私自身の差別体験(2) そしてもっと大きな歴史

 一年浪人してから、大学に入りました。 ほんとは、この時代にいろんな事をもっと勉強して、広い視野を持たなくてはいけなかったのに、私は、しませんでした。
 
 差別の問題にも、面と向かって取り組んだとは、全くいえません。 同じクラスメートが、「自分は、有名な武将の子孫にあたる。」などと偉そうに言っているのを、知らん振りして聞いているだけでした。

 そして、社会人となって、前に書いた失恋のことがありました。 もうひとつ、似たようなものがあります。 金融関係に勤めている私の幼馴染の友人が、ある女性とのデートを喫茶店で設定してくれました。 はじめ、その女性と私は、楽しく歓談していたのですが、その彼女が、私の住所を聞いてきたので、正直に答えたところ、もうその瞬間に機嫌が悪くなり、席を立ち、喫茶店を出て行きました。

 こんな、あからさまな態度は、初めてでした。 私は、このときは、以前のワクチンが効いていたので、何のショックもありませんでした。 ああ、それだけの女なのだと。 でも、その女性と友人の懇意な関係も、恐らく壊れたんだろうと思うと、その友人には、申し訳なかったなあと、当時思いました。

 私個人の差別体験は、こんなものです。 大したこと無いといえば、大したこと無いです。 二度ほど、女から否定されただけです。 「そんなこと全然関係ない。 あなたと一緒に暮らしていきたい。」と言ってくれる女性も、もちろん何人かいましたし、そのことは、非常に私を勇気付けてくれたことも事実です。 

 それから、比較的最近でも、それまで、わりと頻繁に手紙を交換していた人が、私が出自を語ってから、急に手紙が来なくなるといったようなことがありました。

 しかし、まあ、こんな私の苦い体験より、もっともっと悲惨な経験を、多くの人が味わってきました。 最後に、私の両親が、語った話をします。 私の母は、あまり自分のことを話しませんでしたが、母の知り合いの何人かは、生活の苦労からか、海外へ移住した人もいると言ってました。

 私の父は、典型的な「飲んだくれ」のタイプで、土方作業のあと、酒を飲んでは、母を困らせていました。 でも、その父は、ときどき末っ子である私に、過去の栄光か、父の父つまり私の祖父の話をよくしました。 

 父の話では、江戸時代末期(弘化年間)の生まれの私の祖父は、村でも一、二番の金持ちで、土地持ちであったと、そして、区長(村長のようなもの)も何回かなったようです。 家には、刀も飾ってあり、紋付の羽織袴も着ることもあったと、よく自慢していました。 こういう自慢話ばかりでしたが、あるとき父が、ふとこう言いました。
 
 「おまえのおじいさんは、偉い人やったけど、隣村(一般の)の区長さんの家に行くときは、その玄関先から、ひざまづいて玄関に入って行かなあかんかった」と。 この話が、本当かどうかわかりませんが、十分に考えられることです。 まだ、戦前ですし。 そのようなことを聞いたとき、まだ十代前半だった私は、本当の差別の恐ろしさを、肌で感じた気がしました。


(注:祖父は、明治15年生まれでした。弘化年間の生まれは、曽祖父でした。ウル覚えで書いてしまいましたが、何か、ちょっと古すぎるなーと思っていました。 このたび、昔調べた系図のメモが出てきたので、修正しました。2013年12月。)