Gacktに便乗して、差別ということについて(私の総括)

 今ネット上で、芸能人のGackt(ガクト)という人のブログ記事が話題になっています。  フランスでの自身の人種差別体験なのですが、私も、もう一記事だけ「差別」に関連したことを書きたいとずっーと思っていて、その機会を失っていたのですが、今回ちょうどいい機会だと思うので、今後少なくとも数年間のホントのホントに最後の記事になるかと思いますが(100%の自信なし)、少し書いてみます。

 まず、この人のことは、NHKの大河ドラマなどに出ていたので、その存在を知っていた程度で、今回まで詳しいことは知りませんでした。 ガクトなどと聞くと、学徒動員を連想してしまう私は、やはり古いんでしょうか? でもナンカ、この人は、数ヶ国語が話せるようですし、滋賀県で育ち、京都の大学を中退したとゆうことらしいので、関西弁も達者でしょうね。 本名は、大城という沖縄に多い苗字ですし、それらの経歴には何か親近感を持ってしまいました。 

 で、まず、このパリでの人種差別的な事件について、私の感想・意見を言いますと、この人のブログ記事を読んだのですが、その言っている主張には、私もほぼ賛同です。 彼は、こういう人種差別的なことも、結局は、国の問題ではなくて、個人の資質(マナーや教育)によるものだと言っています。 ただ、彼も、そのつもりで言っているとは思いますが、この場合の教育とは、所謂学歴などのことではなく、本当のことを見極める能力を養う、という意味で使っているものと推察します。

 ただ、今回のビュッフェ・スタイルのレストランで起こった問題については、やはりウエイターなどのあからさま過ぎる差別的対応があったので、もっと強くホテル側に抗議をしてもいいのでは、と私は思います。 当然、ウエイターなどは、ホテルのルール、あるいは、フランスにある暗黙のルールに従っただけでしょうから!

 たとえば、4・5名以上の大人の団体客は、どこの国出身であろうが、皆五月蝿いしマナーに欠け、他の客などに迷惑をかけることが多い(いつもとは言いませんが)ので、そういう大人数の場合は、一定の区域のテーブルを指定し、個人や2.3人以内の客には、別のエリアのテーブルを案内する、といった程度の区別なら許せますが、今回のは、そういう感じではありませんね。

 ただ、今回、このように日本の若者に人気の芸能人が、こういうことを主張したのは、ホントに良いことだと思います。 日本人の多くは、こういうことを知らないか、あるいは、知ろうとしない、知りたくない、という人が大変多いからです。 私が、他の差別事象のところでも、いつも言ってますように、こういう差別や偏見の事実と向き合いたくない、という内にコモッた日本人の思考があるからでしょう!!!
 
 まあ、正直、フランス、ヨーロッパに限らず、ロシア人を含めた白人、そして、色は多少浅黒くなっても、顔の骨格が白人と同じトルコや中東の人間、そして、イランから北部インドあたりまでの人々なども、典型的なアフリカ人やアジア人に対するある種の優越感あるいは嫌悪感を持っているのは、間違いのないところです。 

 ただし、誤解のないように言っておきますが、これは、あくまで、これらの国や地域の人々の主流(メインストリーム)の意識や意見であって、個々の西欧人、白人が皆こういう風な意見を持っているとは思わないでください。 Gacktも言ってますが、結局は、個人の考えなのですから。 つい先週、「マッサン」も終わりましたが、このマッサンや私自身も西欧人の妻がいます。 また、こちらアイルランドの空手や柔道の生徒の多くは、日本人の空手の先生や、あるいはこの私などにも、ある種の強い尊敬の念さえ持つ者もいます。

 でも、繰り返しますが、西欧社会の全体としては、アジア人やアフリカ人に対する蔑視の意識は、潜在・顕在を問わず存在します。 今回の件で、このGacktの記事に対する感想の中で、フランスに長期滞在しているような人で、自分はそんな経験もないし、そんな話を聞いたこともない、というような意見がありましたが、まあ、その人は、ラッキーだったのでしょうし、その人が立派な人で、周りのフランス人からそういう偏見を持たれていないのかもしれませんが、しかし、普通に感受性のある日本人ならば、その社会の様子から、他の日本人やアジア人に対する差別感情がフランスにあるのかないのかは、簡単に分かると思います。 要は、このような人は、そういうことに鈍感なだけだ、と私は思います。

 私自身は、今回のようなあからさまな差別待遇を受けたことは、ここアイルランドやその他のヨーロッパなどの旅行先で受けたことはありません。 いまは、行くことが少なくなりましたが、3・4年前までは頻繁に行っていたこちらの水泳プール。 ここで、色の真っ白なアイルランド人以外で泳いでいるのは、私だけの時が、ショッチュウありましたが、特段、彼らの態度でそれらしい行動(避けるとか)を見たこともありません。 
 
 ただ、別室のサウナに入る時に、私と二人きりとかになる時などは、まあ、嫌気というより居心地が悪そうな感じのするアイルランド人に出くわすこともありますが、それは、まあ、お互い様というところですし、相手は、別に何もしないので、どうっていうこともありません。

 しかし、長くこちらに居ますと、道をすれちがう時に、「チャイナマン」とかの蔑称を私に投げかける若者がいたり、私が出た柔道大会の会場の外で、近所の子供の一人が、私に「ugly(醜い)」などと言ったことなどもありますし、私の妻の親戚などでも、非常な無知からくるものでしょうが、思いやりに欠ける人種的な偏見を込めた質問などをすることも、幾度かありました。

 そういう時は、私は、なるべくその相手に自分の意見をブツケて行きましたし、上に書いたような無礼な若者には、その胸ぐらをつかんで、「今ナニ言った?」と問いただしたこともありました。 その時は、その青年(17.8歳くらいか?)は、「いえ、何も言ってません!」みたいに、非常にビックリして恐縮していました。 まさか、私が、すぐに向かって来るとは思っていなかったのでしょう、可愛いもんです。 私も、当時は、まだ、30代後半で柔道をよくやって元気いっぱいの時でしたから、ちょっと勢いが出てしまいました。 

 私が、こちらに来た1993年頃は、田舎のレストランやパブに入ると、周囲の客の落ち着かない態度が気になりましたし、目がオドオドもしていた、などは以前にも書きました。 あれから、20年以上経って、ダブリンには、中国人の定住者が溢れ、通りでも彼らをいっぱい見ます。 こちらのニュースでも、彼らの春節の行事などは毎年紹介されるようになりました。 しかし、この中国人や難民で来たアフリカ人などをニュースでは見るけれど、一般のアイルランド人の意識では、どうなのか、私には、いまのところ、そんなに肯定的になっているとは思えません。

 そして、ここから差別全般に入っていきますが、私は、このブログの特にこのカテゴリー(書庫)の記事で、自分の差別経験などをいっぱい書いてきました。 小さい頃は、近所の子供の中で、自分の家の言葉使いのことで恥ずかしがったり、中学生になって、他人のことだと思っていた部落差別が自分自身のことだったり、大学へ入ったら、同じ県人の西宮の人間に、阪神間以外の兵庫県民は、2流みたいに言われたり、同じく大学の先輩が、私の出身高校の学力レベルが低いのを皮肉ったり、などの言動を聞かされました。 そして、社会人になり、部落差別の洗礼もうけました。

 また、今の日本人には、首都東京への憧憬が強く、そして、東京に住む者の中には、それ以外の地域の者を見下す傾向にあるのも事実でしょう。 しかしまあ、こういうことや似たようなことは、誰だって経験しているし、逆に、そのような偏見・差別言動をする方に回ったこともあるでしょう、私も含めて。  

 私は、上に書いたような自身の経験や意識があったこともあり、肉体的に全くの事実である、この黄色人種であるという自分と、それに絡まる自分の劣等意識やその反発の意識、そういうものに根本的に対峙するため、白人圏に行き、そのことを突き詰めたいと思って、20年以上も前、ここアイルランドに来たわけです。 

 そして20年以上も経ちましたが、いまでも私自身、このような世の中のすべての差別の実態や問題に対処できているわけでも無いし、その能力もありません。 ただ、そのようなことを意識する感性とか知識とかを少しずつでも持っていくようにすれば、このような今回のGacktのような悲しい出来事は、少なくなっていくのでは、と考える者です。

 上に書いた、他の地域を見下す東京人(皆ではないですよ、誤解なく)も、所詮、差別されている対象の黄色人種・アジア人・日本人に過ぎないという認識を持つ時、日本の他の地域の人間に対する意識・感情もまた変わると思います。 誰も、差別の呪縛からは、逃れていない、と!

 さあ、やっぱり、いくらグダグダ書いても、私の能力では、しっくり行くものは書けません。 ですので、この懸案に関しては、これぐらいにしておきます。 何か、誤解の生む表現があったのなら、どうか御了承を。


 
※ さて、近況報告を追加しますが、ここ数週間のアイルランドは、天候が不順で、我が家の桜は、 今年はどうもだめな気がします。 そのため、姫路城のDIYも全く進んでいません。

  それと、当地恒例のミニ(8キロ)マラソンは、来週の日曜日(4月12日)行われます。 我が家の全員、今年も参加予定です。 私は、走りの調子がいいので、今年は密かに記録と子供たちへのリベンジを狙っています。

    

 さ、ホントにナガナガ書いてしまいました。 このごろは、寝る前には、先日死去された桂米朝の落語の文庫本をまた読みだしています。 寝付きがいい私ですので、一演目分のページを読めば、すぐ眠たくなります。 では、今夜も、師匠の落語の世界に浸りながら、心地よい眠りに入ります。 では、皆様、おヤスミなさいまーせーーーーーーーー、、、、、ーーー 。
  
  (余計なお世話ですが、実際のこちらは、今、昼ごろでありますが。 ポテチン!)