O君、ありがとう。 そして、原発のこと。

 大変、驚きましたし、感激しました。 読者の皆さんは、すでに、ご覧になった方も多いと思いますが、前回の記事の当人、O君が、コメントをくれました。 しかも、洒落っ気のある感じで。 さすが! コメントを出すことの難しさを、よくわかっているつもりなので、本当に嬉しいです。 本当にありがとう。
 
 まあ、このO君にしても、その他の私を実際に知っている人たちにとっては、私のこのブログは、仮に面白くないもの、あるいは、反感を買うようなものであっても、チョクチョクは、覗き見するような感じで、このブログを見続けるのでしょうから、何かとても変なそしてコワイ気がしています。
 
 といっても、これからも、もう少しは、このつまらないブログを続けようとは、思っています。
 
 それで、O君に敬意を表して、私の原子力行政に関する意見を少し書いてみます。 と言っても、大学生であった1980年ごろ、大学の原子力発電に関するサークルに数回参加した私の当時の意見は、「ナンで、政府や原発企業が、あんなに安全安全というのであれば、原発を東京や大阪のど真ん中に建てないのか。 皇居なんか最適やないか!」というような、先鋭なものでした。
 
 田舎の過疎の少数の人達が、見捨てられている感じがしたからです。 都会の人間の快適さのために、一部の人間を犠牲にするような。 そういう意味では、ちょっとそれますが、選挙の1票の格差を、よく都会の人は、不公平だというけれど、これは、少なくとも、2院のうち1つは、人口配分に関係ない選挙制度を確立しないと、地方は、より取り残されるだけだと、私は、考えています。
 
 それで、原子力の方に戻りますが、そういう先鋭な意見を持っていた私ですから、今回の事故になって、なにを今更騒いでいるの、というシラケたものが少しあったのも正直なところでしたが、しかし、現にいま困っている人が大勢いて、大変なことになっているのも事実で、我々は、目をそむけられません。
 
 そして、原子力行政、これはもう今となっては、そういう産業に依存している自治体や個人が多くあり、そう簡単な問題でないとも思っています。 過去の押し付けを、負の遺産を、その地域の人達や全国から原発に働きにきた人たちは、背負っているのですから。 私としては、まあ、生温いと言われるかもしれませんが、今となっては、この先10年か20年か知りませんが、それらの時期を設定して、原発全廃に向かっていくべきだと思っています。
 
 日本中で、語り尽くされてきたテーマだと思いますので、今更なんですが、O君に向け、私の意見を書いてみました。