そのチャットの感想は?

 天皇と会話をしたなどという話題は、あまりにも突拍子もないことですし、何か自慢しているように思われても嫌だったので、このことは、姫路の実家の姉を含め2~3人にしか話してませんでした。

 このとき、まだ、父は元気だったので、そのことをもし話してたらどうなっていたか、簡単に想像できました。 恐らく、近所や父の友人に、私のことをとても自慢して、また、話を大きくして語ったろうと思います。 私たちの家でも、1965年頃までは、神棚の横に昭和天皇・皇后の写真や今の天皇・皇后のご成婚の時の写真がありました、日本中どこでもそうだったように。 そして、天皇に対する畏敬の念を、私の親の世代の人たちは、皆、持っていたように思います、自分たちの身分と無関係に。

 でも、もし死ぬ直前に、父に会えていたら、私はこのことを父に言ったかもしれない。 父に喜んでもらってから逝ってもらいたかったということと、本当は、でも実際どのような反応をするのか、見たかったというのもあります。

 で、その感想は、と聞かれても、はっきり言って、何もないということです。 右翼の人には、申し訳ないけど、特別なオーラも感じなかったし、特別緊張したわけでもありませんでした。 やっぱり、オーラなんて言うのも「思い込み」でしょうね。 「主夫」と言ったら、無視されたなあ~~、というぐらいです。 でもまあ、実際に1~2分間、話をしたということで、以前のような天皇に対する厳しい思想信条は、やはりその後は、徐々に薄らいでいっているのかな~という気はします。

 昔、アメリカとソ連の冷戦の時代、”どのようにすれば、この2国間に戦争が起きないようになるか”ということを書いた本を読んだことがあります。 その著者の答えは、結局、アメリカ人とソ連人が、市民レベルでもっと交流していかなければならない、というものでした。 つまり、実際に会って、互いに意見を言い、議論し、認め合っていくということでしょうか。 そうなれば、国が戦争したくても、多くの国民同士は、そんなことは許さない、といった感じです。

 まあ、冷戦は、もっと別のところで、終焉を迎えましたが、この著者の考え方は、普遍的なものがあると私は思います。 国の戦争の話と、私個人の天皇観とは、一見だいぶ違いますが、根源的なものは共通のような気もします。 実際、天皇と会うなどという機会は、宝くじに当たるか、交通事故に遭うかというぐらいの確率だと思いますが、要は、いずれの問題でも、その問題をオープンにし、皆で議論し、より正確な情報を得ていけば、すべての世にある問題は、解決していくのではないかと思うのです。 

 現実の事象は、表面的には、もちろん変化しますが、結局、すべての問題の解決というのは、人間が、そう思い込むことで、納得していく、あるいは、受け止めていく、ということにほかならないと思うからです。 

 次からは、ちょっと柔らかい(?)話題にしたいと思います。 まず次は、天皇さんにも無視された「主夫」という仕事について、書きたいと思います。