柔道、柔道の1年でした。

 4,5年は、 書かないでおこうと思っていましたが、思わぬ人からのコメントがあったりして、お礼とは言え、また書いてしまったので、これからは、あまり堅苦しく考えずに、少しずつ書いていこうかなと思っています。 まあ、そんなに多くの人が、このブログを見ているわけでもないし。 気楽にいこ!
 
 で、この約1年半の間に、日本や世界の情勢も大きく変動し、実際、この私も、このブログで意見や感想を書いてみたいものがいろいろありました。 が、しかし、何と言っても、私が前のブログを書き終えてから、約ひと月後に起こったあの大地震とその津波による大災害については、何か書こうかとも一瞬思いましたが、こちらに送られてくる被災地の悲惨な状況の映像の数々で、当初の数ヶ月は、多くの日本人がそうなったように、この私も茫然自失となってしまい、マトモナ考えは、出て来ませんでした。 テレビを見ていて、どんな有名な人の意見や提言も、あの修羅場から人々の気持ちを救うのは、至難の業だと感じたのも、また事実です。 
 
 まあ、しかし、これからこのブログでは、あまりいろんなことを書こうとは思いません。 特に、気になったことだけ書ければと思っています。
 それで、一つ書いておかなければならないのは、前回の最後で、ロンドンオリンピックの柔道競技を見に行くと書いたことの結果報告です。 実は、この1年、私の生活は、かなり柔道漬けでした。 あの大震災の後、日本人という意識が、より高揚したこともあってか、去年の7月から、自宅の道場で、子供たちに柔道を教え始めたのがキッカケです。 その後の経過は、次回にでも詳しく書くことにして、そう、オリンピックの観戦の話です。
 
 ロンドンへは、書いていたように、いわゆる姿三四郎の格好で行きました、自宅を出るときから。 空港も、ロンドン市内を歩くのも、下駄履きの明治の書生風の姿です。 そして、肩には柔道着を引っ掛けて。 お陰で、ロンドン子やオリンピック観戦の観光客など、合計すれば、10組ぐらいの個人やグループから、一緒に写真を撮ろうとか、私の服装についての質問などを受けました。 マスコミ等の取材陣とは、出会いませんでした。 それと同時に、私と同じような格好をした日本人も街でも柔道会場近くでも、私は見ていません。 昔のオリンピックでは、羽織袴のオジサンをよく見たものですがーーー。 
 
 先に書きますと、観戦の翌日は、友人宅から柔道着姿で、街を歩き、空港でもそのままの姿で、帰路につきました。 ちょっと、肌寒かったですが、結構、好奇の目と言おうか、どちらかと言えば、肯定的な視線を肌に感じ帰ってきました。 実際、空港職員も、エンジョイ、ジュウドウ!と冗談を言ってました。
 
 それで、私の観戦するまでの様子は、こんなもんですが、肝心の柔道の試合結果そのものは、落胆でしたね、特に男子は! 私は、最終日100キロ超級(女子78キロ超級)を見に行きました。 その感想については、長くなったので次回にします。
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 54歳直前の私と会場で写真を取り合ったフラン人女性イメージ 2