宗行源治先生 や 恩師の先生たち

 姫路・播州地方以外の方々には、申し訳ありませんが、官兵衛が出たついでに、このあたりの歴史人物に絡んだ話を書きます。
 
 それは、赤松氏です。 赤松氏は、教科書的には、後醍醐天皇の例の隠岐の島からの脱出を手助けしたとか、しないとかで有名な赤松則村が初期の当主で、そのあとは、室町幕府内で、重鎮となったり、幕府に反抗したりする一族です。 私も、本当はよく知らないのですが、鎌倉時代の中期には、地元の土豪とか悪党とか呼ばれる新興武士団として勃興していたのかもしれません。 系図的には、村上源氏の出となっていますが、この辺はどうでしょうか? 私も、今度、姫路に帰ったら、駅近くの大きな本屋で、この地域で秀吉の時代まで君臨した一族に関する本を探してみます。
 
 今日、この話を持ちだしたのは、赤松氏そのものより、その存在を強く教えてくれた恩師と言おうか、人生の先輩について、少し書きたいと思ったからです。 その人の名は、宗行源治さん、数年前に90代半ばで亡くなられた方です。 この人は、もともと教育者そして政治家で、短大や高校の理事長をされてたり、県議会議員を長く務めていた人です。 たしか、国会議員にも立候補しましたが、当選しなかったようです。 播磨地方では、この人を知る人は、多いはずです。 
 
 私がなぜ、この宗行先生に出会ったかというと、この人は、養鶏業界の兵庫県での重鎮だったので、今から25年ほど前に、養鶏関係の仕事を県職員として担当していた私は、お会いすることになったのです。 この人の出身地域が、採卵鶏の飼育の盛んなところだったからでしょうが、この人自身が、直接、養鶏業に関わっていたのではないと思います。
 
 そういうことで、養鶏団体との会合などで、宗行先生とは、度々会い親しくさせていただきました。 そのうち、私的にも、お会いするようになり、いろいろお話を聞かせてもらうようになりました。 私より、50歳近い年長であり、当時の私は、駆け出しの県職員に過ぎませんでしたから、半分窮屈な感じでしたが、半分ためになるなあ~という感じもありました。 この先生は、かつての柔道の猛者でもあり(余談ながら、この人の柔道の師匠は、戦前あの木村政彦と同時代に活躍した強豪だったそうです)、私が、柔道をやっていたこともあって、よけいにかわいがってくれた気がします。
 
 政治的な考えは、かなり違う二人でしたが、でも、政治に半分絡むような社会の動静について、いろいろ示唆的な指摘をしていただき、今も参考になっています。
 
 逸話的ですが、ある時、電車の中で、先生が、「上野君のお父さんの名は、何と言うの?」と、突然聞いてきました。 ちょっと動揺した私は、でも即座に「上野正光と言います。」と答えました。 先生は、「ああ、私は、あなたのお父さんのこと、たぶん知っているよ。」と、すぐまた返答。 私は、少しウロタエました。 部落の人間で、土方で、飲んだくれの私の父を、何故、この播磨地域の名士とも言えるこの先生が知っているのか、と。
 
 あとで思ったのですが、恐らく、私の祖父が、ちょっと金持ちだったり、ムラの区長をするなど、ムラの指導者的な人だったので、それで、宗行先生が、私の家のことを知っていたとしか、考えられません。 政治家でもありましたから、やはり地域の票は、ほしいですからね。 各地域のリーダーのことを、おそらくよく知っていたのでしょう。
 
 まあ、こんなことがあって、ある時、この先生が、「上野君、私は、この播磨の赤松氏に非常に興味を持っている。 一度、本でも書けたらなあ~と思っている。」と、おっしゃった。 私は、名前ぐらいしか知らなかったので、そうですね、ぐらいのいい加減な返事しかできなかったものです。 結局、先生の本は、なりませんでしたが、播州播磨の武士を語るとき、この赤松氏を除いては語れないということと同時に、その時には、いつも、私には、宗行先生のことが、懐かしく思い出されるのです。
 
 先生とは、私が、県職員を辞めたあとも、親しくしていただき、亡くなられるまで、年賀状の交換をさせていただきました。 私は、どちらかと言うと、自分より年長で、考えの深い方と話すのが好きです。 そういう意味で、私のこれまでの人生で、人生の先生とか恩師と言える人は、大学時代の研究室の担任教授だった先生、このブログにも書いた県庁の上司、小畑昭雄さん、そして、この宗行先生ぐらいです。 これらの方々は、皆もう亡くなられました。 あと、以前にも書いた小学校から高校までの本当の先生方も忘れることができません。
 
 ただ、今もお元気で、私の人生の先生と呼べるべき人が、一人だけおられます。 沖縄に住む吉田先生という方です。 この先生は、私達夫婦が、沖縄でお世話になった中学校の校長をされていました。 今は、70歳近くになられていると思います。 いつまでもお元気でいてほしい、と願っています。