差別を温存させた国民意識、これを変えましょう!

 先週のNHKクローズアップ現代で、野生動物による被害と狩猟の重要性について報道していました。 番組では、これからの日本での狩猟とそれに伴う肉などの野生の恵みをいかに利用していくかなどについて、肯定的な観点からの意見が述べられていました。 こういう思考と言おうか、精神的なものは、今後の日本人の価値観のありように大きく影響していくかもしれません。 
 
  それで、私の部落史も、ほぼ終わりに近づきました。 今日は、明治以後のことについて、少し書きますが、その前に、江戸期の皮革産業について、若干補足しておきますと、この前書いた姫路の白鞣し革で有名なTムラなどは、結構広範囲から皮(原皮げんぴ)を仕入れていました。 それは、今で言う近隣の他府県にまで及んだようですし、朝鮮半島から年に何万枚と輸入していたそうです。 大した産業だったようですね。
 
 明治維新後の早い時期、明治4(1871)年の3月に、死んだ家畜は、その家畜の持ち主の財産であるという新たな法律が出来ました。 これは、両刃の剣のような法律で、部落の人間には、その差別の根源であったケガレた仕事をしなくてもいいということになるのでしょうが、逆に、経済の元となっていた材料を、もう無償で受け取ることはできなくなるということを意味します。
 
 そして、その半年後の8月28日、あの解放令が出ました。 私の誕生日と同じ日です。 もっとも、この時は、日本はまだ、今の太陽暦になっていなかったので、きちっと同じ日になるわけでもなく、何の意味もないことなのですが(暦とは、そんなもんです)。 とにかく、この法令で、エタ・ヒニンの呼称が廃止され、百姓などと同等の平民ということになりました。
 
 ちょっと、また余談ですが、この解放令が、実際、各地方に伝達されたのは、9月も中頃になったころのようです。 というのも、あの廃藩置県の命令が、この年の7月に発令されたばかりで、行政の機能も、かなりまだ不完全だったということでしょう。
 
 とにかく、四民平等(実際は、華族など別の身分を新たに作ってますが)となった世の中ですが、そこに現れたのは、百姓などのもとの平民の、新しく平民になった部落の者たちに対する嫌悪・蔑視の念でした。 
 
 この前も少し書きましたが、国民の大多数を占める一般農民などは、交通の便もよくなり、自由に行き来できる世の中になって、部落の人間と多く接触するようになりましたが、残念ながら、これを迎え入れるのではなく、反対に、これを忌み嫌い、そうすることによって、自分たちの地位が少しでも上にあるかのような態度をとったわけです。 
 
 実際の実力行使も、西日本を中心に頻発し、、部落の焼き討ちや殺人などのむごい行為もありました。 一部の農民は、これらの暴動の中で、死んだ家畜の処理の権利を訴えていた者もあったようですが、これは、上述のように、明治政府は、すでに発令しているので、何かの誤解か、伝達の不備でもあったのでしょうか。
 
 ごく最近、福岡県で起こった部落の人間の自作自演の差別ハガキ事件を扱ったドキュメンタリー「どん底」とい本を書いた高山文彦は、その本の中で、部落差別は、江戸時代などに出来たのではなく、この明治になって形成された、というような言葉を書いています。 正確な表現を忘れましたが、彼のような意見は、あまりいままで聞いたことがなかったのですが、歴史をよく吟味すると、その言葉は、真に的を得ていると言えます。
 
 明治以来の身分制・階級制も、結局、新しく政権をとった者たちの自分たちに有利なように作り上げられた制度ということだけであり、万世一系のピュアで高貴な家系などは、もちろん、この世に存在しないし、ましてや、多くの華族のメンバーは、元は下級武士であり、そういう者の家系などというものは、元来どんなものかよく知れない、いいかげんなものです。
 
 そして、その制度にうまく操られた多くの庶民は、本当の人権とか、平等思想が芽生えることなく、その全く逆の思想・行動をとってきたわけです。 
 
 まあ、その後、一時の大正デモクラシーなどと呼ばれる、女性の権利拡大運動や部落の人間が起こした水平社運動、それに、働く民衆の運動や幸徳秋水などの社会主義運動などが起こる時代が到来するまで、わが日本国民のこの閉塞した差別心理は、続いた。 しかし、ご存知のとおり、そういう大正期の一時の明るさも、すぐあの軍国の、皇国史観の時勢に飲み込まれていきます。       
 
 私が、この2・3週間前に、部落の歴史を書こうと思ったのは、こういう明治期のような一般民衆の差別心理が、2013年の今でも多くの日本人にハビコッテいるのではないかという、危惧の念からです。 この匿名で何でも自分の意見を書きやすくなった社会は、同時に、イジメや差別落書きなどの温床にもなっています。
 
 そういう人間は、かつての明治期の部落を焼き討ちした農民のような、自分の弱さを上には向けず、自分より弱いと思われる人間を攻撃する、そういう卑屈な精神の持ち主でしょう。 自分自身に自信がないので、他人を貶(おとし)めて、自分を持ち上げようとするそういうイビツな精神が。
 
 部落の歴史から言えば、この表面的に自由な行き来のできるようになった明治以来、部落内の産業構造は、大きく変わりました。 全国にある多くの小さな部落は、かつての皮の仕事が激減し、新しい職種、土建業とか肉屋とか廃品回収業などに転換せざる得なくなり、その他の者は、各地の工場務めなどに部落を出て行った。
 
 私の故郷のような革鞣し産業のあるムラは、1970年ごろまでは、革製品の多様化などによって、靴や太鼓作りの職人さんもいたし、ムラのあちこちで、テニスなどのガットや犬のおしゃぶり用の皮製品などを作っていましたが、その後は、そういうものも見なくなり、今は、メインのなめし革作りをなんとかやっているという状況です。 この先、どうなるかわかりません。
 
 西日本に多く存在する部落、その部落を蔑視するのをやめることを、やはり、西日本の人間が、まず率先してやっていかねばなりません。 そうでないと、西日本に未来はないからです。 そうでないと、そういう差別する人は、自分たちの西日本が、東日本より劣っていると言っているようなもんです。 
 
 それと同様に、東日本の人間も、部落の存在が小さいから少ないからと言って、わからないとか、無視するような態度をとっていては、ダメです。 東日本の場合、国策によって、うまくそういうものが無いように誘導された経緯があります。 数少ないそういう存在の人達の苦労は、相当なものだったと想像されますし、第一、そういう、私の周りに無いという発想でものを言うなら、世の中の多くの問題、例えば、今の原発のことなども、立地周辺のこととして片付けられてしまうということになります。
 
 まあ、いままで、偉そうなことを書いてきましたが、もちろん、この私も、イイカゲンで中途半端な人間です。 ですから、できるだけ、いろんなことを科学的な目で確かめ、人を非科学的な見地から、つまり、思い込みなどで判断しないでいきたいなあ、と思っているだけです。