久しぶりに見た「ゴッドファーザー」よかったーーー。

 アイルランドの国営放送RTEで、年末年始にかけ、アメリカ映画「ゴッドファーザー」が、3部作全部放映してたので、妻とじっくり全て見ました。
 
 ゴッドファーザー(1)は、私が中学生の時、初めて見たものでした。 あの時も、平均以上の映画だとは思いましたが、むしろ殺し合いの凄まじさなどばかりを見ていたような気がします。 当時の評論家などは、凄い評価をしていましたが、そこまで私には、ピンきませんでした。
 
 それから、40年近く経ったいままで、この映画は、何回と見てきましたが、特にじっくりと見た覚えもなく、また、私の英語の能力もかなり低かったので、この映画シリーズをよく理解して見ていたとは言えません。
 
 で、今回、あらためてじっくり見たら、英語の会話部分は、もちろん全て分かったわけではないけれど、かなり理解できたし、イタリア語での会話時の英語字幕は、ほとんど読めたので、内容を理解するのには大いに役立ったと思います。
 
 それよりも何よりも、この映画に出てくる多くのイタリア系アメリカ人は、アイルランド人と同じ敬虔なカトリック教徒でありました。 だから、映画の中で、ふんだんに出てくるカトリックの儀式やそれに係わる人びとの生活ぶりを、今、ここアイルランドでカトリック教徒に囲まれている私は、本当によく理解できるので、映画の中での意味もよく理解できました。
 
 パート2で、マイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)の子供に係わる盛大なパーティーがありましたが、あれこそ、以前、私が書いたコミュニオンという10歳前後の子供が、自分の意志で受ける、カトリック教徒になるための最初の重要な儀式です。 もちろん、赤ちゃんのときの洗礼式を除いてですが。 このコミュニオンは、アイルランドでも、それぞれの家庭で盛大に祝いますし、多額の出費をします。
 
 だから、マフィアのボスの子供のパーティーともなれば、あれだけ盛大なものになるのでしょう。 昔は、何のパーティーかそして何でこんなに盛大なのか、この私には、よく分かりませんでした。 多くの日本人にとっても、そうだと思います。
 
 今回、自分も異国に住んでいる者として、とくにパート2のロバート・デニーロ演じるヴィート・コルレオーネの部分が特に面白かったです。 
 
 両親を失い、移民として全く言葉のわからない新天地アメリカで、やり直そうとうする10歳ぐらいの男の子。 その子供が、恐らく、大変苦労して大きくなって、でも、心根はまだ優しく、そのため近所の人たちの面倒見もよく、そして、次第に、その勇気と行動力で、マフィアのボスに成り上がっていくヴィートの姿。
 
 この映画では、生き続けるために自己防衛を過剰に強化していかなければならなかった人びと、その人生が歴史や社会環境によって大きく翻弄された人びと、それらの人生やその家族や一族の行き方を十二分に表現しており、その撮影手法も素晴らしいものがあったと思う。
 
 そして、私には、この映画にダブらせて、私自身の幼い頃のことも思い出されました。 それは、当時、近所の子のお父さんが、ヤクザで、普段、私たちの村に住んでいないその父親が、時々、私たちの村に帰って来た時などのことです。 昭和40年ぐらいの頃、黒塗りのタクシーもあまり見ない頃、それよりももっと立派な車で、そのヤクザの父親は、弟分を連れて自分の実家に立ち寄っていました。 私たち子供は、その車の周りで、ハシャイデいました。 そのおじさんは、私たちには、非常に優しい感じの人でした。
 
 このことなどは、マフィアの乗っている車の豪華さや葬式などの儀式の盛大さも、日本のヤクザと同じだなぁーーーとあらためて感じたものです。
 
 前にも書きましたが、マフィアやヤクザ組織などというのは、全く認められませんし、彼らのやっていることは、非道であり、そのことは一片も擁護できません。 しかし、そうなってしまう、あるいは、そうなってしまった人間の弱さ、あるいは、社会の矛盾を、この映画はよく表していると思いますし、それだから、心にズシンと、響くものがあるのでしょうかね。  まあ、私がこう書く以上に、この映画の素晴らしさは、もっとあると思いますがーーー、とりあえず、ここまでで。