加藤周一の改心に関する札束さんへの返答

 今、こちらは、まだ9日の夜、時間が出来たので、また書いてます。 同窓会の話の前に、休暇中にいただいたコメントへのお返事を書きます。(律儀なもんで) 
 
 その前に、前回の記事、最初のほうで、「日本とブログに戻りました。」という意味のことを書いてしまいましたが、もちろん、これは、アイルランドとブログの間違いです。 まだ、時差ボケてたようです。
 
 さて、来ていたコメントは、加藤周一が、死の直前、カトリックに改心したことは、残念であるとした私の記事に対しての札束さん(実際のブログ名は、ドイツ語らしきものでしたが)からのものでした。
 
 札束さんのブログに、コメントを返そうかと思いましたが、彼のは、膨大なもので、どこにコメントしていいやら、という感じなので、こちらの本文に書かせてもらうことにしました。
 
 まあ、あまり仰々しく書くほどでもないのですが、所詮、偉大な評論家・文筆家だと言っても、最期が近づくと、ちょっと気弱になっただけということだ、と私などは思っています。 その点、親しみもより出てくるというものかもしれません。 ただ、やはり、残念と書いたのは、繰り返しになると思いますが、あれだけの科学的見地、客観的見地から、文学や美術などを批評してきた人、それも日本の最高峰のレベルで、そういう人だっただけに、この非科学的な一神教に入信するなどというのは、たとえ、本当の意味での信心でなくとも、周りをほとんどすべてカトリック信者に囲まれている私のような者にとっては、(またまた書きますが)、残念だったと言いたかっただけなのです。
 
 もちろん、彼のその他のエリアの業績の偉大さを、損なうものではないでしょうが、この宗教に関する彼の見方については、再度吟味する必要があるかもしれません。 しかし、この私も、彼の進歩的な考え方などと共に、その博学や教養の深さにおいて、彼を尊敬する者の一人であることには、変わりありません。 
 
 札束さん、コメント、どうもありがとうございました。