ヤフーブログ終了に際して、今一つ!

 驚きました。 まさか、こんなに早くヤフーブログが終了するなんて!


 ずっと以前から、この無料のブログというものが、いつまで続くのだろうか、という懸念はありました。 それから、自分がそこに書くのを止めてからは、世の中のブログ活動も下火になっているのかなあ(私の知っている人たちも休止しているのが多い)、とか、などなど思っておりましたがーーー。 
 それでも、ヤフーブログは、β版を作ろうとしていたので、当分は存続するのだろうと思いきや、今度は、そのβ版の開発が怪しくなってきて、いややっぱりオカシイなと感じつつあったさ中、この2月28日の突然の終了宣言。


 さて、この私は、もうここでは記事を書かないつもりでいたのですが、こういう非常事態にあっては、報告すべきこともあるのかなとも思い、また一つだけ書くことにしました。 約4年前に休止した時には、少なくとも還暦を迎えるまでは戻ってこないという感じのことも書きました。 でも、去年還暦になった頃は、このブログへ戻る気持ちと言うか、そういう気分にはなれませんでした。 


 その理由の一つは、この匿名(私以外)のブログの世界より、今やっているほぼ公開のFacebookの方が、遥かに、私には面白いからです。 Facebookは、こちらを休止した後4・5ヶ月経ってから始めました。 ナンカちょっと書くものが無くて、物足りない感じがしていた時に、いいタイミングで高校時代の友人が勧めてくれました。
 余談ですが、Facebookでは、このブログと全く異なり、個々のFB投稿には、私の主義・主張や政治的意見は、一切書いてなく(自己紹介の部分には、少し自分の基本思想のようなものを書いてますけど)、身の回りに起こった事柄を淡々と記していますある程度どうかい。 そこは、世界中の人達と友達の輪を広げる場だと思っているからです。(と言っても、友達の数は、そんなに多くはないです、ハハ。)


 さて、ここでの最後となるだろうこの記事は、本当は、私の誕生日(8月末)近くに書こうかとも最初思ったのですが、それでは、このブログの実質機能停止の日までほとんど時間がないということがまずありました。
 また、今は、卒業・入学・入社など人生の転機の時期であり、そして、今年は、日本で新たな年号が発表され(あんまり使わんかも?)、またこちらヨーロッパでは、昨日からサマータイムも始まり(これも、2年後に廃止のようです? 良かった!)、いろいろ時代の転換の時期のような今この時に書く方が相応しいと思い、キーボードを敲いています。


 で、本文のようなものに入って行きますが、まず、最初に言いますが、私は、このヤフーブログで書いてきたこれまでの315の記事を残すために、どこかのブログに引っ越しをしようと思っています。 引越し先は、今のところ、「はてなブログ」を考えています。 
 もし、このヤフーブログが、あと10年ぐらい続いていたなら、そういう思いもなかったかもしれませんが、まだ数年前の記述であり、今の自分もまだそんなにモウロクしていないと思っているので、自分の考えがどう変わるのかを確認するためにも、過去の記事をもう少し置いトキたいのです。


 それで、まあ、ざっと言って我が50代前半の時期に書いていたこのヤフーブログなんですが、いろいろ真面目に書いてきた分、結構、愛着もあります。 この間、タマに自分の記事を見直すこともありました。 というのも、このヤフーブログが、少し前に開始したサービスで、訪問者の数やその男女・年代構成、ページビュー(PV)、そして、どの記事が見られたかなどが、細かくデータで示されるようになりました。 それで、突然ある日、ある記事が多くの人(100人を超えたことも)から読まれるということがあったりした時などに、それらの記事を改めて確認したりしてました。


 それで、そういう記事の中で、特にずっとこれまで、ほぼ毎日のように読まれてきた記事をいくつか挙げますと、まず、


❶「阪田三吉も初代春団治もフーテンの寅さんもーー」は、よく読まれていました。 まあ、これは、どちらかと言えば、差別をなくそうという思いの人々が見たのではなく、恐らく、その反対の思考の人や興味本位だけで見た人がほとんどだと思いますが、それでも、誰にも見られないより見られる方がマシ、だと私は思っています。


❷その次に見た人が多かった記事は、多分、「姫路駅前にそんな高いビルを建てても、エエんですかーー」みたいな感じのタイトルのものです。 これは、なぜなのか、よくわかりませんが、その対象であるホテル・モントレー自体が、竣工なったためでしょうかね? ただ面白いのは、結局、このホテル、当初の100m以上の高さを、そんなに目立たない60mほどに低くして完成したのです。 もちろん、私のこの警告記事のせいではなく、自らが需要と供給のバランスなどを考えての規模縮小なんでしょうーーーけど、ね。


❸この後のものは、ランク付けは、難しいのですが、思い浮かぶのは、「アイルランドのトラベラーズーーー」の記事あたりですか、ね。


❹で、その次は、私の出身高校の校歌をもじり、楽しかった高校時代を書いた「わが姫高は、むつみあいーーー(校歌)」あたりの記事が、くるかもです。


 こうやって記事を書くのを止めた後も、1日平均7・8人程度の訪問者があったことは、驚きでした。(書いていた当時と、あんまり変わりまへん、ハハハー。)  


 それと、このブログのおかげで、また、楽しい交流の機会もいくつかありました。 私が、異国にいるせいで日本との空間・時間的な差があり、また、30年以上前の高校時代の話題などが絡んだりして、半分なんかバーチャルのような感じもしながら記事を書いたり、他の人の記事を読んだりしていたような気がします。 
 そう、高校時代の男子同級生2名と、ここでまた旧交を温めることになりましたし、全く知らなかった若い女性たちとも親しくコメントの交換が出来ました。 それから、かつて少し付き合っていた女性と、高校時代のクラスメートで、しかも憧れていた女性が、それぞれ有り難い応援のコメント(と私は解釈しています)を送ってくれたことなどなど、このちょっと硬いテーマの多かったブログ(アホなことも結構書いてますが)を何とか続けられたのも、これらの方々からのそういう“刺激”があったからこそ、だと感謝しております。



 すでにこの記事も長くなりましたが、“私らしく”、ブログ休止時から現在までの日本や世界の動きで思ったことや、私自身の生活面を最後に簡単に紹介しようと思います。(こういうのを書いておくと、あとで読んだ時に、「ああ、あの時は、そうやったなーーー。」と、楽しく読み返せますので!) 
 まず、日本の政治では、まだ、安倍ちゃんが、ソウリをやっていますね。 私のかつての仕事関係の獣医学の領域でも、いろいろ私利私欲を発揮されて、このソウリは、未だ健在のようで、四選も行くとか? そんなお友達優先の政策でも、国民は、これまで経済がまあまあなので、なんとか大目に見ていたのでしょうが、でも今、その実感のない好景気の指標さえも、偽装されていたかもしれない、ともっぱらの噂のようで? しかし、この安倍ちゃんのかねてからの願いである憲法改正の企みは、国民のかなりの拒否反応もあって、ナカナカ思うように進まず、と言ったところですかね? 


 それにも関係するのですが、もうすぐ代替わりする天皇のことなんですが、現天皇のあの生前退位の会見や国内外の慰霊の旅などの積極的な行動は、安倍一族の右傾化思考に真っ向から対立しているように、私には感じられます。(生前退位の意向は、東日本大震災以前からあったようですが?) それと、今度の退位や即位の費用をもっと軽減せよ、という声が皇室内から出るなどナカナカですね!  
 3月初めにあった即位30周年の記念式典をテレビで見ましたが、天皇の言葉の中には、「象徴として、これまでの務めーーー」など、この“象徴”と言う言葉と“憲法”という言葉を多用されていたように思いました。 それは、“私は、ただの人間ですよ。 戦前のような現人神ではないですよ。 憲法に規程されたタダの象徴天皇という仕事を全身全霊で務めているだけですよ。 もう昔には戻りませんよ!”と、安倍一党やナントカ会議の連中に強く言い聞かせているように、私には思えました。 また、“自分に続く次の世代の者たちも、その象徴像を時代に沿った形で、また代えていくでしょう”、みたいな事も言われていた。 ナンカ、希望が持てますね。 
 さて、国際関係に目を向けますと、上に書いたことと少し関係のあることですが、最近の韓国の動きは、私も少し尋常ではない感じがしています。 あの韓国通で、若い頃私も好きだった女優の黒田福美さんですら、今の韓国には、結構厳しい意見を持っているようですし、さて、この両国関係、今後どうなりますやら? この韓国、戦後、天皇が、いまだかつて行けてない国です。 その国内の日本への様々な強い感情から、それが出来ていないのでしょう? 新たな天皇の時代になって、いずれそういう時が来るでしょうか?


 あと、北朝鮮のことも、今のようなアプローチで、完全な非核化なんてあり得るのですかね? ロシアが、経済協力程度で、北方領土の一部でも返還しますかね? そして、トランプ政権による1国主義のアメリカの危うさと多くの面でのモラルの崩壊、また、中国・習近平の神格化と共産党以外の組織・宗教への弾圧そして対外覇権化などなど、世界は、もうシッチャカメッチャカですし、ますますスピードを増して変化している感じですね。 だから、今また、ドウノコウノとは申しません。 
 ただ一つ、世界的に言えると思うのは、どこの国の人間も、甘い政治家の言葉に惑わされ、安易にその政治家や政党を選んでしまっている、つまり、どこの国民もあんまり賢くない、ということをこの私は、このブログ休止の間、改めてはっきり知ることができ、ある意味非常にすっきりした心持ちです。 これが、ホモ・サピエンスの限界かと?


 そして、アイルランドに住む私個人の生活にも大いに影響ありそうなイギリスのEU離脱(Brexit)も、そんな一つなんですが、これも、この後、まだ二転三転とあると思いますので、今は何とも言えませんが、さて、この混沌、一体どうなるのでしょうか?
 それから、私の日常生活の関係では、我が家族は、皆元気にやってます。 特に、子供たちは日本で言う高校生になり、息子には、私は背丈で追い越され、娘にもほぼ並ばれてしまいました。 そう、身体的には、もうナンの心配もありませんが、当人たちの精神的な葛藤の時期は、今後も当分続くのでしょう。 でも、親として彼等に関わりあえるのは、やはり大学進学までぐらいだろうと思っています。 ただ、子供たちがそうして大学などで家を出ていった後のこの私自身の生活は、結構寂しくなるのかなーー、などと今からすでに少し心配もしていますーーー。  


 あ、それともう一つ、今年の正月も日本に帰ったのですが、こちらへ戻る直前に、あの“兼高かおる”さんの死去のニュースを知りました。 思えば、小さい頃から外国に興味を持っていた私ですが、やはり兼高さんのあの“世界の旅”という番組が、そういう気持ちを大いに育ませてくれたことは、間違いのないところです。 ニュースで昔の映像が少し出た時には、ジーンときました。 本当にありがとうございました、と言いたいですね。 
 それと、訃報と言えば、つい最近も、ショーケンの報道がありましたね。 でも、約1年前に亡くなった西城秀樹の方が、私には、もっとショックでしたね。 特に、ファンでもなかったのですが、多感な中学・高校生時代に彼のヒット曲は、必然的に生活の中にいろいろ入ってきていましたので、ね。 また、彼の死により、私自身の死も、いずれそのうち来るという現実を、改めて認識させられました。 


 そして、最後の最後ですが、4年前のラストの記事では、当時制作中だった私の姫路城は、大天守の最上階の屋根だけが出来ておりました。 その後、2016年の秋に大天守が完成し、さらに2017年の秋には、3つの小天守や渡櫓も追加でき、当初予定していた(けど途中諦めていた)連立式の城郭様式が何とか実現できました。 もちろん、精巧なものではありませんが、自分なりに気に入っています。 この春、大天守は、もう三度こちらの厳しい冬を乗り越えてきたことになります。 それで、最後に、それらの写真を貼って、お別れにしたいと思ってます。


 たぶん、「はてなブログ」に移動しても(無事、移動できるかな? 検閲あるのかな?)、最初の挨拶ぐらいしか書かないつもりですが、まあ、また環境が変われば、それもどうなるか分かりませんので、断定的なことは言わないでおきます。(多分、プロフィール名など変えるかも?)


 では、皆さん、本当にお世話になりました。 また、どこかでお会いできるかもしれませんが、とりあえず、ここでは、これでお別れです。 では、皆さん、さようなら、お元気で!


 
2016年秋、大天守完成、柔道着姿もあるよ、当然!      小天守の作成中。
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2017年秋、一応すべて完成。                                
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