バイリンガルへの道(アクセントを規則化!?)

 やっと、最後のほうに来たような気がします。 さて、私自身は、関西人であり、姫路弁あるいは播州弁の語彙を中心に関西アクセントの日本語を喋っているというのは、前に書きました。
 
 でも、残念ながら、子供たちや妻に日本語を教える時は、緊急性などを考慮して、共通語(東京弁)の語彙を用いることが多いです。 例えば、何かをしてはいけない時、「あかん」という代わりに、「だめ」という言葉を使っています。 危険が迫っている場合などでは、よりテレビなどで聞きなれている言葉の方が、いいと思うからです。
 
 ここで、大きな問題があります。 英語の一般的な単語もそうですが、日本語の場合も、個々の単語のアクセントが、各地域で異なるということと、同じ地域でも全体として言葉のアクセントに、規則性がないということです。 これなどは、私たちのように、日本語を聞く機会が少ない環境では、たとえ共通語を教えるにしても、結構シンドイものがあります。 
 
 例えば、関西と関東では、驚くほどアクセントの位置が逆転するのは、皆さんご存知のとおりです。 例えば、2音節(ひらがな2つ分)では、犬、牛、馬、雪、夢、寿司、春、夏、秋、冬ーーーなどなど。 3音節の名詞では、東京では、最初にアクセントがくることが多いですね。 ナナやリラ、ジラなど。 関西では、真ん中が高くなります、バナなどと。 しかし、形容詞になると反対で、関西では、ムイですが、関東では、サイのようになります。 このように、はっきり言って、メチャクチャです。 
 
 そこで、英語にある外来語のアクセントのルールから、これを解決しようというのが、私のやり方です。 ただ、よく、日本語のアクセントは、高低アクセントであり、西欧語のは、強弱アクセントであると、言われます。 私は、人間{動物)の口から出るものなので、100%そうであるとは言えないと思ってます。 つまり、日本語アクセントであっても、高く発音するところは強くなるし、英語でも、強いところは、高いピッチになる傾向にあると思います。 
 まあ、そういう違いがあるにせよ、この英語のアクセントの位置の移動が、日本語のアクセントにも適応できるものと思っています。
 
 それで、英語の場合は、古くからある英単語のアクセントの位置は、様々ですが、最近の外来語の場合は、後ろから2番目の音にアクセントがくるというのが、大体のルールです。 トタ、カワキなど。
 
 それで、我が家では、この方法を取り入れ、アクセントは、英語方式で、置いていくことにしています。 つまり、春・夏・秋・冬は、すべて最初の音にアクセントがあります。 ちょうど、関西半分、関東半分といった感じです。 
同様に、外国人に分かり易いという点で、関西の1音節の単語の手「てぇー」、目「めぇー」、歯「はぁー」などは、東京方式に変更です、残念です。 3音節は、すべて真ん中にアクセントをおきます。
 
 オープンスカイ時代のこれからは、日本国内でも、外国人の観光客などの言葉使いが、より日本語に影響を与えてくると思うので、近い将来、寿司は、日本全国、関西方式の「し」になるかもしれません。 
 
 ここで、最後の余談ですが、日本語のアクセントは、関西・関東に限らず、全国で多くの変化が見られます。 でも、我々は、ちょっと違うなあとは思いながらも、大体何を言っているのか、お互いに理解できます。 それは、私は、歌の影響があると思っています。 歌の歌詞は、日本語のアクセント同様もちろん音の高低があります。 なので、歌からくる様々な言葉は、いろんなアクセントになっています。 
 
 例えば、古いたとえで恐縮ですが、美川憲一の柳が瀬ブルースの「雨のふる夜はーーー」の雨は、関西風ですし、三善えいじの雨の「雨に濡れながらーーー」の雨は、東京風です。 ただ、この自由な歌づくりに反対した人がいます。 童謡「赤とんぼ」で有名な山田耕筰です。 
 
 彼は、自分の話す東京山の手言葉を中心に、歌を作っていかなければならないと、主張した作曲家です。 だから、あの「赤とんぼ」は、「カトンボ」と、今では東京人も言わない、明治・大正時代の東京アクセントからきているそうです。
 
 彼の説に、弟子にあたる歌手の藤山一郎なども賛同していたようです。 もちろん、こんな説は、団伊玖麿なども完全に否定していますし、ナンセンスなことは、間違いないわけです。 そんなことをしたら、日本中の他のアクセントの話者を無視するばかりではなく、第一、日本語の歌づくりが、とても窮屈になります。
 
 そして、その童謡「赤とんぼ」でも、作曲の山田耕筰は、東京の人間かもしれないけれど、作詞家の三木露風は、私と同じ播州人であることを考えたら、山田耕筰が、あのような節回しをしたのは、詩人に失礼だったのではないかと、私などは思ってしまいます。 
 
 こんなところです。 では、言葉に関する話題を一応閉めたいと思っています。 ご拝読、ありがとうございました。