言葉は、自分の人格の表れ!

 さて、もう少し範囲を大きくして、関西弁について書きます。 私の故郷の姫路周辺は、もちろん関西弁の一部を形成していますが、その語彙に大阪とかと若干の差異があるので、この地方の言葉は、播州弁と呼ばれることがあります。
 私が言う関西弁は、主に文全体のイントネーションのあり方と個々の単語のアクセントの位置によって、ほぼその地域境界が確定されていると思います。 専門家的には、京阪式アクセントと呼ばれているようです。
 
 本州の西端は、私の故郷の兵庫県西部でしょうし、東の端は、滋賀県や三重県東部が確定線だと思いますが、岐阜県などにも結構、関西風のアクセントが残っていることもあります。北は、福井の南部でしょうが、これも金沢あたりでも、人によっては、関西風の残ってる場合も多くあるようです。
  
 それと、忘れてはいけないのは四国で、、四国は、ほとんど全体で、関西風アクセントが強いと思います。 特に、徳島・香川では、そうでしょう。
 
 さて、半年ほど前、インターネットのウィキピディアで、播州弁のことを何て書いてあるかとちょっと見てみましたら、その時には、播州弁が、「日本一、相手を罵倒するのに適している言葉である。」ような感じで書かれていました。 この度、このブログを書くため、そのことを確認しようと改めて見てみたら、そういう根拠の無い、他の地域の言葉を侮辱するような記述は消えており、より客観的な、そして、平凡な記述になっていました。
  
 言葉・方言というのは、確かに、全国各地で生き生きと残り、それぞれかなり感じが異なりますが、21世紀の今、地域性もさることながら、個人個人の言葉もかなり違うのではないでしょうか。 世代や学歴、職種など、それぞれが入り乱れて、個人個人の言葉に大きく影響していると思います。 
 
 だから、関西弁の中で、どの地域がどうだこうだと言われても、今は、かなり入り混じっており、この私もよくわかりません。 なかなか本やウィキペディアに書かれているように、明確に地域を細分するのは難しいと思います。 参考に、ウィキペディアの播州弁の項目で、主な言葉が20ぐらい列挙されていましたが、そのうち5-6個の単語は、私には、ピンとこないものでした。
 
  NHKのニュースなどで、日本全国の人々の話し振りを聞くことができますが、最近思うのは、小学生ぐらいの子供の喋り方は、全国ほとんど変らんなあーーということです。 まあ、関西地方の子供は、まだ少し、その他と違っているところが感じられますが、それでも、私たちの子供時代とは、かなり変って、共通語化した喋り方をしています。
 東北の子供たちは、その親たち(いや祖父母たちと言ったほうが、いいかもしれませんが)と、まったく違った喋り方をしているのが、本当によくわかります。
 
 この私も、なるべくイントネーションやアクセントは、関西風を残したいと思っていますが、単語については、かなり以前使っていたものを、今は使わなくなった気がします。 また、私の場合は、子供たちへの日本語教育という面もあり、どこまで関西風か、どこまで共通語的かについて、今でも悩んでいます。 このことは、またのちに詳しく書きます。
 
 私は、方言や外国語の良し悪しの印象は、その他の文化的なものと同じで、結局は、その地域や国の力関係によるものだと、思っています。 私にとっては、アフリカのスワヒリ語にもフランス語にも、とくに思い入れはありません。 だから、そのうちのどっちの言語が好きだとか、かっこいいとかと思うようなことはありません。
 
 しかし、まだ日本には、マスコミ(テレビドラマなども含めて)を中心に、例えば、フランス語がよりエレガントな言葉でもあるかのような風潮があります。 それは、私が住んでいる、ここアイルランドでもそうです。 フランス語のほうが、ドイツ語より美しいと考えている人は、多いようです。 また、同じように、フランスという国のほうが、ドイツよりも好かれている傾向もあります。
 
 「勝てば官軍」と言うことが、すべてでしょう。 今は、東京が、首都で、政治経済の中心です。 だから、中央集権的なこの日本の国民感情では、「共通語つまり東京弁が最善である。」という意識が高いのもしかたがないことでしょう。
 しかし、ちょっと見てください。 今の大河の坂本竜馬。 あの福山雅治が喋っている言葉は、土佐弁らしいですが、イントネーション的には、東京弁よりはるかに関西弁に近いです。 そして、とてもかっこよく聞こえます。「このわしの手(てえー)で、日本を変える!」みたいな。
 
 つまり、どのような言葉でも、結局、その喋り手の立場が、どのようなものか、いや、聞き手側が、どのように思うかで、決まってしまうのです。 逆に言えば、結局、差別の問題と似たようなもので、我々の先入観・思い込みのなせる業とも言いましょうか、ほんとにいいかげんなものです。
 
 幸い、ごく最近の日本の若者は、どちらかと言えば、方言大好き派で、どこの言葉がどうだこうだとか、あまりシンシャクしないようですね。 そういう傾向は、私は、一般的には良いことだと思います。 NHKの「みんなでニホン語」という、ちょっとバライティの要素が強すぎる言葉を取り扱った番組がありますが、その番組の中でも、多くの人たちに方言が支持されていました。
 
 と、言いながらも、先に書いた全国の小学生のように、ますます均質化する日本語、おもしろくなくなってしまうのではないか、と思うのは、私だけでしょうか。