橋下徹は、部落問題解決のホープか?!

 さて、部落差別、橋下徹のことに戻りますが、こんどの週刊朝日のことがあって、部落問題のタブー性がまた報じられ、このことが、この問題のさらなる隠蔽化につながるという意見も多かった。 
 
 私も、今回の佐野某氏の記事の取り扱い自体は、これでいいとは思うが、これまでの長い期間、部落のことをあまり論じてこなかったマスコミ(特に全国的なもの)には、不満があります。 そういう意味では、この橋下徹という人は、現在の日本にあって、唯一、部落のことが表面化してくる公人で、貴重な存在になっていると、私は思います。
 
 以前にも、何回も書きましたが、タブーは、公開しないと、いつまでもタブーです。 オープンに何度も論じていけば、物事のタブー性・忌避感・根拠のない恐怖心というようなものは、薄れていきます。 何事にも、経験、体験が、その人の感覚を作り上げて行くし、精神も強くなる。 パラリンピック(そしてオリンピックでも)で、多くの身障者の活躍を見るようになって、どうでしょうか?、我々の、片足のない人のその偽足を見て思う感覚は、多いに変わってきたのではないでしょうか。
 
 もう一つ例を上げるならば、多くの一般の人は、被差別部落内をぶらぶら歩くことは、怖いと考えているかもしれません。 しかし、そんなことは、全くと言っていいほどありません。 怖い目にあう確率は、現在では、一般地区と同じでしょう。 大都会にある部落のことは、よくわかりませんが、地方都市か、それより人口の少ない地域にある部落では、人口の減少や高齢化の進展がより早く、部落内の様子は、閑散としています。 部落内の伝統産業(皮革など)も徐々に衰退しています。 そんな元気で悪そうな奴は、部落内では、もうそんなに見つけられません。
 
 私が、こちらに来て直ぐの、18・9年前、まだ紛争激しかった北アイルランドに行った時の緊張感は、すごかった。 プロテスタント地区との境界に近い、差別されているカトリック側のある地区を今の妻と歩いていたのですが、私達が、観光客とみると、その地区の子供たちが群がってきて、お金をせびるのです。 写真を撮る許可代だと言っている感じでした。 その後も、棒きれで、チャンバラのような格好で、私をイタブッテきました。 当時は、北アイルランドの大きな町では、機関銃を構えた兵士が、20~30メーター置きに立っていました。 これが、現実でした。 でも、この姿も、今はなくなりました。
 
 部落差別やその他のタブーを無くすには、それを何度も見聞きし、論じていかなければならないのです。 その点だけでも、私は、この橋下徹を応援したくなります。 しかし、この人でも、やはり正面向かって、自分は、部落の人間だとか、出身だとかは、言いにくいようです。 
 
 YOU TUBEの録画のニュースで見たのですが、彼は、「部落問題を解決する強い意志がある、それは、自分も部落に住んでいたことがあり、その問題のことは、よくわかっているつもりだ。」、というようなことを述べていました。 しかし、報じられているようなことが事実であれば、彼には、自分の親は部落出身であったとか、自分も部落の人間である、とかなどのもう一歩進んだ表現をしてほしかった。 
 
 「部落に今住んでいなければ、部落と関係がない、あるいは、部落の人間でない。」というのであれば、この私も、部落の人間ではなくなる。 私は、部落民という言葉は、あまり使いたくありません。 それが、何か遺伝的な繋がりを持つ集団と誤解される恐れがあるからです。 今回の佐野某の記事の意図も、そんなところにあるのでしょうがーー。 
 
 まあ、つまり、今住んでいなければ問題ない、というのは、逃げであり、例えば、部落を出て結婚した女性は、もう部落出身でないと言えるのか、そうであれば、かなりの人の気苦労は、なくなります。 しかし、仮にそうであっても、今度は、部落にしか生きられない、もっと経済的に悲惨な人達などは、どうなるのか。 もう、その地区で、一生、みじめに暮らし、外からの酷い偏見の中で生きていく。 そういう社会を、我々は決して作っていっては、イケナイ!!!
 
 ヨイトマケの歌の美輪明宏(この人もいろいろな苦労があったのでしょう)もよく言っているように、我々は、何百万、何千万人という祖先の繋がりを持って、皆、生まれてきた。 先祖をタグレば、天皇家につながる人もいれば、賤民階級の出身であったということも絶対ある。 日本人、皆そうだ。 あるいは、朝鮮半島や東アジアの人々とも、大いにツナガッテいるでしょう。 生殖的親は、2人、祖父母は、4人、曽祖父母は、8人というふうに数え、1世代20年としても、今から、約500年前の信長の時代でさえ、我々の祖先の数は、天文学的な数字になる。
 
 だから、先祖がどうやこうや、という馬鹿な論理や自慢話も捨てましょう。 長くなったので、ではまた。