スポーツと暴力的指導

 7時のニュースで、柔道全日本女子の監督、園田氏が、辞任するとありました。 ここ1-2日の報道内容からして、どうせこうなると思っていた人は、多いのではないでしょうか。 柔道連盟の対応も、大きな問題を含んでおり(特にJOCから問い合わせがあって以降)、執行部の彼らの責任も、私は見逃せないと思います。
 
 ただ、今回のように15名の選手が、JOCに訴えたとありましたが、これは、ほとんど全員ですよね。 こんな、事態にまで深刻になっていたのだったら、指導していた当時の周りの責任も当然あるでしょう。
 
 今、日本では、ワイドショーなどで、この問題が大きく取り扱われ、言動によるバッシング的なものが蔓延していると思います。  今回のケースは、今も書いたように代表選手のほとんどが訴えるという異常さでしたが、でも、よく考えてみてください。 
 
 我々、日本人の多くが、スポーツ選手、それもトップアスリートになればなるほど、こんなことがあっても、半分、当たり前のように考えていなかったでしょうか? ちょこっと、エラい評論家の先生方の意見を見ましたが、どれも、潔癖主義と言おうか、暴力がいっさいあってはいけない場所であったかのような良い子の論調ばかりでした。
 
 ホンマにそうですか? あなた方、特に、年配の評論家の皆さんは、いろんなところで大小様々な暴力が、スポーツ界には、全くなかったと思っているのでしょうか。 大相撲で、暴力があり死にまでいたった事件があっても、その他の競技へのこの問題意識の波及ということは、あまりなかったですよね。 大相撲でも、その後、そんな問題が、ないのかあるのか、はっきりしませんが、我々には、多少そうでないと、トップを育てるということをやっていけないのではないか、という甘い認識もあったはずです。 
 
 我々日本人が考える、スポーツと根性(あるいは、やる気、あるいは、今流行りのモチベーションというやつ)、そして、身体的接触の関係をどうするか、これまでの価値観を大幅に見直していかないと、この問題は、解決していかない。 
 
 今の時代、例えば、環境の良すぎる生活などで、免疫力の低下や逆にアレルギー症などが発現しやすい。 イジメの問題での自殺なども、ひょっとしたら、昔なら笑って過ごせたような内容かもしれない。 でも、現実に生きている人々が、身体的にも、精神的にも、そういうふうになってしまっているのだから、それには、それに応じた対処が必要なのでしょう。 科学的で、公平、公正なルールづくりが。
 
 今から40年ほど前の私が稽古していた中学校の柔道部は、姫路市内でも結構強かったのですが、その時の顧問の先生は、柔道三段の重量級の先生でした。 この人は、コワモテの感じで、大きな暴力はなかったと思いますが、ゲンコツで頭を小突かれることぐらいは、ショッチュウでした。
 
 それより、当時、中学校の柔道大会で、試合に負けた別の中学のある選手が、試合直後、試合場のちょっと横に、その顧問の先生に呼ばれて、思いっきり怒鳴られた後、力いっぱいの張り手をほっぺたに浴びてました。 衆目の面前で。 私は、冷やりとするものを感じましたが、会場全体は、何事もなかったかのように、運営されていきますし、誰も、その顧問に何か言うという雰囲気でもない。 こういう情景は、その後、何度も見たので、この私も、慣れていきましたがーーー。
 
 まあ、40年前の話しを出しては恐縮ですが、私の言いたいのは、そのような感覚を、多くの日本人は、多少なりとも持っていたのではないかということです。  これをいい機会に、日本のスポーツ界や学校あるいは職場などすべての公共の場において、こういう類いの事件が、2度と起こらないような国民的総意形成と対処法が必要なのではないでしょうか。
 
 また、欧米人は、偉そうに、こんな問題があると、日本のスポーツ界の暴力性をすぐ言ってきますが、彼等は、彼等で、大人の女性へのセクハラや、女児への性的接触などの問題が多々あり、ある程度、文化的な側面で、問題となるところが異なっているだけだという感じがあります。  しかし、どれもこれも、みんな厳しく見直されていく必要があるでしょう。
 
 私も、2週間前から、こちらでの柔道指導を再開しています。 柔道のような競技では、足払いなどを使って、暴力的に見える指導をする人がいるなど、線引は、かなり難しいところもありますが、そこは、やっぱり指導者の生徒に対する本当の意味での愛情が関係してくるのではないでしょうか。 
 
 現場に第3者がいれば、それが、適切な指導なのかそうでないのかは、よくわかるし、第一、本当は、先生も生徒自身も、これが暴力にあたるのか、そうでないかは、よくわかっているはずです。 そこまでの能力がないような指導者は、その資格がないと言ってもいいと思います。 2013年にもなる現代ならば。