申し訳ない! 「カリフォルニアの青い空」は、惨めな歌でした。

 昨日、青春の想い出の曲、「カリフォルニアの青い空」のことを書いていたら、こちらのニュースで、今、カリフォルニアが洪水で大変だ、と言っていました。 近々あるアカデミー賞の運営にも支障が出るのでは?とも。
 
 私は、このことを全く知らずに、昨日の記事を書いており、偶然には驚いています。 驚きと言えば、実は、この「カリフォルニアの青い空」の歌詞には、あまり深い意味がないのでは、などと書いてしまいましたが、何とナント、この歌には、そのメロディーとは裏腹に、とても惨めな歌詞が書かれているということを、今日、この年になって初めて知りました。
 
 全く、知ったかぶりは危険なことで、昨日まで、私は、この曲のそんな内容を夢にまで想像していませんでした。 最初の方の歌詞やサビの部分だけを考えていたので、そうなったのもありますが、よく確かめもせず、書いてしまったことを後悔しています。
 
 昨日あれから、妻にブログの記事のことを話したら、「ええ、あの歌は、たしかちょっと深刻な内容のものだったと思う。」というような返事。 それならということで、私のCDを持ち出して、彼女に改めて聞いてもらいました。
 
 そしたら、この歌は、カリフォルニアに職探しや一攫千金の夢を持って行った若者が、その地で、職も探せず、ドラッグに溺れたりした惨めな生活を送っているという内容のものでした。 後半のところでは、この惨めな生活をしている自分のことを、故郷の家族たちには伝えてくれないでほしい、というそんな感じの内容のようです。 「南カリフォルニアには、けっして雨は降らない。」、というサビの部分は、そう言われているパラダイスのような土地も、自分には全然よくなかった、という反語だったのです。
 
 まあ、ホントに、今の今まで、このようなことを知らずに、聞いていたり口ずさんでいたりして、恥ずかしい限りです。 ただ、あの頃、1970年代の日本の若者で、この歌詞の本当の内容をわかって聞いていた人が、どれだけいたことでしょう? そういうことであれば、この歌は、「カリフォルニアの惨めな空」とか「夢やぶれたカリフォルニア」とか、「雨もないけど職もないカリフォルニア」とかといったようなタイトルの方が、ふさわしいのではと思ってしまいます。
 
 いずれにせよ、よく確かめもせず、早とちりは、いけませんね。 外国語では、こういうことは、よくありますが、日本語でも、日本人同士であっても、誤解は多いので、気をつけたいものです。 ホントに、失礼しました。 
 
 それと、個人的には、いままで持っていたこの歌の青春賛歌のイメージを、これからどうしたものか、と思案している私です。 ではまた。