県庁時代の上司、小畑昭雄(おばたあきお)さんの死を悼みます。

 こういうタイトルで、年始の挨拶をするもの変ですから、それは省略することにします。 でも、まあ皆さん、お元気で2011年をお迎えしたことでしょう。 
 
 それで、突然ですが、私がこのブログの初めのほうでも書いた、県庁時代に公務員としての心構えを教えてくれた当時の上司が、昨年の暮れ12月20日頃に亡くなられました。 まだ、たしか65歳前後のはずです。
 
 この人は、元来、酒にはあまり強くないのに、仲間と飲み会うのがすきで、酒を介しながら、トコトン話し込むタイプでした。 だから、肝臓や胃腸を痛めやすい体質になって、そんなに長生きはしない人なのではないかと、心配していましたが、まさか、こんなに早く来るとは思っていませんでした。
 
 彼が、私に教えてくれたことは、前にも書きましたが、単純に、「公務員にとっても、民間の会社と同じで、訪ねて来る人は、皆、お客様である、と思え。」ということでした。 つまり、そういう心構えで仕事をしろ!ということでした。 この言葉で、当時、獣医師資格の公務員として、どのような仕事をすればいいのか迷っていた私は、大変救われました。 それからは、ちょっとコワモテの雰囲気のする小畑さんとも打ち解けて、仕事にも打ち込めるようになったような気がします。
 
 実は、小畑さんとは、恐らく、政治的な意見や具体的な仕事の進め方などには、私とはかなり違うものがあったと思っています。 たとえば、会議の進め方なども、係長としての小畑さんは、懸案事項もなるべく根回しで前もって処理しておき、表の会議そのものでは、円満な進行を望んでいました。
 
 でも、若かった私は、表の会議の場でこそ、参加者のなかでの意見の相違をさらけ出して、その中で解決していくべきだ、と単純に考えていました。 しかし、このようなことは、ケース・バイ・ケースで、一概には、どちらがどうと言えないかもしません。
 
 私は、この小畑さんが、被差別部落や帰化した在日の出身であるとは思いませんが、少なくともそういう人たちに対する偏見はゼロでしたし、そのようなことに涙する人でした。 部落出身のこの私が、真に信頼できる上司でした。
 
 私との直接の関係は、2年間だけの短いものでしたので、私の知る小畑さんは、他の人の思いと違うかもしれませんが、小畑さんは、飲み屋に行けば、仕事の話は、ほとんどしませんでした。 ただ、最初のほうで、簡潔にこれからの我が係の方針を言うだけでした。 
 
 それから、店の女将さんや私たちと、Hな話をするのが好きでした。 カラオケで歌ったことは、私の知る範囲、ありません。 でも、私たちが、歌うのは聞いてましたが、基本的にはカラオケのあるスナックより、こじんまりした焼肉店や居酒屋がすきでした。 一見、豪快な感じの人でしたが、内心はやはり繊細な人だと思います。 それは、飲み会などの席でも、常に、周りへの気配りの気持ちが、この人にはあったからです。 だから、当時の若い私たちには、ちょっとシンドイものがあったのも事実ですがーーー。
 
 私が、こういう本当に個人的なことをブログに書くのは、もうこのブログが、他人に紹介しようとしているものではなく、今の自分が、どのように考えているかを、書き留めておこうと思っているためが、まず、第一です。  そして、ひょっとして、小畑さんを知る人が、この記事を見て、何らかの参考になればと、思うからです。
 
 小畑さんが、教えてくれたことは、その後の私の生き方の大きな指針にもなってきました、 本当に、感謝しています。 そして、あの世とか天国とか、全く信じない私ですが、仮に、私がこう思うことで、小畑さんの親族の人たち(特に、若い人たち)に、ほんのすこしでも温かな気持ちを与えることができるなら、幸いです。 
 
 それと、小畑さんのこの訃報を知らせてくれた県庁時代からの友人、嶋やんにも感謝いたします。
 
 最後にもういちど、小畑さん、本当にありがとうございました。