出生数激減のニュースを聞いて

 25日でしたか、NHKの7時と9時の両方のニュースで、今年の出生数が、初めて90万人を割り、86万人だった、と大きく取り扱っていました。 そして、その数値は、その予測値(恐らく、政府の)より、2・3年早いペースで減少してしまったということも。

 このニュースは、いままでヤフーブログでも関連することをいろいろ書いてきた私にとって、大変大きな問題だと思えたので、このはてなブログでも、初めて長文の記事を書くことにしました。 この数字を見る限り、日本の未来は、非常に暗くて、手遅れなような気がしていますが、とりあえず思ったことを書いていきます。

 この出生数の減少、つまり、将来の生産人口の減少は、経済の衰退はもとより、究極、その国の滅亡を引き起こす最も大きな要因であることは、どなたも知るところでしょう。税収の枯渇であったり、年金制度の破綻で始まり、さらに地域やコミュニティーが、崩壊し、ついに国の存亡へと! 

 最近、NHKでよく報道されている地震やその他の災害で、特に首都圏に被害があれば、それは、日本全体に深刻な打撃を与えるであろう、というシナリオがあります。 確かに、今、そのような大きな災害が、首都圏に起これば、日本は壊滅かもしれません。 でも、似たような大災害は、過去にもありました。 関東大震災や太平洋戦争の惨禍です。 でも、それらは、日本の経済の進展とともに、数年の内に回復がなされました、少なくとも表面上は。 つまり、国力・経済が、右肩上がりの状態であれば、これらの災害による被害は、実は、相対的には、大したものでないはずです。

 でも、人口減少は、全く次元の違うレベルの問題であり、その過程では、過去では問題にならなかったこのような災害でも、これからの日本に深刻なダメージを与えるということなのでしょう。

 で、そもそも、その出生数の減少の理由については、結構いろいろな意見がありましたけれど、私は、どれも深くその本質を見抜いて来なかった、だから、その対策も、効果のあるものになりえなかったと思っております。 よく言われた理由は、特に、バブル期以降の若者には、デフレの影響で、実質賃金などが上がらず、子供を持つなどの経済的余裕がなかったというもの。 もうひとつ、よく言われるのは、保育所などの数が十分でなく、働く女性には、子供を預けるところがないので、子供の数が増やせないなど。 他にも、夫の家事の手助けがない、自分や夫(またはパートナー)の職場の妊娠や産休、育休への不寛容な態度や制度などが、よく言われてきました。

 でも、私は、それらのもっと根源にある、この日本国に存在してきたある意識を変えなければ、すべてのことは前に立ち行かないと考えてきました。 それは、一言で言えば、女性への差別です。 戦後も、日本の男中心社会は、女性を真の意味で、男性と同等に扱ってこなかった。 もちろん、男が主になって決めてきたけれど、少なくともここ30年ぐらい前からは、女性も自ら主張して変革を推し進めることができたのに、女性たち自身も積極的に自らの解放をしてこなかった、ことも言えると思います。

 戦後の一時期、日本の女性は、新しい憲法の下、選挙権や家族制度の法的縛りへの解放など多くの権利と自由を獲得しました。 ただ、そのあとも、日本の経済は進展し、科学や生活の便利さなどは、向上してきましたが、こと女性の権利や社会での立場の意識改革は、あまり向上してこなかった。 このことが、私は、女性が、結婚の忌避や子供を持たなくなった一番の理由だと考えています。

 経済の高度成長期以降も、日本の女性は、”主婦”であることに専念させられた。 ただ、まだその時期は、他国に対する日本の優位性もあって、日本の経済そのものが大きく肥大していったので、各家庭の経済事情の好転に隠れる形で、主婦であることのマイナス要因は、とくに顕在化しなかった。

 しかし、家にいる主婦”奥さん”の立場は、社会的には、正直なところ二流の市民でしかない、というのが、広く世間の雰囲気であったのは、確かでしょう。 本当は、立派に子供を育て、家の面倒を見て、さらに良妻であることは、大変なのに! この時期に、女性たちは、もっと自己主張して、主婦であることが立派な社会貢献であり、仕事であることを声高にすべきだった。(もちろん、ここには、嫁・姑関係とか、夫の実家に実質的に属してしまうことになる、といった様々な苦難も含みます。)

 その後、経済が停滞し、それからの主婦は、外ででも働かなければならなくなった。 夫の家計の手助けに。 その手助けと家事の両立は、そうとう困難であるのに、今度も、男社会は、それをあまり評価しなかった。

 また、学生時代からやる気ある女性は、社会に出て、男と対等以上に働こうとした。 でも、そこでも、男社会の慣習の中、多くの壁が女性たちには待ち受け、男性よりはるかに昇進の機会の少ない中を頑張らざるを得なくなった。 より少ない給料で。

 こういう精神性は、簡単に言えば、「主人」や「奥さん・奥様」に代表される言葉の持つ意味とほぼ同じである、と私は常々考えています。 こういう言葉を廃止しない限り、日本の女性の立場は、変わってこないと思います。 

 こういう社会・時代が、ずっと続いて行く中、女性たちは、徐々に結婚や子供を持つことを拒否してきたのです。 前述のように、戦後すぐの解放で、彼女たちは、その権利は少なくとも持つことができたので。 これが、彼女たちの唯一の意思表示だったのだと思います。 根本的に、女性の権利を主張することは、この国では、なかなか難しいというのがあったから。 それは、男たちにも言えることで、この日本という国では、いまだかつて、民衆の手でその自由や民主主義を全国規模で勝ち取ったという市民革命は、生まれなかった!

 ついでに言うなら、戦後の男社会を変革しようとしてこなかった男たちは、そういう女性の大変な立場がわかっていたので、彼ら自身の娘たちが、そういう環境(家庭に収まったり、社会に出てもまれる等)に入りたがらないことについては、積極的に反対はしてこなかった。 

 さて、こういう状況で、この危機的な日本の人口問題に、解決策はあるのか? 

 まあ、ここが一番大事なところではありますが、私ごときには、まともな妙案があるわけではありません。 でもまあ、やはり自分なりに考えるところを、稚拙ですが、2・3書いてみます。

 で、その日本の女性差別・蔑視の社会意識・精神構造を改革するには、まず、書いてきたような差別語をなくすことである。 女性が男に従属しているような意味をもっている言葉すべてを。 ”主人”・”奥様”、”家内”などなど。

 その次に、制度面でも、これを大胆に変革する。 政治家や大企業の幹部の中で、女性の占める割合を少なくとも30%以上にするとか、女性の給料を全く男と同じにする(内容が同じであれば)など。 そして、産休・育休などの取得も強制性のあるものにするなどなどーーー。 逆に、女性(及び女性配偶者)に優遇されているような税制面も、これも並行して暫時廃止していく。 つまり、大人の男女を全く同じ条件にしていくということです。

 そして、でも、今、喫緊には、これが一番重要だと思われますが、国の移民政策を大胆に変革し、若い外国労働者(単純労働であっても)が、日本で定住しやすくする。 多少の治安の乱れや当初の周囲との軋轢は、しょうがない。 国が、滅びるよりましでしょう! 

 また、そのことに付随して、日本語という言語も、公共的には、もっと簡易な言葉に変えていく。(災害対応や駅で”電車がまいります”、といったような言葉や表現を、もっと平易で簡明なものにしていく、などなど。)

 ま、こんな感じです。 思いは、深刻ですが、日本の皆さんは、このニュース、どう感じたのでしょうか??? ま、私なりに書いてみました。 ”思いは言葉に”  はてなブログさん、ありがとう。