私がホントに50代後半に入った日、息子は中学校へ初登校。

 
 さっきの姫路城の記事の中で、大事な日というのは、今日が、私の誕生日であるということも少しだけありますが、それよりも、我が息子の中学校(高校兼)への初出の日であるということだったからです。
 
 私の誕生日のことについて若干先に書きますと、家族には、「プレゼントなどナニもいらんで!」と、いつも言っているので、今朝、誕生日カードと、甘い物の代表としてのアーモンド・チョコレートを私に手渡してくれました。 カードには、子供たちが、頑張って日本語で、誕生日おめでとうなどの言葉を書いていました。
 
 さあ、きょうから56歳。 ホントに50代後半という感じですなあー。 このあと、還暦までまっしぐら、なんでしょうかね? そういうことを、世の中の諸先輩方は、経験してきたのですね。 まあ、いろいろショーモナイことなど、いろいろ頭に浮かんできますが、ここに書くと余計混乱するのでやめときます。
 
 で、息子の方にスウィッチ。 我が息子、私の学生時代よりもさらにも増して緊張シー(関西弁での言い方、ナーヴァスとでも言っておきましょうか)で、彼が、小学校に慣れはじめた小学4年生ぐらいの頃から、中学校とはどんなところか、母親によく心配そうに聞いていました。
 
 幸い、我が家の子たちは、母親が教えている中学校に行くことに決めてあるので、そういう面では、いろいろ説明はしやすいものです。 また、彼らへのイジメなどについても、全くないとは言えないでしょうが、かなり安心していられるのも確かです。
 
 その母親への学校に関する質問は、数年前から昨日の夜まで、延々と続いてました。 同じものだったり、新たな疑問だったりで、私は、いつも横で、ほくそ笑んでいました。
 
 この息子、彼が、3歳くらいの頃、こちらの保育園に初めて連れて行きましたが、初日と2日目は、ずっと泣き通しで、私は、教室で彼と一緒にいなければなりませんでした、 他の子供たちに変な目で見られながらも、保育園の終わる1時頃までずっと一緒に。 園長先生は、のちに言いましたが、あの時は、息子は、この保育園になつかないと思っていたようです。
 
 そういう、まあ繊細な子でしたが、なんとか3日目から一人で保育園にいることが出来、それから、保育園2年、小学校8年の月日が過ぎました。 もう身体は、170センチ近くになり、来年の夏までには、私より背が高くなるでしょう。 だから、物理的な保護は、もうほとんどいらなくなりました(ちなみに娘も、もう母親と同じ位の背丈で、165センチは越えているでしょう)。
 
 ただ、ここから、特に大学生になるくらいまでの期間が、その精神面で、一番難しいことは、皆さんご存知のとおりで、日本人でもアイルランド人でも同じだと思います。 これからも、子供たちに日本語や柔道を教えていくのか、いかないのかなど私がしてきたことをどうするのか、ということをいろいろ考えています。 もちろん、彼等の意向も考慮しますが、将来を考えれば、イヤでもという場合もありえますしーー???
 
 日本語での意思疎通が十分できない子供たちにとって、いままでは、まあある意味、強いあるいはコワイ存在であったこの私のことを、今後どう感じていくかなど半分心配めいたことも、親として当然考えることもあります。
 
 とにかく、いろいろ考えてもしょうがないので、恐らく、親を煙たがる傾向がより強くなるであろうから、その時には、こちらは、グッとこらえて、見守るしかないものとは理解していますが、ナカナカそれが難しいことは、いろいろこれまでの世の中の情報からも分かります。
 
 
 まあ、自分のことを思い起こしても、中学校になった頃の変化は、自我の確固たる形成ということもあり、激動の日々だったような気がします。 この息子が、どのような日々が過ごすのか、楽しみでもあります。
 
 まああと、私の場合、つづく高校時代、そして予備校の1年間もいろいろ心が動いたように記憶しています。 大学時代は、心の面ではあまり進歩がなかったような、それから社会人になると、またいろいろ起こりましたがーーー。  まあまた、こんなショーモナイ私事を書いてしまいました。
 
 さあ、今日の5時頃、帰宅した息子が、どんな顔しているのか、楽しみです!!