私の姫路城 ③ 石垣は一応完成、でも、その先は無理かも!?!

 そのモルタルやコンクリートを自分で練りあげるのは、かなり体力が入りますよ。 もちろん、量によりますが。 私の場合、これを一輪車(ネコ車)のなかで行っています。 このやり方は、自分で思いついたもので、うまく混ざりますが、量的には1回にそんなに多くできるものではありません。
 また、モルタルの場合は、まだマシなのですが、コンクリートをつくるために砂利を加えると、いっきに材料が重たくなるので、これには、気合が要ります。 まあ、こんな感じでやってます。(下)
 
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 それで、石垣づくりなんですが、この飾り石(化粧石)が、外側部分の貼り付けを一応全て終えた後も、少し余ったので、内側、つまり通常本物の姫路城の写真とかでは見られない部分にも、この石を貼り付けることができました。 この石は、こちらの正式名は、ブラウン・クウォーツ(brown quartz) と呼ばれており、石英とか水晶の1種なんでしょう。 
 
 それから、本物で言えば、北側に当たる大天守の後ろと、北側の渡櫓には、人が通れるような隙間を設けました。 将来の作業をしやすくするという点と、子供たちも出入りできるという遊び心からです。
 
 
 
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 全体をレンガサイズの小さなブロックとモルタルでカサ上げし、より水平になるよう調整しました。 で、最後、本物では、「水の五門」と呼ばれる天守閣への入り口部分を取り付けました。 これは、木材を使い、耐水性ペンキを塗ったもの。 これもモルタルでうまくくっつきました(どうかな、と思っていたのですが)。 下の写真は、その門の周囲の枠組みを付けたところです。 門の扉は、このあと付けました。  右写真が、正面から見たものです。
 
 
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 さて、こんな感じで、私の姫路城も、なんとか石垣部分を終えました。(2013年9月末には、出来ていました) 技術的には、全く大したことはありません。 でも、私なりに出来上がりには、まあまあ満足しております。 
 
 で、そして、これからは、本物で言えば、千鳥破風・唐破風などの豪華な屋根や甍の曲線直線と白亜の漆喰の壁が織りなす絢爛たる五層の木造部分になるのですが、はっきり言って、自信がありません。材木費もかなりなものになると予想されるので、いずれにせよ、ゆっくりとした行程になると思います。 
 
 それで、このコーナーの記事も、次いつ書けるかわかりませんので、どうか、期待せずに。 まあ、石垣だけの城になっても、日本には、いっぱいこのような古城があると近所のアイルランド人には、言うつもりですし、実際、何人かは、この時点で私の製作が終わったものと思い、「いいねー!」とお世辞の言葉をくれたりもしました。 
 
 そうです、西洋の城は、こんな感じです。 まあ、石垣が垂直になっていれば、もっとそっくりです。 とくに、姫路城のような小天守(これは、ショウテンシュともコテンシュとも発音されますが、ダイテンシュに対してだから、本当は、ショウテンシュの方が、漢字の読み的には正解なのかもしれませんが、ショウテンシュと言うと、店のオヤジ(商店主)みたいなので、最近は、コテンシュと、私は呼んでます)とつながった連立式と呼ばれる城郭様式で、この形は、とくに西洋の城と似ていると思います。 冗談、余談申し訳ない!
 
 下、左のは、三重塔と同じアングルに入れたもの。   右のは、家の窓の方から見たもの。 
 
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