橋下徹と週刊朝日のこと

 橋下徹を、我がと書いたのは、単に、部落関係だということだけです。 別に、彼の政治思想全体に賛同しているわけではありません。
 
 さて、先週大きな社会問題となった、週刊朝日の記事のことですが、私は、全文をきちっと見たわけではありません。 週刊朝日のウェブサイトも、早々にその記事を削除していました。 しかし、いろんなサイトを見ていると、ほぼ全容と言おうか、記事の作者の意図が見えてきました。
 
 記事そのものは、本当に言語道断と言おうか、めちゃくちゃと言おうか、非科学的なものだと、私も思います。 私が、いつも否定している世襲制だとか、思い込み、決め付けの最たるものでしょう。 だから、この記事の作者(その存在は、全然しりませんでした)の非難は、もう必要はないでしょう。
 
 ただ、この事件に関して、少し意見を見てみました。 BLOGOS というサイトで、主に二人の意見が、目に止まりました。 一人は、木村正人という人で、元産経新聞の海外編集長で、大阪の西成区の出身だそうです。 ただ、西成の部落の出かどうかは書いてません。 この人の意見は、私には、至極真っ当で、部落差別の解消に向かうべく、いろんな肯定的な意見が書かれているように思えました。
 
 もう一人は、橘玲(あきら)という作家(この人の本も知りませんが)で、この人の意見は、少し異なります。 この人の記述は、ちょっと長ったらしく、この人の部落差別に対する意見は、はっきりとは、うかがい知れないのですが、この人が、この事件を通じて、主に述べたいことを、ここに要約しますと、ふたつあります。
 
 ① 今回の記事のように、部落の地名を記載することは、本当にいけないのか。 いけないのだったら、今回以   前に、上原善広というジャーナリストが、他の週刊誌に橋下徹の出自を、実名入りで書いたことも問題にす    べきではないか、と。
 
 ② たとえ、部落の地名を明記するようなことでも、それによって、さらなる大きな社会のために有益であるなら   ば、それは、許されるべきであると。 (だいたい、こんなニュアンスでした)
 
 ②については、この人自身のブログに寄せられるコメントの中で、このような反論がありました。 あなたの言うもっと大きな社会の利益とかというものは、具体的にどういうものか。 そういう現実にないようなことで、この問題の深刻さを見失わせるようなことはしてはいけない。 そんな感じの意見でした。 スイマセン、もっと正確に書き留めるべきでしたが、大意は、このような意見だったと思います。 そして、私も、そう思います、
 
 部落差別は、日本に蔓延るタブー性の象徴であり、差別の根源と言ってもいい根深さがあります。 この問題以上の社会問題は、そうそうありそうもありません。 だからこそ、タブーだったのです。 東北震災の時、福島の生徒が、関東に転校したときに、放射能の汚染を嫌われ、イジメにあったというニュースがありましたね。 あれなども、この日本に差別・偏見の蔓延る余地は、どこからでも出てくる、そしてそれらを、一つづつ、丹念に取り組み解決していくという態度が、必要ではないかということを表しています。 部落差別は、その最たるものだから、我々は、先入観なしに取り組む必要がある。
 
 地名を安易に載せることは、差別の解消を図るものではなく、ジャーナリズムの扇動などで、そこに住む住民の苦痛だけを生むものである。 ちょうど、イジメられた生徒の実名やいじめた生徒の名前をださないようにすることと同じ事だと思う。
 
 で、①については、これは、もうジャーナリストであれば、知っていてほしいものであるけれど、たとえ、地名や出自をメディアに出しても、その出し方により、その是非が判断されるのは、当然である。 上原善広という人自身、部落の出身であり、部落差別解消に向かいいろんな著作をしている人である。 その人が、橋下徹を部落の出であるとか、その地名を書くとかと言うのと、今回の佐野何とかという人の部落の遺伝子があるような記載の記事とは、全然次元が違う。 
 
 このことは、20年も30年も前に、差別用語の議論で、決着がついているはずだ。 差別用語自体が問題であるのではなく、それを使う人の思想によると。