アイルランドが行きたい国No.1 ホンマならええけど!?

 ここ数日は、日中は、15~6度、夜は、もう7~8度にまで下がっております。 でも、まだ、外でのDIYは快適に出来ます。
 
 つい、2・3日前まで、このヤフーのホームページ・トップの中央にあるいろんな情報‥ネタの中で、涼しさを求めて行きたい外国は?というものがあり、まあ、スカンジナビアの国ぐらいがくるかとの思いで、見てみたら、何とこの私の住むアイルランドが、一番になってました。 少し詳しく言うと、何でも8月の平均気温が、22度以下の国の中でのランキングだそうです。 でも、この情報の文章は、ちょっと意味がわかりにくく、行きたい人の数のランキングではなく、対前年比での増加率のランキングであるようなんですが、その母集団が何なのかなど、よくわかりません。
 
 しかしまあ、取りあえず、このアイルランドが、北欧やオセアニアの国々を押さえて1位になっており、へえー、そうかいな、そしたら、世界中の国もあまり大した事ないのかなー、なんて私は思ってしまいました。
 
 そして、そのアイルランド国の魅力を語る文章が、これまたイイカゲンと言おうか、変な書き方をしていたのです。 「~~巨石文化の~~世界遺産のブルー・ナ・ボーニャ~~。」、と続いていたのですが、果て、このブルーなんとかというのは、どこのこっちゃ、と私は思いました。
 
 アイルランド島での世界遺産は、北アイルランドを含めて3つあり、その内2つは、自然遺産です。 で、文化遺産は、日本でいう古墳みたいなニューグレンジ(Newgrange)という石の遺跡だけです。 これは、ボイン渓谷という所にあるので、世界遺産と言うことでもあり、このボーニャは、ボインのアイルランド語読みだろうと推測し、これは、ニューグレンジのことを書いているものと思いました。
 
 しかし、念のため、私の妻やその友人にこのブルー・ナ何とかの言葉知ってるか、と聞いてみました。 妻は、美術の教師をしていて、毎年生徒をこのニューグレンジに連れていくので、この言葉を知っていました。 でも、博学で大学の講師をしている妻の友人(女性)は、この言葉を知りませんでした。 もちろん、私は、世界遺産だとか巨石文化だとかの形容詞は付けないで質問しましたが。
 
 で、この二人が言ってましたが、その言葉は、多分99%のアイルランド人には、わからないだろうということでした。 変ですねー。 そんなアイルランド人も知らない言葉を、日本人の観光のための文章に書くなんて。 恐らく、この言葉の一番最初の出処は、ある日本人観光客が、あるアイルランド語復興運動に熱心な人に聞かされて書いたものか、当の日本人が、単に知ったかぶりで書いたものでしょう。
で、その文を受けて、この記事を書いた人が、どこの何なのかもよく確かめずに書いたもの、と推測します。
 
 例として適切かどうか、姫路城は、白鷺城(しらさぎじょう)と呼ばれていることを知っている方は、日本国中に多いと思いますが、そのしらさぎじょうの音読みのハクロジョウという言い方もあるのは、姫路近辺の人しかあまり知らないと思います。 
 
 姫路市内には、ハクロ中学というのがありますし(今も多分?)、私の母校の姫路高校の前身は、鷺城(ろじょう)中学という名でした。 何か、路上にたむろする不良中学生(旧制)が多い学校みたいですが、いやいや学力は大したことないけど、結構おとなしい学生が多いんですよ、我が母校は! 
 
 まあ、変な例えと余談が続きましたが、姫路城を外国の観光客にハクロジョウなんて言っていたら、どうでしょうか? このランキングの記事のいい加減さが、わかりますよね。 その他の国の情報は、詳しく見ませんでしたが、いい加減なものがいっぱいあったかも知れません。
 
 まあまあ、とにかく来てみたい人が、多いらしいこのアイルランド。 前にも書きましたが、数ヶ月程度未満の観光旅行なら世界中のどの国に行っても楽しいはずです。 能動的な気持ちさえあれば。 何年も住み、その国の社会の仕組みなどがわかってくれば、話は別ですがーーー。
 
 まあ、こうやってボヤくよりも、最後は、そのニューグレンジ(ウィキペディアでは、別のアイルランド語表記になってます、変ですね?)の写真でも紹介しておきましょう!
 
 
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 ダブリンの北にあるホントンに日本の円墳のような遺跡です。 エジプトのピラミッドよりも先に作られたとあって、アイルランド人の自慢となってます。
 
 何のために作られたかは定かではないようです。
 
 日本語と英語のウィキペディアでは、少し書き方が異なってます。
 
 
 
 
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 これが、入り口の巨石。 おのデザインが、日本の縄文と似ていると話題になりました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 で、冬至の朝日が、この入口から、この石室の一番奥の壁に当たるようになっていました。 5000年前。 でも今は、太陽の位置がズレているらしく、同じ地点には、光は当たってないようです。