被差別部落や在日に生まれた人は、うらやましいーーーか!?(2)

 私は、すでに50歳台に入っていますが、体力的に自信があることと自分の幼稚な思考のせいで、自分は、まだまだ若輩であり、見習うべき先輩がたくさんいると思ってきた。 見てきたのは、いつも、年長の立派な人たちの思想や意見だけであり、あまり自分より年下の人のことを気にしていなかった。
  しかし、自分より若い人が、いろんな方面で活躍しているのは当たり前で、このことを私は、分かろうとしなかった。(まあ、芸能界だけは、テレビを見ていてわかるが。)
 
 部落問題に関することでも、このヤフーブログの中でも、専門家の立場から、そして、自身の経験もふまえて、この問題に正面から取り組んでおられる若い方がいる。 この人のブログを見たとき、「自分より年下がーーー。」と最初、思いましたが、すぐに「こういう人がいて、とても頼もしいなあーー。」とも思いました。 
 
 そう、昔も今も、しっかりとした専門家がいるのだから、難しい話は、その人たちにしてもらって、私のような深い知識のないものは、自分の経験だけからでも、被差別部落の問題を取り上げたいと思ったわけです。
 
 先に述べた、ある文筆家が、「すごい経験をしてきた在日や被差別部落の人は、うらやましい!」と言ったことに対し、まあ、最初は、「そんなら、アンタ、ウソでもええから、部落出身であるとなりすまして、世の中に出たら、どうや。」と言いたかった。 そして、世間の風が、どんなものか感じてから、そのようなケイケイなことが、もう一度言えるかどうかと、聞いてみたかった。
 
 でも、しかし、私の人生を振り返った時、自分がこういう立場でなかったら、自分は、いったい、どんな人間、どんな男になっていたかと、よく考えることがある。 少なくとも、自分の立場上、他の多くの被差別の問題に関心を持ったり、そういうことをしないでおこうという気持ちを持続させようとしてきた。 低いレベルでのそういう気持ちだったかもしれない。 
 
 というのは、本当の究極の人権尊重の立場から言えば、努力して立派になった人も、努力したけれど立派になれなかった人も、そして、努力しようともできない人も、そして、努力できるのにしようとしない人たちも、やはり、同じ権利を有し、同じようにその尊厳が認められなければならない、ということがある。 
 
 しかし、そこまでの聖人君子的な考えは、凡人である私には持てないので、そのことに関する自己矛盾を、若いときは、特に、よく引き起こしてきた。 しかし、まあ、悩みが、人間のコヤシになるということもあるので、やはりこのことも部落出身であるということの恩恵か。 
 
 まあ、若いときは、誰でもいっぱい悩みがある。 私たち部落の人間は、かなり大きいけれど、もう1つ余分にあるだけだと考えればいいのか。 しかし、私は、幸いにも、ここまで、まあマットウに生きてこられたけれど、この差別の圧力で、命を落としたり、悪の世界に身を染めていった者も多くいるのは、ご存知のとおりです。
 
 今、相撲の世界で、暴力団締め出しの大きなうねりがある。 世論、マスコミの大合唱のように。 相撲界とヤクザのこれまでの経緯とかを、とりあえず無視して。 わたしも、無論、暴力団は社会のクズだと思っているので、これは、徹底排除しなければと思う、が、----。 
 しかし、同じ世の中が、いわれのない差別に起し、そこにいる人間の性格を曲げてしまってきたことも、事実としてある。 つまり、ヤクザを嫌う社会が、そのような若者たちをヤクザにさせてきたということを、みんなで確認しておかなければならない。 (誤解のないように。 ヤクザや暴力団の構成員は、もちろん、部落や在日だけで成り立っているわけではない。) また、皮肉にも、一部には、身分制の一番下にいるという抑圧から逃れ、この身分制の頂点にいる天皇を崇拝するという過激な団体の一員になったりする者もあった。 
 
 結局、そういう非社会的な行動を許さないように、そして、自分からしないようにと、私たちは、同和教育を受けてきたわけですが、何人かは、脱落して自ら悪の道に入る。 それだけ、差別の実態が、むごいものだったのかもしれない。
 
 しかし、いままで言ったきた様に、世の中の全ての事は、白日の下でガンガンと議論すれば、何も怖くはない、 何も恐れるものはない。 意見の違いはあっても、理解はできる。 人間、すべては、慣れることによって、恐怖心は、なくなる。 一度経験したら、もう大丈夫です。 こういうことを、今、このブログで書いている私は、そういうオープンなテーマにしてしまったということで、自分自身がより強くなった気がする。 体力もあるので、今の私には、本当に怖いものは無いと言える。 (ついでながら、組織の人間でもないので、嫌な上司や五月蝿い部下もいないしーー。) 
 これも、本当に、被差別部落出身であることの恩恵かもしれない。
 
 なんか、今回は、長くなって、また、わかりづらいものになってしまいましたが、要するに、私のような者でなくて、社会にインパクトが与えられるような人たちが、カミングアウトの一つとして、部落出身であるということをどんどん言っていくべきだと、いうことです。 そして、2020年頃までには、多くの国民の中で、慣れ、理解され、そして、やがては、中和されていくこと(淡々と語れる事実として)を期待するものです。
 
 NHKさん、ぼちぼち、部落出身者を扱った大河ドラマか朝ドラ、やりませんか!