黒田官兵衛は、500年前の近所のおっちゃん!

 さて、今日は、再来年の大河ドラマが、黒田官兵衛に決まったことについて書きたいと思います。 ちょっと、その前に、ノーベル平和賞が、EUに授与されると聞いて、半分呆れてます。 ご近所同士で! まあ、このことは、いずれまた。
 
 その大河ですが、官兵衛を取り扱うようにと、姫路市などは、数年前からNHKに陳情していました。 まあ、どこの地方でもあることですが、今回の報道で、官兵衛が後年治めた九州地方の自治体も活動していたと知り、いろんな方面からの申し入れがあったのだなあ~と再認識、NHKも大変です。 
 
 まあ、姫路などは、今、全国の多くの方がご存知のように、姫路城の大修理を行なっています。 また、JR姫路駅も高架化とともに改修され、駅前も大きく再開発が行われています。 こういう国や自治体、企業などからの大きな金が、お城と駅の間に投入されていることは、地元の人間には、まあいいことでしょうが、全国的に見ると、どうなのでしょうか。 まあ、世界遺産だとか国宝というものの扱いが、こういうことであるのかもしれませんがーーー。
 それにしても、姫路などは、この世界に名だたるお城のおかげで(余談ですが、姫路市民は、絶対に城の前に「お」をつけます。 それは、有名な城を持つ地域で共通していますが)、今後とも、その街としての魅力を増していくと思います。 この先、この日本という国が、いつまで存続するのか知りませんが、中国の台頭など世界の価値観が変化している中で、日本の普通の街は、大都市と言えども、その魅力は、相対的に小さくなっいくように感じます。 外国などにいると、世界のどこにでもあるような都会は、あまり魅力を感じません。 
 
 さて、その黒田官兵衛、今の姫路市内の生まれであるということですが、すでに異論もあるようで、これからいろいろ説も出るのでしょう。 大河が始まると、姫路市内の御着(ごちゃく)城や英賀(あが)城、三木城、もちろん姫路城などの名が、いろいろ出てくるでしょう、いや、出るはずです。 そして、官兵衛が秀吉に出会うまで活躍するのは、小寺氏の家老として務めた御着城であります。 何を隠そう、この御着城こそ、私の実家から、自転車で10分くらいのご近所なのでございます。 
 
 そう、播磨の国分寺とともに、私達が、子供の頃、よく遊びに出かけたところです。 この御着城あとは、今は、姫路市役所の支所が建っており、その支所は、小さな天守閣を模した作りになってます。 たぶん、大河の史跡紹介の時間(あの終わりの数分間)で、紹介されるでしょう。 つまり、、私にとって官兵衛は、全国的に有名な歴史人のなかで、最も近所から出た人なのです。
 
 この御着という地名は、そもそも神功皇后だったか、そのような人の訪問に関係した地名です。 また、以前にも書きましたが、この地域は、古くからの古墳があり、播磨の国府が近くにあったという説もあります。 (定説では、播磨の国府は、今の姫路城の近くにあったと言われてます) そして、官兵衛の頃も、小寺氏の中心は、この御着城であり、姫路城のあったあたりの地域は、支所的な存在であったようです。 この2つの城の距離は、そうですね、直線距離で4キロぐらいでしょうか。 姫路が西、御着が東の、ほぼ東西です。
 
 何も、私は、故郷・ご近所自慢をしているわけではありません。 つまり、今、それほど陽の目を浴びていない地域も時代により、いろいろ変遷がある、変化がある、と言いたいだけなのです。 姫路は、兵庫県の中で、本来は、県庁所在地になるべくはずの土地であったし、姫路市の東部は、かつての姫路の中心地であったなどを知るとき、我々は、ものごとをより相対化し、表層にとらわれない考え方ができるのではないかと思いますが、どうでしょうか。 
 
 まあ、こんなことは、地元の子供たちなどに、言うべき内容でしょうが、誰もこのブログを見ることもないと思うと、バカげてますね。 ではまた。