桂 米朝、地獄へ逝ってしもうた!


 毎度、久しゅうお目にかかりませんでしたが、こちらの方は、相も変わらずアホな毎日を過ごしておりました、とやや落語家の口上のような出だしをしました。

 もう書くこともないと思ってましたが、このニュースを聞いての私の衝撃には、やはり何かに書いておきたい、という気持ちが非常に強く起こりました。
 
 以前の記事で、これから芸能人の訃報を聞いても、もうあまり動揺することもないだろう、と書きましたが、この人のことを忘れていました。 桂米朝。

 先に書いておきますが、私の身内や友人を除いて、私が、この先こういう気持ちになるのは、古代史の上田正昭先生の時と憲法上国民の象徴とされている人(この場合は、いろんな意味で。)の時ぐらいに思えます。

 さて、桂米朝ですが、私が、落語を聞き出したのは、小学校の高学年になって、土曜日の道頓堀寄席(?)という朝日放送のテレビ番組を毎週見るようになってからです。 この番組は、松竹芸能の芸人しか出なかったので、落語家では、六代目笑福亭松鶴などが主な演者でした。 でも、この時はまだ、漫才などに比べ、落語は、それほど面白いとは感じませんでした。

 その後、中学生になって、例の深夜ラジオを聞くようになり、「ヤング・リクエスト」という番組の中で、毎日落語のコーナーがありました。 このコーナーは、20分前後のまあ中編の落語を中心に放送していたと思いますが、夜中1時以降にあったので、家族が寝静まった中、一人クスクスと多少笑いを押さえて、聴いていました。 「ヤンリク」は、この落語のコーナーまで、よく聴いておりました。 その後、2時代にキダ・タローの音楽コーナーがありましたが、これは、中間試験などの一夜漬けの勉強をする時だけ聴いていたように思います。  とにかく、この落語を聴いてたため、翌朝はいつもネムたい、という感じでした。

 それで、この私は、他の趣味と同様、落語狂というほど、それにのめり込むこともなかったのですが、でも、かなりいっぱい聴くようになって、多くの落語家や演目も知るようになりました。 今の桂南光が「べかこ」と呼ばれていた極若い時分に、テレビで一席やっていたのですが、途中で忘れてしまい、ボロボロになったことなども、懐かしく思い出します。 

 そうこうしている内に、桂米朝という人の存在は、必然的に大きく見えてきました。 私が、中学生ぐらい(昭和45年以降ぐらい)になると、仁鶴や三枝などの若手の台頭があり、落語家の数も一挙に増えた感じがありましたが、この演芸という点で、米朝のそれは、私なりに、素晴らしいものがあるように思えていました。 そして、その米朝の出身が、私と同じ姫路であるということも知り、この上なく誇りも感じるようになっていました。

 彼の生の高座も1・2回見た記憶がありますが、落語は、演劇などと違って、テレビのサイズでちょうど収まりますから、テレビ放送で十分堪能できる、と私は思っています。 それからは、テレビやラジオでも、そして、本でも、米朝の落語に接することができるので、いろいろ楽しませてもらいました。

 私が日本を出た1993年以降に、桂米朝は、人間国宝になったり、文化勲章をもらったりなどしましたが、まあ、その偉業は、もちろんそれ以前に確立していたので、それらのニュースには、特に何の驚きもなかった、というのが、私の実感でした。

 そして、今回、この訃報で、いろいろ情報を見ていましたら、米朝が姫路で育ったところは、お城より東側にあり、私がバスで実家から姫路駅に出る時にいつもみる神社だったんですね。 この辺は、いろんな用事で何度も訪れていますし、その神社の境内の通路も、何回も歩いています。 こういう事実を知っていたら、もっともっと親近感をもって、米朝落語を聴くべきだったなあー、と今ちょっと悔やんでもいます。

 また、「渡る世間に鬼はーー」で有名だった俳優、藤岡琢也も姫路出身なんですが、この藤岡琢也は、小学校の頃、米朝に手をとられて歩いていた、という記事も見つけましたが、小学校が同じであれば、藤岡琢也もかなり近所の住人だったということになり、またまた親近感を覚えています。 ちょっと遅いですが。 やはり、お城より東の地域は、姫路の中でも、自分がよく知っている所なので、その事実に感慨がひとしおです。

 それと、姫路は、江戸時代は、かなり大きな町の一つであったことは間違いなく、上方落語でも姫路を舞台にした話もあります。 「皿屋敷」です。 これは、有名なお菊さんの話で、落語以外の芝居などでもよく知られていますが、今回、ユーチューブを見ていたら、「怪談 市川堤」(いちかわつつみ)という演目がありました。 上方落語では、関東の地名は、ほとんど出てこないので、これは、東京にある市川ではなく、我が実家の側を流れる市川のことカイナと思い、その演目を聴いていたら、最後の最後の方に出てきました。 姫路の市川、そして、御着の地名が!

 「皿屋敷」は、怪談と言っても、面白いオチになっていますが、こちらの方は、客席の悲鳴がいっぱい聞こえていましたので、怖い演出・効果があるのでしょう。 私の聴いたのは、音声だけのものだったので、いつか映像付きのものを見てみたいです。

 さ、タイトルの地獄へ、というのは、もちろん、米朝のおはこ「地獄八景ーーー」からの洒落です。 「あの世なんてものはない。」と、いつも言っている私ですが、こういう楽しい地獄があるなら、ホントに人生、生きていくのも、そんなに苦はないか、な? 桂米朝師匠、最期は、とても穏やかに逝ったそうで、本当に良かったと思います。 心から、哀悼の意を表します。  そして、その生涯の業績に尊敬し続けます。 (敬称略)

 
 ※ で、最後に追加ですが、年の暮れからいままでで、我が家の周辺には、特に大きな変化はありませんでしたが、ただ、鯉水槽のリターンに飾ってあったカエルさんが、壊れてしまいました。 強風で飛んできた物が当たり。 で、新しい飾りを付けましたので、その写真を景気付けに貼ります。

 結構安くて可愛いのがあったので、これにしました。 あのブルーティッツのジャイアントでしょうか?これで、今年も蜂たちがやってくるのかどうか、興味あります。 

 では、皆さん、お元気で、良かったら、地獄で会いましょう!!!


 
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