まいど、えげつなーー、誰がカバやねん!

 昨日、こちらのテレビで、NHKの「私がこどもだったころ」の桂三枝の巻が、ありました。 はっきり言って、今回の番組は、あまりおもしろくなかったです。
 
 三枝さん自身の少年時代は、非常におもしろく、ストーリー性があるのに、再現ドラマは、極めておもしろくないものになっていたと、私は、思います。 三枝役の一人の子供が、小学生低学年から中学生まで演じているのも非常に違和感がありました。 

 それにくわえ、戦後すぐから1960年ぐらいまでの大阪のど真ん中での物語なのに、その使っている大阪弁が、非常に中途半端なものでした。 当時の大阪の子供が、「そう、それが、いいね。」などという言い方は、絶対しません。 「そや、それが、ええな。」か、これに近い表現をするでしょう。 
 
 かわって、つい最近始まった朝ドラ。 私は、朝ドラは、ほとんど見ませんが。 でも、今回の「てっぱん」、これに、これも大阪のど真ん中に住む67歳のおばあさんが、「このラッパを捨てる、捨てる」とその孫娘に向かって言うシーンがありました。 
 そんなこと、ないやろーと、私などは思います。 まあ、個人的に使う人は、いるかもしれないけれど、「いけず」な性格と設定されている、この大阪のおばあさんが、「ものを、捨てる。」などとは、言いませんで、絶対。 それは、「ほかす!」でしょう。 「ラッパを、ほかすでえーーー!」が、より正確な大阪言葉では、ないでしょうか。 方言指導の人、どないしてるの? 
 
 俳優の冨司純子は、このドラマの中で、その方言指導の人から、彼女の京都風のアクセントを大阪風のものに矯正させられたと、言ってましたが、そんな、関西人にもわからないような微妙な差異を指摘する前に、基本単語は、しっかり押さえていってもらいたいものです。
 
 「ほかす」で言えば、数週間前に、渋い俳優の藤竜也のインタビューが、ありました。 横浜育ちの彼が、そのインタビューの中で、「捨てる」という意味で、「ほかす」と言う言葉を使ってました。 まあ、俳優さんは、多くの地域の出身者と交流するから、この関西いや西日本でよく使われる「ほかす」という言葉がでたのかもしれません。
 
 話は変わって、関西弁が、ある程度、全国で市民権を得られるようになったのは、1980年代の漫才ブーム以降だと、よく言われます。 それと、もうひとつ、私は、関西、近畿地方やその周辺で、大阪を中心とした言葉が、その地域内で、強く影響を与えるようになったのも、テレビが出てきた1960年頃からで、それが終わったのは、これも、その1980年代の漫才ブームだと、思っています。
 
 私が、それこそ子供だった頃、在阪のテレビ局は、多くのお笑い番組を持ってました。 もちそん、関西ローカル、あるいは西日本ローカルでした。 今も、そんな番組は、あるでしょうが、当時の勢いは、今の比ではありません。 
 たとえば、半ドンの土曜日、早く終わった学校から、楽しく家に帰って、まず、テレビのスイッチを入れます。 そこには、上方寄席(漫才、落語)の番組が1時間、藤山寛美の松竹新喜劇が1時間、そして、岡八郎や花紀京の吉本新喜劇が1時間とありました。 そして、日曜日には、「てなもんや」などもご存知のとおりありました。 
 
 関西弁の強度と言おうか、深さと言おうか、とにかく、そういうものは、それぞれ違ってましたが、これらを総合する形で、関西に住む子供たちは、自分の地域の地元の言葉と、それによく似ているけどちょっと違うところもあるテレビから流れてくる関西弁(大阪弁が主)を、頭の中で混ぜこぜにしながらの言語生活を送っていたと、思います。
 
 このことは、他の地域では、あまりなかったと思います。 たとえば、東北の中心地、仙台からのローカル放送は、東北一円にいっぱいあったでしょうが、一つの「お笑い」のような文化を、共通の言葉で、域内に広めるというのは、あまりなかったのではないでしょうか。 これは、九州の福岡や中国地方の広島などでも、同じでしょう。
大阪のお笑いのような求心力は、なかったと思います。
 
 しかし、80年代の漫才ブームは、多くの関西人(とくに、私たちのように、もう大人になっていたものにとって)には、すこし違和感がありました。 もちろん、「アホ」や「シンドイ」という言葉が、全国区になることは、いいかもしれませんが、いままでのお笑い芸人が、関西ローカルの時に使っていた言葉が、大きく自粛され、そして、共通語的な言い回しとミックスされ、何か、(一般の関西人には)落ち着かない喋り口になっていったように感じます。
 
 私の、もちろん、つたない考えですが、漫才ブームは、皮肉にも、言葉の上で、その元である関西の人間には、以前のような強いインパクトを与えなくなってしまったのではないでしょうか。