私も、母里太兵衛、演じました。 姫路出身だとは知らなかったけど。

 日本では、イギリスのニュースは、流れやすいので、今、イギリス南部でかなりの洪水が発生していることは、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。 そう、アイルランドも、もちろん、今年に入ってから、例年以上の雨風で、海岸地方は、遊歩道などの施設が、いたるところで破壊され、内陸では、洪水の悪化が今も懸念されています。
 
 時候のあいさつの後は、突然大きく変わりますが、前回(第6回)の大河、軍師官兵衛は、織田信長と母里太兵衛(もり たへえ)の回であったと言えるでしょう。 江口洋介の信長、全般的にはまずまずだと思いますが、この回の能の演舞は、もう一つでしたね。 なんか腰高で。
 
 で、もう一人の母里太兵衛、実は、恥ずかしながら、私は、この人が、姫路の出であるとは、今回の大河まで知りませんでした。 この人が、あの黒田節(歌謡曲では、黒田武士とも)のモデルであったことは知っていましたが、黒田節が、江戸期になってからの日本舞踊で、このモデルも江戸時代の筑前(今の福岡県)の人ばかりだと思っていました。
 
 実際、この黒田節について、姫路の一般市民が、特に意識していたことは、いままでなかったと思います。 彼の出た地域のごく近所の人たちには、よく知られた事実だったかもしれませんが。 今、事実と書きましたが、この黒田節の歌詞の内容も逸話なので、どこまでが本当かはよくわからないものでしょうがーーー。 福岡には、母里太兵衛の銅像はありますが、姫路には、そんなもの私は見たことがありません。
 
 でも、逸話の通りなら、黒田官兵衛や母里太兵衛が、まだ、福岡に黒田藩を築く前の話なのですね。 まだまだ彼らには、姫路出身という意識は、強かったと想像します。 時代的には、今の大分県の中津藩に転属したばかりの頃のようですので。
 
 そして、その、本題ですが、この私は、この黒田節をアイルランドで舞っていたのです。 それは、今となっては、とても楽しい思い出になっています。 その経緯を言いますと、私たちが、結婚式を挙げたのは、2000年の7月でした。 少人数の式と披露宴でした。 妻の希望で、カトリックの教会で挙げましたが、二人とも和装で臨みました。 式では、私は、誓いの言葉を壇上でしたのですが、その言葉は、宮本武蔵の五輪の書からの引用でした。 東京から来た妻の友人夫妻以外は、私が何を言っているのか、まったくチンプンカンプンの状況で。
 
 その後、場所は変わって披露宴会場。 ここで、私たちは、招待客に日本式にかくし芸を演じて欲しいとお願いしました。 アイルランドでも歌や音楽の演奏は、よくありますが、それ以外のかくし芸的なものをするようなことは、まずありません。
 
 それで、私自身の演目が、日本舞踊だったのです。 妻は、沖縄のエイサーでした。 もうおわかりだと思いますが、その日本舞踊の演目の一つが、黒田節だったのです。 もう一つは、「白鷺の城(しらさぎのしろ)」でした。
 
 どうして、この演目になったかですが、結婚式からさかのぼる約半年前、この私のかくし芸をどうしようかと考えていた時、思いついたのが、日本舞踊だったのです。 幸い、安物ですが、羽織・袴などは何種類も持ってましたし、何か日本的なものを、この異文化を知らないアイルランド人に見せたいという欲求があったからです。 
 
 演目は、すぐみつかりました。 「白鷺の城」です。 村田英雄が、姫路城のことを歌ったものです。 昔の職場の仲間がこれを読んだら、たぶん笑ってるでしょうが、私たちが若い頃、職場の先輩が、スナックのカラオケで、これをよく歌っていたので、我々若者は、飽き飽きしていたものです。 おもしろいもんです、異国で一人になれば変わるんですね。
 
 で、その舞踊の踊り方は、どうして習ったのか?とお思いの方もおられるでしょう。 当時は、ユーチューブなどもありませんし、私は、パソコンも持ってないし。 実は、私には、確信があったのです。 この「白鷺の城」のカセットテープを買えば、その中に、踊り方を書いた紙が、絶対入っているはずだ、と。 それで、とりあえず、姫路の友人に頼み、カセットテープを買ってもらい郵送してもらいました。
 
 中を開くと、思ったとおり、何十枚という写真入りで、踊り方の詳細を記した折りたたまれた説明書が入っていました。 で、白鷺の城とカップリングで入っていたのが、黒田節(村田英雄のは黒田武士)だったのです。 両方合わせて10分前後の演舞時間、ちょうど良いと思い、2曲ともその演舞の演目にしたのです。 
 
 ここ数日、ユーチューブなどで、黒田節の演舞を見ましたが、どの人も扇子だけで、槍は持ってません。 私のは、扇子と槍をつかった舞いでした。 自宅にあったモップかなんかを使って、槍のおもちゃを作り、練習に励んだものです。 この槍は、今も記念に置いてます。 本番では、まあまあの出来だったのですが、黒田節の方が、酔っ払った雰囲気を出すところがあり、その場のアイルランド人には、よりわかりやすく受けたかと思います。 
 
 この母里太兵衛という名が、歌詞の中にあるので、名前は知ってましたが、今回、私と同郷であるということを初めて知り、奇しくも、演舞した2曲とも大いに姫路に関係があったことを本当にうれしく思います。 このカセットテープを作ったレコード会社に感謝、感謝です。
 
 
 
 本番の時の写真は、いいのがありませんでした。 ビデオはあるのですが。 下は、以前の借家の台所で、練習に励んでいる時の様子。 柔道家だけあって、腰の備えは、いいと思いませんか? 江口洋介より良いかも? 冗談です。
 
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 下は、本番の様子。 私のは、白鷺か黒田か、どっちかな。 妻は、エイサーでした。 彼女のは、よかったのですが、エイサーは、やはり大勢でやるものでしょうね。( 一人では、太鼓の音に迫力がない)
 
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 かくし芸をしてくれた一同集め、記念のショット。 ギター、バンジョー、歌、アイリシュダンスなどの他、柔道・空手の型演武、そして、私たちの演舞などでした。  
 
 
 
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以上、誠に、おそまつ。