古代史そして人権問題、 上田正昭先生

 古代史に興味のある人で、上田正昭という学者の名を知らない人は、少ないと思う。 
 
 私は、以前このブログで、自分の古代史の興味は、ほとんど「天皇家の出自を知りたい」ためだけのような書き方をしたが、あの時は、勢いあまってという感じで、実際、「日本人は、どこから来たのか、この列島の上で、どういう人種・民族の移動があったのか」などを知りたいというのが、やはり第一のところであると思う。 もっとも、天皇家の由来が、わかるということは、大和民族の歴史のおおよその部分がわかるというものでしょうけれどーーー。
 
 そういう興味の中で、私も、この上田先生のいろんな学説を紹介した本や対談集などを読んだことがあります。そして、その先生のほとんどの学説は、私にとっては、的を得たものであると思えます。 まあしかし、これも先生が、もし、あの邪馬台国論争の大和説の立場の学者でなかったら、私は、その他のことも信用していないかもしれませんがーーー。
 
 まあ、そういうことで、上田先生の本を読んでいたら、この先生は、人権問題にも非常に関心のある人だというのがわかり、被差別部落出身の私としては、感激をもって、その関連の文章も読んだものです。 先生は、被差別部落や在日韓国・朝鮮人問題などの人権問題の解決に積極的な発言をされています。
 
 ところで、私は、1年か2年に1回、姫路の実家に帰省滞在しますが、5・6年前、その2週間ぐらいの滞在の間に、この上田正昭先生が、私の母校の中学校に講演に来るということがありました。 課題は、もちろん古代史ではなく、人権問題の方です。 私は、 「ナント,ラッキー!」と思い、もちろん会場である中学校の体育館に行きました。  
 会場では、当時45歳ぐらいだった私より年配の人がほとんどで、もちろん、地区からの動員がかかっていたでしょうから、この会場の中で、何人の人が、上田先生の古代史・歴史学での偉大な業績を知っているだろうかと、半分、私は、恐縮して、その講演を聴いていました。
 
 最後の質疑応答のところで、私は、邪馬台国のことや、私の実家周囲の地域(このあたりは、5世紀ごろからの古墳が多くあり、奈良時代には国分寺も建立されるなど、古代から播磨地域の中心地とも言えるところなのです)のことなども、同和ではなく、古代史のほうで、いろいろお聞きしてみたかったのです。
 もちろん、それは、間接的であるにせよ、自分たちの父祖の地が、古代から非常に開けた地であるということは、今そこに住む人間にもやはり、勇気を与えるという意味も、含んでの質問でありますがーーー。
 結局、会場の人々から場違いな質問だと、一喝されそうな気がしたので質問しませんでした。 いつもは、よくするのですがーーー。 まあ、残念でした。
 
 最近の本の中で、先生は、「和魂」ということの大切さを訴えています。 つまり、日本人として、真に日本文化の価値を認め、その価値観の上で、日々の生活をしていく、というようなことです。 外国人に何か批判されようとも、その日本文化が我々の先祖から培われた大切な文化・習慣であるなら、堂々とそれに反論し、正当性を訴えていかなければならない、そんな意味だったと思います。
 
 このことは、まさしく、今、この私が、外国にいて日々感じることで、私は、それらの批判や偏見に対し、英語でなんとか反論できるようにと、その部分の単語などをなるべく忘れないように努めているところです。