50年後には、部落差別も多分ないでしょう、でも、それはーーー。

 前にも少し書いたような気がしますが、この日本では、民衆から起こした本当の意味での民主主義は、いまだかつてありませんでした。 民主化と呼ばれるようなものは、いつも外圧的なものがあった時であり、その流れの中で、国内調整的なものをしてきただけだと、思っています。
 
 今また、中国やその他の新興国の躍進で、世界秩序が変化してきています。 20~30年後では、まだ、変わらないかもしれませんが、恐らく、50年もすれば、世界の価値観は、また大きくアジア的なものか、その他の地域のものに影響されているかもしれない。 その時、今のような民主主義が、まだ価値の中心であるかどうかは、わからない。 やはり、軍事強国が、世界を治めているという現実は、今もそうであるように、今後もそうなると予想されるからです、残念ながら。 
 
 そう、民主主義の価値で、世界は治まらないと、私は悲観しています。 そして、そうなれば、日本人の価値観も、大きくそういう世界情勢に影響されるでしょう。 もし、日本という国がまだあるのなら。 で、今ある価値観は、一変し、何が良くて何が悪いかというのは、予測不可能です。 その時、今、日本にある社会問題などは、180度違ったものになっている可能性も大です。
 
 つまり、我々は、明治4年の解放令が出て140年経った今でも、この部落差別などの問題を解決出来なかったけれど、これから50年も経たない内に、そういう問題は、きれいに消滅しているかもしれない。 でも、新たな別の種の社会問題あるいは差別問題が、将来の日本に、はびこってくるかもしれない。 だから、私は、今、民主主義のある内に、この日本で、今の国民の手で、こういう問題が解決されることを望んでいるのです。
 
 ちょっと、前振りが長くなりましたが、賤民階級とか下層身分とかと呼ばれる人たちの存在が、どのようにこの国で形成されていったかについて、私の考えを書きたいと思います。 で、ここは、学者と違って、まあ、気ままに書けるというのもあるので、私のは、先史時代から書いていこうと思います。 と言っても、平安時代以前のものは、文献とかというものはほとんど無く、考古学的や遺伝学の調査を、自分なりに解釈した推論の範囲でしかないということを、あらかじめ了解願います。
 
 少し前にも書きましたが、この日本列島という島々が誕生してから、いまの南あるいは東南アジア系の人々に近い人の集団が、先住してきました。 これは、もう数万年前にさかのぼりますが、元々は、6-7万年前に、アフリカを出たある一部のホモ・サピエンスの集団が、その移動の途中で、その身体的特徴をそれぞれの地域の気候にあわせて、変化(順化)させていったという中での、一つの地域での現象です。 
 
 で、日本列島に来た人々も、今で言うアジア系に大きく分類は、できるでしょうが、いろんな集団が行き来し、あるいは衝突しながら、今で言う民族的なものを形成していったのでしょう。 それで、日本の縄文時代のころには、特に中部地方以東は、今のアイヌ系の人々が、主に占拠し、九州以南では、今の琉球の人達の先祖にあたる人々が、住んでいたと思われます。 この2つの集団も、もっと以前は、同一の系統の人達だったかもしれません。 
 
 この琉球系の人達は、今の日本語の祖語にあたるような言葉を南から持ち込んできた可能性が大です。 そうでないと、日本語の母音を多用する言語の成り立ちを説明しにくいものがあります。 ただ、この2つの集団が、分化したのが、気候によって文化・民族的な差異が、何かの原因でできたのか、それとも以下に述べる新しいアジア人の侵入によって分断され、徐々に、遺伝的にも民族的にも分化していったものであるのかは、いまのところよくわからないです。
 
 さて、私は、邪馬台国は、ヤマト国と読むのが正しく、その場所は、今の奈良の大和だと思っています。 その邪馬台国の創設は、西暦200年より少し前で、その女王、卑弥呼の死は、245年ごろとされています。 ただ、邪馬台国自体は、大和での創設だとは思いますが、それより100年前以前は、北部九州が、日本の先進地(武力的に)であり、その周辺を治めていたと思います。
 
 そういう人達は、ほとんど朝鮮半島経由の人達で、学者の間では、新しいタイプのアジア人(新モンゴロイドなど)と呼ばれています。 しかし、この新アジア人の新とは、何も遺伝的に、以前からいた縄文系のアジア人より優れているという意味ではありません。 先にも書いてように、それぞれの人類集団は、それぞれの土地で、進歩進化しているのです。
 
 とにかく、こういう新しいタイプの北東アジア人の日本列島への流入は、おびただしく、そういう人たちが、邪馬台国以前も、そして、大和朝廷として日本全土(北海道などを除く)を支配するまで延々と続くのです。 そして、こちらの人々の言語が、日本語の文法構造の基礎になったと考えられます。 だから、我々日本人というのは、大雑把に言って、朝鮮人のグループとアイヌ人・琉球人のグループとの混血によってできた混血人と言えますが、その比率は、前者の朝鮮系のほうが、圧倒的だったと思います。 それが、現在日本人のDNA分布に反映しています。
 
 まあ、右翼の人は、韓国・朝鮮を毛嫌いしますが、アイヌの人たちのことは、どう思っているのでしょうか。 私も、韓流のドラマなどは、全く興味はありませんが、こういう歴史を考えると、彼等とは、親近感こそ覚え、憎むなどという気持ちは、何処からもきません。 今の天皇も、そういうふうに言ってましたね、親近感があると。
 
 それで、例の中国の歴史書、魏志倭人伝(通称です、上田正昭先生などは、この通称をあまり好きではないようですが)の中に、卑弥呼の時代に、生口(せいこう)と呼ばれた奴隷の存在が書かれています。 私は、この生口の中にも、おそらく、朝鮮系の日本内陸進出に伴って捕まえられた縄文系の人たちが多くいたのではないかと思っています。
 
 そして、あの大化の改新あたりまでには、まあ600年ごろには、奴婢(ぬひ)と呼ばれた奴隷の存在があったことは、教科書でも載っていますね。 そういう奴婢の区分も増え、たぶん、相対的な人口比率も増え、この大和朝廷の支配するこの国で、支配者はもちろんのこと、庶民(平民)からも蔑視されていく人々の集団が、徐々に出来ていくのです。