鎌倉へ行き、そして、夜の姫路へ。

 こちらに戻って10日ほど経ち、こちらの生活にまた慣れるに従い、日本での想い出を早くこのブログに書き込んで整理してしまいたい、という欲求から今日も書いてます。
 
 それから、今度は、関東にも足を運びました。 歴史という点では、古都・鎌倉などは、これまであまり興味がなかったのですが、これも、友人に会うということになって、そのついでだったんですが、行くとなれば急に興味が湧いてきました。
 
 写真は、鶴岡八幡宮の前でその友人と撮ったものです。 
 
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 このあと、生憎(あいにく)の雨の中、裸の大仏を見たかったのですが、地元の商店街の人の案内がちょっと混乱してたようで、私たちは、別の観音寺のほうに行ってしまいました。
 
 あと、金沢文庫近くの称名寺(しょうみょうじ)にも行きたかったのですが、時間の都合で無理でした。
 
 
 この称名寺の朱色の太鼓橋を模して、私の庭の太鼓橋を作ったものですから。
 
 ただ、神奈川県は、一度も訪れたことがなかったので(東京へは、中学校の修学旅行、大学受験、そして、働き出してからの出張と、まあ最低20回以上は行ってるでしょうが)、横浜港の夜景なども少し見ることが出来て満足でした。 この夜景を見ていると、いしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」や平山みきの「ヨコハマ、ヨコハマ、素敵な男がーー♬ー」という歌が、頭をよぎって離れませんでした。 古いな~~~!
 
 その次の日、姫路に戻ると、高校時代の同級生たちと夕食を共にしました。 今回は、私を入れて5人。 親しい男性陣と共に、3年生の時に同じクラスだった美人が二人、来てくれました。 これくらいの人数が一番いいですね。 1つのテーブルで、皆同じ話題に集中して。 
 
 この二人の今も美しい女性たちとは、その当時、私は憧れと言おうか好意と言おうか、そういうものを強く持っていたので、その人たちと、今こうやって打ち解けて、ちょっと大人の会話をしていることが、不思議でなりませんでした。 
 
 他の人たちは、まあもっと頻繁に、お互い会っているのでしょうが、この私にとっては、2年前の大同窓会で何十年ぶりに会い、今回は、さらに約2年ぶりの再会という頻度もさることながら、違う国や文化の中で暮らす私には、この約40年前の想い出が、より鮮明な感じがすることもあって、この同級生たちとの出会いは、本当に胸がジーンとくる瞬間でした。
 
 
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 この写真もブログに載せる許可を、彼女らに取っていません。 怒られるかもしれませんが、まあ、訴訟まではおこさないと思っていますけどーーー。
 
 
 
 
 
 
 
 このあと、五人で、カラオケも少ししました。 彼女らは、私の曲より少し新しいものを歌っていた気がしますが、私は、「赤いハンカチ」(石原裕次郎)と「霧にむせぶ夜」(黒木憲)を歌いました。 本当は、彼女たちとのデュエットで「銀恋」か「東京ナイトクラブ」か「赤いグラス」などを歌いたかったのですが、まあ、昔のスナックのママさんたちのように、彼女たちがこういう歌を知っているかどうかもわからないということもあり、一人で歌ってました。 「こらえてもーーこらえても~~睫毛が濡れるーー♬ーー♬ーー」と。
 
PS; もちろん、うまくないですよ、私の歌は。 ナニ、わかってるって! それにしても、彼女たちは、この歌をあまり知らなかったようで、昭和43年の歌だから、私たちは、もう10歳ちかくになっていたけどなあーー? それに、その後も、懐メロとしていっぱい流れているし、彼女たちは、NHKの「歌謡コンサート」や「BS日本のうた」などの番組を見ないのかな!?  (このPS文は、こちらの11月21日17時ごろ追加。)
 
 
 それと、今の「マッサン」の主題曲「麦の唄」も皆で歌いました。 今のカラオケは、すごいですね。 つい一か月前に出た歌なのにあるのですね。 それと、もう本で曲を探す必要もないのですね。 そして、他にも、皆で中島みゆきやユーミンの歌を歌いながら、トリは、「卒業写真」で締めました。 「高校三年生」も歌っておくべきだった、と今悔やんでますが。
 
 ということで、その時も、もちろん、結構楽しんでましたが、終わって、こうやって、こちらで思い出していると、その夜の数時間は、40年ちかく前の過去の感情豊かな心やいろいろな後悔の念を呼び戻らせてくれ、その上で、今の自分たちがあるこの現実を再確認できた、本当に楽しく有意義な夜となりました。 みんな、ありがとね。 出来たら、また会いましょう!!!
 
 今回は、いろんな歌(もちろん、古いのばかりですが)が、脳裏を駆け巡る記事でした。