子供たちのバイリンガルへの道、ちょっと無理かな?

 いままで、私のたどってきた言葉・言語への遠い旅(カッコつけてしまいました)も、そろそろ終わりに近づきました。 この関係の最後に、まさに今、私が、悩んでいるといおうか、取り組んでいるといおうか、とにかく、私の言語生活の現状を書きます。
 
 それは、結局のところ、私の子供たちに、いかにして日本語を教えていくかと、いうことです。 いままで書いてきたように、私自身も、このアイルランドで、レベル(私風に書けば、レ○ヴェル○)は、とても低いながらも、バイリンガル(これも、バイリ○ングアル○)生活をしています。 妻と私の間では、彼女が知っている程度のやさしい日本語を除けば、普通の会話は、ほとんど英語を使っています。 彼女と子供たちの間も、ほぼ英語だけです。 ここでも、妻は、「歯ミガキ!」などの簡単な日本語は、使ってますが。  
 
 そして、私と子供たちの間は、ほぼ日本語だけです。 これしか、子供たちをバイリンガルにする道はないからですが、子供たち(日本で言えば、小学3年生と2年生)には、私のような中途半端なものではなく、ぜひ、ちゃんとしたバイリンガルになってもらいたい、それが、私の彼らに勉強の分野で期待する唯一のものです。
 
 しかし、私は、知っています。 片親だけで、しかも英語圏の国で、しかも日本語話者が他にほとんどいない国で、日本語を習得させていくことの難しさを。 
 
 以前{10年ぐらい前かな)、NHKの番組で、日本で働いている中国人夫婦を紹介していました。 夫は、大会社のビジネスマンでしたが、両親が、中国語とでバイリンガルにしようとしていた小学3年生ぐらいの男の子は、中国語をあまり習いたがらず、逆に、両親のあまりうまくない日本語をバカにしている様子を描いてました。
 そのころは、まだ、圧倒的に日本の経済力のほうが上という感じもあり、経済・文化で見劣りを感じるものには、接したくないという、素直な子供の様子が出ていたと、思います。
  
 こと左様に、異文化の中で、しかも、英語という強力な言語に負けず、日本語を維持していくのは、至難の業です。 アイルランドでは、日本で、ゲール語と呼ばれているケルト人の残した言語があります。 日本で言えば、アイヌ語にあたるような言語ですが、アイヌ語よりは、もっと広く話されていますし、政府もテレビ番組などで力を入れています。
 
 英語で、アイリッシュ(アイルランド語)と呼ばれるこの言葉は、ここアイルランドでは、小学生のころから全国で必修ですが、今言った、国の努力にもかかわらず、人々のアイルランド語習熟度といおうか、そういうものは、あまりパッとしません。 私の学生時代の日本の英語教育と同じぐらいでしょうか。 だから、今、アイルランドが、非常に厳しい経済状況にある中で、多くの人々が、このアイルランド語に投入する予算を削減しろ、という意見を持っています。 世界に通じる英語があるのだから、そんなものいらないと。
 
 でも、彼らにとって、特に政府にとって、アイルランド語は、言語手段ではなくても、精神的支柱なのだと思います。 だから、切り離せないのでしょうか。 英語は、つまるところ、かつての植民地宗主国の言葉ですから。
 
 まあ、話をバイリンガルに戻して。 そういう難しさが、バイリンガルにはあります。
 
 アイルランドの首都ダブリンには、週末にだけ日本語と算数を教えてくれる日本語補修校というものがありますが、泊り込みでもしない限り、私の家からは行けません。 また、 私のこちらの知り合いの中には、毎年、夏休みなどの2-3ヶ月あるいはそれ以上の期間、子供を日本に滞在させて、日本語を上達させている人もいます。 この方法は、とてもいいと思いますが、我が家の生活環境では、ちょっとできません。 私には、日本犬もいれば、手入れする日本風の庭もあるからです。 
 
 言葉は、その人間が、どの文化に帰属するかということに関しては、一番の指標だとは思いますが、私にとっては、日本文化の物質的な側面も、子供たちに見せていきたいという思いもあり、また、私自身が、そういう日本文化に浸っていたいという願望も強いので、自分の家を長期留守にすることは、できません。