ふるさとの話をしようー♫ー♬ーー、、。

 さて、週末は、犬小屋の解体や新規設置などで忙しくしていました。 ここ数日の当地は、天気がいいですが、先週の前半、私が戻ったころは、冷たい雨が激しく降り、しかも外での作業もあったので、惨めな思いでした。 ちょっと前にいた日本では、20℃前後で快晴の日が多かったのでーーー。
 
 さて、今日は、私のふるさとの周辺の写真をさらに載せます。 自分のアルバム作りです。 タイトル名は、浪速のモーツァルト、木田大先生の大ヒット曲(多分唯一か?)から拝借させてもらいました。
 
 まず、前回の官兵衛の御着城のすぐ近くに播磨の国の国分寺跡があります。 私たちが子供の頃は、確か8月20日に毎年、今ある小ぶりのお寺の境内で縁日があり、この夜は、子供たちにとってとても楽しいものでした。 盆が過ぎ、この縁日が終わると、「もうじき学校かあーー。」という半分憂鬱な気分にいつもなっていた私でしたから、この夜は、夏休み最後の楽しいイベントという感じでした。 ちなみに、自分の誕生日は、さらに新学期直前だったので、子供の頃は、うれしいなどという感覚はほとんどなかったです。
 
 私たちは、この国分寺を牛堂山(うしどうさん)と言っていました。 縁日の夜は、「牛堂山に行こう!」
という感じで。 下が、現在の遺構跡の様子。 この跡地の整備から、もう20年以上経っている事自体が、私には新たな感慨を起こさせます。 
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 下は、七重塔があったと言われるその礎石跡。 今あれば、どんな立派なものだったでしょうか。
 
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 次は、国分寺から北へ、そうですね、直線距離なら3~400メーターぐらいでしょうか、国分尼寺の跡の石碑です。 ここも、住宅地と田んぼに挟まれていき、よけいに探しにくくなっています。 実際、近くで犬の散歩をしていたオジサン(私もいいオッサンでしょうがーーー?)に聞いても、知りませんでした。 で、自転車でもう少し以前の地理感を頼りに探していると、ありました。 でも、さっきオジサンに聞いたところからは、何の事はない、50メートルほどの所にありました。 近所の人でも、知らないことは、やはり知らない!
 
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 それで、時代はもっと古くなり、ヤマト国に由来すると言われる前方後円墳の壇場山(だんじょうざん)古墳にまいります。 これは、兵庫県下で、確か2番目に大きい前方後円墳で、河内にある仲津山古墳の2分の1サイズの同型古墳だそうです。 右は、円墳の頂上から、前方部へ向けての写真です。  ここは、国分寺と国分尼寺の中間にあります。 播磨一の豪族の墓だったんでしょう。
 
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 次は、私の実家により近づき、下左は、元取山(もととりやま)と呼ばれる古墳跡とも言われているところですが、この頂上に明治天皇がここに登った記念の石碑があります。 軍隊の演習の一環か何かのようで。 この日は、笹や雑草が生い茂り、石碑には到達出来ませんでした。
 
 右は、中鈴山(なかすずやま)とも言われる小高い丘ですが、これも古墳でした。 いまは、上には神社があります。 この2つは、どちらも円墳のようですが、周囲が結構平らな土地なので、私なんかは、ここに葬られた人達は、結構、強力な権力者であったのでは、と想像しています。
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 次は、私の実家のあるムラそのものにある古墳です。 こういう古墳が、このあたり10数個ありますが、子供の頃のいい遊び場でした。
 
 
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 これは、同じ日に撮影したわけではありませんが、私の滞在中、地区の施設で、「古墳祭り」というイベントが行われていました。 私は知りませんでしたが、もう10年(?)近くやられているようです。 そのように、我がムラの周囲は、古墳だらけです。
 
 そのため、15年ほど前、近所にはりっぱな姫路市埋蔵文化財センターが建設されました。
 
 
 
 さらに少し南へいくと、見野廃寺(みのはいじ)跡があります。 廃寺というのは、アルプスの少女ではなくて、国分寺などが設置される以前の地域の拠点の大寺だったようです。 今は、こんな可愛いお堂ですが。
 
 
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 で、今から、もう少し地域を広げ、姫路城の周辺に行きます。 これは、別の日に撮影したものですが。 まず、男山(おとこやま)です。 ここは、姫路城と私の通っていた高校の間にあり、よく知ってはいたのですが、少し前、火野正平のNHKの自転車旅で紹介されていたので、また来ました。 この山は、今は、貯水池になっており、この階段で頂上に行きます。
 
 ところで、この男山の側に、姫路文学館があり、いままで中の方まで見たことがなかったのですが、この姫路文学館、立派な建物ですね。 それから、この辺りの地図があったので見たら、先ほどの見野廃寺の礎石が、この文学館の庭にありました。 誰が、動かしたんや! (下右写真)
 
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 下左は、これも男山の側にある千姫天満宮。 右は、男山頂上からの姫路城。
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 姫路城ついでに、宮本武蔵のお通さんの銅像と今の花田橋(地元では小川橋)からの姫路城。
 
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 姫路城は、このアングル、つまり東からの姿が一番美しいと言われることがあります。 私も、そう思います。 キリッと、鼻筋のとおった美人のような!?  実際、この東の方角には、城見町(しろみちょう)という町もあるのです。 
 
 ただ、今の私は、この本物のお城を見ると、その美しさと共に、「あの屋根の曲線、どうしたら出るかなーー???」などと、我が庭のミニチュアの製作に絡んで、少し悩んでしまうのも事実です。
 

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 では。