涙、涙の夜。

 2・3日前から、妻と子供たちは、妻の実家に行ってます。 そういうときは、昼間に草刈やDIYの仕事をすましてから、夜は、じっくりテレビ番組やDVD映画を楽しんでいます。 もちろん、いろんなジャンル(古い言い方か!)の映画を見ますが、最後に寝る前には、大概、しっぽりとした懐かしの映画をみます。
 
 昨夜は、木下恵介監督の「二十四の瞳」を見ました。 高峰秀子主演の。 もう何度も見ていますが、いつ見ても、涙がじわじわ湧いてくるという感じで、全編で最低5回は、そういうことになります。 ストーリーは、どうということなく、ただ、戦争前後の絶対的な貧しさやそれに翻弄される子供たちの運命を淡々と断片的に描いています。
 
 しかし、懐かしの唱歌が、子供たちによって歌われるたびに、私などは自然と涙がどっとあふれてきます。 そういう自然な感動を起こすという点で、この映画は、やはり日本映画界の最高峰の1つだと思います。 私の好きな「アニーローリー」や「庭の千草」、「蛍の光」などのスコットランド民謡も他の日本の唱歌といっしょによく出てきますが、やはり音階が日本のそれとよく似ていると言われるだけあって、ほんとうにこの映画にマッチしています。
 
 余談ですが、この映画の中で、高峰秀子の夫役で、のちにちょっと怖い感じのするおじいさん役をすることが多かった、天本英世さんが出ていました。 あのかっこいい旦那さんは誰かと、以前から思ってましたが、今回初めて気がつきました。 ちょっと、遅すぎますかね。
 
 この映画に出てくるほどの悲惨さは、もちろん、被差別部落出身の私の子供時代にも、ありませんでした。 登場してくる子供たちより、私は35年ほど後に生まれてますから。 それに、以前にも書いたように、私自身の家は、それほど貧乏でもなく、祖父の残した田んぼを売ったりなどして、何とかやっていました。 しかし、私の同級生の中には、映画の中の子供のように小学校を中退して、家のために働かなければならない子もいました。
 
  「二十四の瞳」のような映画を見ると、そんな子やその他でもいろいろ苦労してきた近所の幼なじみの子供たち、そして、自分の兄や姉の世代、そのまた上の世代などの苦労が、想像され一層涙もろくなります。 いまでも、醜い現実は、どこにでもあります。 しかし、昔は、もっともっと悲惨なことがいっぱいありました。 我々は、日々の安楽な生活の中で、そのような過去を忘れがちです。 
 
 反戦映画などもそうですが、この「二十四の瞳」のような映画やドラマ、あるいは本などを年に数回は見るようにして、流されそうになる自分の弱い心を奮い立たせていかなければ、と思っています。