被差別部落や在日に生まれた人は、うらやましいーーーか?(1)

 私は、自分が被差別部落の出身であることを、このブログで幾度か書いている。 もちろん、そんなことばかりいつも頭にあるわけではない。 
 しかし、西暦でもう2010年にもなっている。 もう、ぼちぼち、ほかのカミングアウトの理由にも負けないように、部落出身であることも、そろそろ、日本社会で、平然とあるいは淡々と語れるような世の中になるべきではないだろうか。 
 
 そういう意味で、なるべく私のブログでは、たとえば、母子家庭育ちであるとか、被爆2世であるとか、身体に障害があるとか、在日朝鮮・韓国人であるとか、ホモセクシャルあるとか、元犯罪者の子供であるとか、などなどのような他の人の事情(もうその多くは、今の日本であまり否定的に見られてはないと思うがーーー)と同様、部落出身であることを淡々と書いていきたい。  自分のある考えが、そのこと(出自)によって影響を受けているなら、それを書かないでいるのは、読む人に本当の理解を与えない。
 
 そのように理解のできない本やテレビの対談番組をいくつ見てきたことか。 事実・本音でないから、なんと薄っぺらいものかと。
  
 今から、18年ほど前、在日朝鮮・韓国人(コリアン)の作家のヤン・ソギルさんの初期の作品を読んでいたら、その文庫本の解説者が、こんな意味のことを書いていた。 「在日や部落の出身の人は、うらやましい。 こんな、すごい、本に書けるような経験をしているから。」というような感じのものでした。 正確な言葉は、忘れましたが、意味は、そんなところだったと思います。
 
 私は、その時、「このオッサンは、なんということを書イトルンやろ!」と、憤慨しました。 「こんなこと、書いてええんやろか。」とも、思いました。 そのことに関する今の考え・気持ちを書く前に、ちょっと、別の話をします。
 
 今、NHKで、「私が、子供だったころ」というタイトルの番組があります。 有名人の子供時代を、おもに、ドラマ仕立てで、回想するものです。 とても面白く、ほとんどのものを見ています。 そして、その子供時代が、とても大変だった人のものほど、私には、より面白く感じられます。 その番組では、これまで、在日コリアンの有名人、アイヌ出身の人、沖縄出身の人たちなどなどが、自分の過去を、かなり正直に、そして、ひょっとしたら、より劇的に表現しているかもしれないというタッチで、描いています。
 
 まあ、以前ネガティヴであったことを、思い切って公にする時に、そういう過大な表現は、許されるものでしょうし、第一、それは、本人の記憶やそこからくる思想の問題なので、他人には、判断のしようがない。 とにかく、昔は、隠すことが当然とされたことが、有名人からも発信されているのは、非常に画期的なことです。
 
 しかし、しかし、この番組にも、まだ部落出身と明言しているストーリーは、出てこない。 (私の見落としでないとすれば) 残念です。 実際、部落の出身の人を、扱ったかもしれないけれど(たぶんあったと思う)、そういう言及は、出来なかったのでしょう。 残念です。
 
 この番組とは、別に、2年ほど前か、三国連太郎の人生の軌跡をたどっていくという、NHK教育テレビの番組がありました。 三国連太郎と言えば、部落に係わりがあるとして、本人も人権問題などに関連する本を何冊も出している。 その三国の生涯を扱った番組で、被差別部落に関係することが、あまりはっきりと出てこなかったことが、私には、非常に残念でした。 あれだけの人でも、一般の番組となると、腰が引けてしまうのかと。