天皇さんと、ちょっとチャット(1)

 これまで、私のブログを見ている人は、いずれ私が、天皇制のことについて書き始めるだろうと、想像していた人もあるかと思います。 部落問題を言うとき、やはり、その反対の頂点にある天皇というものについて、何らかの指摘が無いとおかしいと思うのは当然でしょう。

 しかし、そんなことは、すでに何冊も本に書かれていることで、浅学な私の意見を書いてもしょうがないので、本来なら、書くことは無かったのですが、実は、この私と私の妻は、数年前、天皇・皇后と会い、すこし話をしたことがあるので、たぶん、多くの人の興味のあるところだと思うので、その関連の話をしたいと思います。

 若いときは、もちろん天皇制に強く関心がありましたし、厳しい意見を持ってました。 まあ、50歳を越えたいま、そこまでの意見もないし、日本国民の過半数が、容認しているので、それはそれでしかたがないなあ~~という感じです。 でも、仮に今、天皇制の存続についての国民投票でもあれば、やはり
廃止の方に1票を投じることは間違いありません。

 そして、今思うことは、この経済危機、そして国や地方公共団体の膨大な借金、超少子高齢化の進展の中、今後の日本国民の生活を思うとき、あの天皇家の周囲にある"宮様”という存在は、非常に存在意義の少ないものであるということです。 私は、彼らの生活を支えるために国からどれだけの予算が投じられているか知りませんが、相当な額であることは間違いない。 将来、もし直系が絶えたときの予備的なものにという考えはあるでしょうが、果たして、そういう傍系からなった天皇に、国民がいままでと同様の感覚を持つかどうかは、はなはだ疑わしい。 女性あるいは女系の天皇の実現すら、大きな問題になって前に進まないというのに。

 こちらアイルランドでは、経済危機に伴い、あらゆることが、人々の中でうわさされたり、公に議論されたりしています。 国会の2院制を廃止し、1院制にしようとか、実際の政治的権力のないおかざりの大統領制を廃止しようなどです。 実際に、そうなったわけではわりませんが、議論はいまでもくすぶっています。 私は、現在、日本に住んでいないので、細かいところまで、世論の動向をしりませんが、そのような「事業仕分け」を超えるもっと大胆な議論は、今の日本に無いと思います。

 私は、何も天皇家をなくせ、と言っているわけではありません。 その横にくっついている宮家というものを廃止したらどうかと言っているのです。 ついでに言いますと、私は、男女同権の立場から、女性の天皇、大賛成です。 雅子さんには、頑張ってもらわないと。

 私が、古代史にとても興味があるのも、一番大きな理由は、天皇家がどこから来たかということが知りたいためです。 ご存知のとおり、時の権力者は、歴史を好きなように変えれるということがあります。 徳川家康もそうです。 本来、将軍になれる源氏の血筋ではありませんでしたが、権力があればそんなことは、なんとでも文書などを改ざんして実現できるわけです。 多くの武将や貴族の出自も、研究者によって、その実態が解明されているのは、事実です。 が、何せ天皇家は、日本史の第1ページになるので、いまある文献や資料では解明できないというのが、現状でしょう。 

 近年の考古学の発展で、奈良県の纏向遺跡が、邪馬台国(これは、ヤマト国と読むのが正しい、と私は思ってます)の所在地であると、ほぼ確定されています。 そして、その女王ヒミコの墓も、桜井市にある箸墓であるという説が、非常に有力です。 その箸墓は、記紀によれば、実在した中での初代天皇と言われる崇神天皇の叔母にあたる女性の墓です。 崇神天皇の墓も箸墓のすぐ近くです。 こう考えると、邪馬台国は、のちのヤマト王権(大和朝廷)の前身であったことは、ほぼ間違いないと言えるでしょう。

 となれば、ヒミコが女王になったのは、西暦で180年頃だという説があり、このころに奈良のあのあたりで、有力な豪族が、天皇家になっていったと考えられます。 それは、物部氏であるとか、朝鮮半島の有力者であったとかの面白い説はいろいろありますが、そこはまだ、科学的な検証が入ってないエリアだと言えます。

 今の天皇もご自身が、「平安京を作った桓武天皇の実母が、朝鮮半島の出身であるというのを知り、半島との親近観がより一層増した。」という意味のコメントが、2002年の英語版のニューズウィークで出ていました。 もちろん、桓武天皇は、その後のすべての天皇の始祖になります。 この記事は、日本版では割愛されたと記憶しています。 また、天皇家と朝鮮半島とは、それ以前は、もっともっと深い縁故が、あったろうということは、容易に想像できます。