禅の心から、それから?

  では、心の持ちようを、どのようにすれば良いか、というような問いに対して、具体的に示したものは、私は、あまり知らないのですが、あの吉田兼好の「徒然草」などは、多くの示唆的な言葉を残してますね。
 また、剣豪・宮本武蔵の五輪書には、「心を一か所に、止めておかず、ゆっくりと動かしておく。」 というような意味の記述があります。 もちろん、これは、サムライの心得としてのものであるけれど、万人に適用できる処方だと、私は思います。
 
 では、まあ、具体的に、現代人の心の持ちようは、いかにあるべきか、上の二人や禅やその他の偉人の意見などを基に、私の思うことを次に書きます。
 
  ①ある事をについて、一つの側面からだけで見ない。 反対の側からの視点が必要。
    (コップに、水が半分の例)
  ②時間が許す事であれば、そのことをすぐに判断しない。 時間・環境が変れば、問題も自ずから変る。
  ③自分の周囲をよく観察していけば、いつか、何かおもしろそうなことが見えてくる。
  ④物事を簡単にできると思うな、しかし、時間をかければ、なんとかなる、と考える。
 こんな、ところですか。
 
 それと、平行して、もうひとつ言いたいのは、もし、あなたが、私のような、わりとせっかちな性格ならば、次のような具体的な事もお勧めです。
 
 それは、日常の仕事や作業がある中で、まあ、その仕事がとてもキツイという程ではないが、何か平凡でつまらない、あるいは、ちょっとシンドイなどと感じる人は、その日常の作業の上に、あえて、もう一つ小さい課題を置いていくようにすれば、いかがでしょうか。 その課題は、あまりハードルの高いものではなく、また、その日、何もできなくても問題なし、ただ、その課題を常に頭のどこかに置いておくのです。
 
 そうすれば、元の日常の仕事をこなすことは、あまり無理なくこなせるようになると、思います。 精神的な余裕が出てきます。 そして、いつかは、その新たな課題も達成していることでしょう。 まあ、こんな案です。
 
 まあ、悟りを開く道とは、かなり離れてしまいましたが、心の絶対平安など、もとより、ほとんどの人間には、不可能なことなのであります。 偉大な歴史上の人物でも、悩んでばっかりだったでしょう。 いや、偉大だから、よけい悩むのかもしれません。
 
 ちょっと横道ですが、私が、中学2年生の夏、村の銭湯にあった日めくりのカレンダーで、あのドイツの文豪ゲーテが、自分と同じ誕生日であると知りました。 そんなもの何の意味もないのですが、当時の私は、それ以来、彼の本を読むようになり、そして読書の楽しさを知るようになったものです。 
 
 このゲーテは、古今東西でも、有数の名言の創作者で、いまでも多くのものは、我々の心に訴えます。 しかし、私は、このゲーテ自身が、日常生活では、自分の言っていた名言・格言とは、全然ちがった行動をとっていた、というようなことを書いた本を見たことがあります。
 
 まあ、どこまで真実か、これも、もう200年くらい前の人であるので、真相は難しいでしょうが、私が、推測するには、つまり、このゲーテも、日常生活、結構悩んでいたのではないか、ということです。 だから、我々も、大いに悩んだらいいのでしょう。
 
 それと、もう一つ、我々は、日々変化する環境にいるということです。 数年前、NHKの新年の番組で、ニッサンのゴーン社長、いやルノーのゴーン社長と言った方がいいかもしれませんが、彼が、インタビューに答えてて、
「我々は、常に変化の中にある。 その変化の中に生きていることを、自覚しなければならない。」という意味のことを言っていました。
 
 このようなことは、百も承知のことですが、あらためて言われると、本当にそうだなと感激したものです。 まあ、新春で、心が新鮮であったせいかもしれませんが。 ということで、周りの環境も、自分の知力・体力も、常に変化し続けているということを肝に銘じ、我々は、その人生を歩んでいかなければならないと、いうことでしょう。
 
 そうでなければ、また、それだけのしっぺ返しが、自分に来るということでしょう。 まあ、それも、甘んじて受けるという覚悟のある人は、また、それはそれでよろしいと、私は、思います。