生存していたというので、ここで両者が衝突あるいは融合した期間がうまれた。 

 このように、各地に広まった人類は、その土地土地で、その進化した脳を用いて、いろいろな技術を開発していくことになり、また、同時にまだ環境の影響が強いので、それぞれの土地の気候に応じて、その身体を順化させていくのである。 これが、人種の始まりだ。 そして、それから約1万年前頃になると、やっと寒冷化がおさまり、温暖化が進むことになる。 これが契機となって、人類は、自然にある食料を採るだけでなく、自分たちで植物を生産するつまり栽培する技術を獲得していくのである。 

 次回は、その人種形成の状況をもう少し詳しく書きたいと思う。