ものごとすべて 思い込み!!!

 コップにいっぱい水があり、その半分を飲んだ後、この状態を見て、水がもう半分しかないと思うか、水がまだ半分あると思うか、という命題といおうか、この問いかけは、非常に示唆的であると思います。
 
 私は、庭でDIYをするのが好きなんですが、あるとき、子供の遊具が壊れ、それから出た鉄パイプなどのゴミの処理に困っていました。 数週間迷っていた後、ふと、「なんや、これもDIYの材料にできるやん!」と思った瞬間、この鉄パイプが非常に大事なものに思え、物置小屋の横に保管するようになりました。 そして、実際あとで利用しました。 考え方ひとつちょっと変っただけで、ゴミが、新たな素材となったのです。

 このように、我々の生活そして考え方、ほとんどすべてこのような価値判断に基づいているのではないでしょうか。 いい言い方をすると、信念、悪い言い方では、先入観とか思い込みと言えるでしょう。 私は、今から否定的な物事について少し語りたいので、このような人間の思考・行動を、いまは「思い込み」と呼びます。
  
 我々の趣味にしても、なぜ、私たちは、その趣味が好きなのか。 それは、その人にとって、その趣味が美しいもの・あるいはかっこいいものであるからだと思います。 では、なぜそう思うのか、なぜ好きになるのかは、人それぞれのもろもろの環境要因でことなるでしょうが、根本にあるのは、思い込みにあると私は思います。 

 それぞれの人間は、限定した範囲の中で、それぞれの趣味を好きになっているだけなので、仮に、世の中にあるすべての比較しうる似たようなものが提示されたとき、果たして、その人が同じものを好きになる可能性はあるのだろうか。  私は、かなり少ないと思う。 つまり、我々は、ある程度の情報量で、自分ができる範囲のものを好んで選んでいるのに過ぎないと。 つまり、そこは、妥協と言おうか、思考の上では、思い込みというもので片付けていると、私は思っています。 
 
 この世の中の偏見・差別は、この思い込みの一番残酷な例に他ならないと思う。 ある病原性の強い伝染病の患者を隔離するのは、科学的な知見に基づき適切に行われていれば、それは、地域の安全のためにも必要なことである。しかし、ながいながいハンセン病の患者の隔離は、もう科学的意味の無い、偏見にもとづいた処置であったと、言える。

 最近もある市長が、「日本は、同和や在日に牛耳られている。」というような発言をしたとの報道がありました。 私は、マスコミの報道も非常に利己的で都合のいいところだけを捉えてセンセーショナルに報道するというのを知っているので、どこまで真実かわかりませんが、かりにこの言動が本意であれば、なんと情けない首長であるのか、そして、どうしてそういう人を首長にしているのか、頚を傾げたくなります。

 もちろん、部落の者や在日の者で、力を持った者や金持ちも多くいます。 また、団体などを利用して強圧的に部外者を威嚇している者のいることも知ってます。 しかし、そういうことは、そういう人は、ほんの一握りの人たちによるものなのです。 大多数の人々は、一般より貧しく・弱い、人によっては、自分の出自がわかってしまわないか、毎日、おどおどしながら生活している人もいる。 結婚問題・就職問題、やはりまだあるのです。 

 わかりやすい例かどうかわかりませんが、私が、こちらに来た1993年、欧米の経済誌は、当時日本の経済が破竹の勢いであったので(実際は、もうこのころには、バブルがはじけていたと、数年後にわかりましたがーー)、かっての黄禍論にも似た日本脅威論がありました。 しかし、それは、あったとしても一部の企業の話だけで、大多数の国民は、自分たちがそんなに強い存在であるとは、とうてい考えていなかったと思います。 多くの欧米人のアジアの非白人の日本を見る目は、そんなものでしたし、今もそんなに変ってはいないと思う。 アジア人というだけでの思い込みは、存在します。 今は、中国がもっと大きな問題として、毎日論調されてるのは、ご存知のとおりです。 

 この市長の一部を見て全体を見ないそういう発言は、大多数の弱い存在にとっては、ほんとに「何を考えているんや!」と涙の抗議をしたくなるようなものです。
 そういうことを言う政治家や首長は、その他の社会弱者にも必ず偏見を持っているはずです。 理由の無い科学的でない思い込みが!!!

 この思い込みという関連で、私が嫌いなものは、占いなどの非科学的非論理的ゲームです。 もちろん自分一人で楽しんでいる人は、もちろんそれでいいのですが、この日本、そういう占い感覚の人が、本当に多いですね。 血液型、星座、誕生日、姓名判断、手相、風水~~~~。 現代の科学では、皆非論理的です。 こんなことで一喜一憂する必要はありません。 もっと強くなってください。 私も、このブログのプロフィールで、血液型など載せてましたが、それは、最初よくわからなくて書き込んでしまっただけなのです。
 
 まあ、占いをいい時だけ利用して一喜するのは、いいと思います。 人間、そんなに強くはないので、何かの後ろ盾が必要なときもあるでしょう。 でも、一憂は、する必要なし、まして、血液型から恋人や他人の性格など判断しようとすることはやめてください。 また、聡明な皆さんは、よくご存知だと思います。 こういう非科学的な非客観的なものを利用して、人の生活を壊そうとする人間が多くいることを。 霊感商法など、その最たるものです。 人を呪うような霊やお化けも、この世にいません、人の心の中以外は。

 いいたいことは、我々は(私ももちろん含めて)、物事をより多角的に見、多くの科学的な情報を得てから、そのことを判断していかなくてはいけないということです。 特に、他人を評価する場合などは!