部落の出身であることーーー(2)

 私が、ここに私の出自を書く前に、一応、このヤフーブログで、どのくらいこの話題が書かれているか、見てみたのですが、やはりあまり多いとは言えませんね。 そんなに詳しくチェックしたわけではないのですが、特に、自分のことを述べているのは、とても少ないように思います。

 まあ、だから、私が今ここに書いていることは、ある程度、パイオニア的で意義があることだと思い、もう少し書こうと思っています。

 ただ、このブログを見ている人にとっては、あなたは、部落出身ということで、以前の職場におられなくなって、外国に行ったのではないか、それが本当の理由だろうと、思う人がいるかもしれません。でも、本当にそうではなく、前に書いたように、世界中の人間と対等に議論し合い、自分が精神的にもっと大きな人間になりたくて、仕事を辞め、日本を出たのは本当の気持ちです。
 
 私個人の特定というより、私がここに書いた、あるいはこれから書く人々が、特定される恐れがあるため、これまで、私は、自分の仕事の内容を詳しく言うのは、あまりしたくなかったのですが、今後の記述に不便を感じるので、私の専攻などを言いますと、私は、獣医師として県に採用されました。 だから、県庁では、畜産業の発展のために、働いていたつもりです。 で、その県庁では、そのもっとも上層部にも部落出身のすごく優秀な職員がいるのを私は知ってましたし、同じ農林部でも優秀な上司を知っていたので、私が、自分の出自のことで、職場にいられないと感じることは全くなかったのです。
 
 もちろん、私のまわりで、同じ獣医職でありながら、部落に対して非常に否定的な言動を、私の目の前で、する人もいました。もちろん、私が、部落出身であるとは知らずに。 ご存知のように、畜産業というのは、特に関西の場合は、部落の人間や産業と直接あるいは間接の関わり無しに成り立ちません。 つまり、そういう人間は、自分の仕事のもとである存在に対して否定しているのです。 税金で飯を食っている公務員として、最低ではありませんか。 部落が嫌なら、その仕事を辞めればいい! 

 それから、部落問題に関して、最後に述べてみたいのは、政治的組織のことです。 私は、今現在、部落の組織がどうなっているのか、詳しくは知りません。 しかし、以前は、解放同盟や全解連などの組織がありました。 社会党、共産党、自民党などをバックにする団体です。 いまでもこれらの団体が、そのままあるのか、よく知りません。 でも、弱い立場の人間が、団結して権利を勝ち取っていくという考え方は、もちろん賛成です。 それらのおおもとになる水平社は、大正期、底辺の民衆らが自ら立ち上げた日本史上画期的な民主主義団体であったと、私は誇りに思います。

 解放同盟が、以前やっていた、大勢で個人を威圧的に糾弾するというやり方は、やはりよくなかったでしょう。 たとえ、相手が差別的な言動しても、大人数で威圧というのはどうかと思います。 しかし、それよりも私には、共産党系の全解連の考え方の方が、もっとわかりませんでした。 彼らの考え方は、部落差別は、もうあまりひどくない、だから、世の中のすべての差別問題と一緒ににして取り扱うべきだ、というものです。 

 しかし、この日本で、いったいどれくらい、すべての非社会的な差別や偏見の問題を網羅して問題視できる人間が、いるというのでしょう。 いろんな事件が、社会的に大きな問題になるのは、そのことに関する事件が起きてからです。 猟銃所持の危険さは、無差別殺人が起きてから。 危険な新興宗教の問題は、実際の事件がおきてから。 酒酔い運転の問題は、酒酔い運転での無残な殺人が起きてから。 冤罪問題は、その冤罪が発生してから。 肝炎被害の問題は、肝炎被害の実態がわかってきてから。 原子力発電所の設置場所の問題は、事故が起きてから。 などなど。
 
 当然です。 だれもそんなに、いろんなことを一人で理解できるわけもないし、行動出来るわけもない。 共産党の部落に対する考えは、まさしくそういう絵空事だったと、私は考えます。 社会主義や共産主義の定義とか理想というものは、文章に書けば素晴らしいと、いまでも私は思います。 でも、悲しいかな、我々、普通の人間には、その崇高な理想は、ほど遠いのです。 無理なのです。 我々は、社会の矛盾について、ここのケースを詳しく追求していくしかないと、私は、信じてます。
 
 最後に、この私の出自についての私のアイルランド人の妻のリアクションを書いて、このことを一応くくりたいと思います。

 私が、妻と付き合いだしてから、しばらくして、私は、以前の失敗もあったので、私のことを、きちっと早めに告げようとしました。 その時、これも車の中でしたが、その話をする前、私がとても真顔だったので、後で聞きましたが、彼女は、私が、日本で犯罪でも犯した人間だと言い出すのでは、と予想したそうです。 でも、実際は、私の生まれた故郷のことだったので、”なんだ、そんなことか。 そんなもん、なんでもないよ。”という意味のことを言いました。 これが、一般的な西欧人の考え方かと思い、安堵したことを覚えています。