ニッポンは、遺憾です。

  書きたいのは、前にもちょっと言いましたが、日本あるいは日本人をどう読むか、ということでした。 私には、「ニッポン」とか「ニッポンジン」という言い方には、とても抵抗があります。 軍国主義やタカ派的イメージがつきまとうからです。 でも、これは、政治的・思想的なことなので、このことについては、今回、前もって、他のウェブサイトで少し調べてみました。
 
 それによると、NHKでは、「ニッポン」と発音するのは日本や日本人など、「ニホン」と発音するのは日本画や日本語などと、全ての場合に応じて細かく分けているようです。 しかし、なぜそんな、メンドクサイことをするのでしょうか。
  「ニホン」なら、どんな接尾語が付こうが問題ないけど、「ニッポン」では、とても違和感のある言葉になるのは、ご存知のとおりです。 日本史や日本庭園など。 それを、いちいちアナウンサーに分別させて、発音させるNHKの意図がわからない。 職員の研修費も、国民からの徴収金からでているのに。
 
 また、個人的感覚では、NHKでも昔は、「ニッポン」は、ともかく、「ニッポンジン」は、アナウンサーの口からは、あまり聞いたことがない。 しかし、この前のノーベル化学賞の日本人の受賞のニュースでも、街頭インタビューをされた5-6人の一般市民は、みんな「ニホン」あるいは「ニホンジン」と言っていたのに、NHKのアナウンサーとナレーションの声だけが、「ニッポン、ニッポンジン」でした。 これも変ですね。
 
 ただ、少し前、天皇在位20周年の式典が、ありましたが、あのとき、天皇自身は、その祝賀に対するお礼のあいさつの中で、日本を「ニホン」と発音していました。
 
 別のサイトでは、NHKの言語研究所の調査結果が載せてあり、2004年の時点では、日本を「ニッポン」と呼ぶ人は、年齢が下がるにしたがって、少なくなっているそうです。
 
 つまり、NHKの努力にもかかわらず、日本は、やっぱり「ニホン」という人が、より多数派になっていっているようなので、この私も、とくに何も言う必要はないのかもしれません。 リズムがいいのと、元気がでるというのであれば、「ニッポン、チャチャチャ!」の時ぐらいだけ、使えばいいでしょう。 (ちょっと、例えが、古いか)
 
 変って、最後に、日本国内の言葉のことで言いたいのは、「遺憾」という言葉です。 この遺憾という言葉は、ほんとにイカンです。 だいたい、こんなことを仮に、私が、何かある組織や団体から不利益を受け、その組織の人に、この言葉を使って謝られても、全然、気分はおさまらない。 なぜなら、こんな言葉を、日常では使わないし、文書表現から来た言葉であると思うので、本当の心の底からの気持ちとは、感じられない。
 
 まして、この言葉は、自分自身や身内のミスや犯罪にも使うし、当該相手やさらに第3者を非難するときにも使われる。 こんな、イイカゲンな言葉が、あるでしょうか。 ニュースの中には、誰が、悪いことをしたのか、わからないような表現になることもある。
 
 今度の検察の事件などは、検察幹部は、これから出てくる事実に対して、「遺憾に、思っております。」などとは言わずに、「本当に、どうも申し訳ありませんでした、すみませんでした。」などと言ってほしいものです。 もちろん、実際の行動が、いちばん大切ですが、言葉使いも、やはり重要だと思います。 裁判員制度など、国民に開かれた司法を目指すということであれば、なおさらです。